胸に秘めるもの5
彼の手は今までコレットの腰にあてがわれていたものの、皆が個別に話しかけてくるのでふたりの間は微妙に離れていた。
それが抱き締めるようにされており、彼の前にい並ぶご令嬢たちは驚いた顔をしている。中には、青ざめた顔色をして口元を指先で覆っている人も。
驚きつつもコレットが見上げれば、陛下がご令嬢たちに向けている視線は鋭くて、とても怒っているよう。コレットがお裁縫箱をもらったとき、陛下にお話をしなかったことで怒りをかったときの数倍は怖い顔をしている。
これはどうしたことか。まさか、誰かが陛下に対して失礼なことを言ったのだろうか。
この中に身も心も王妃に相応しいご令嬢がいるかもしれないのに、こんな顔をしていては嫌われてしまうだろう。それに、せっかくの楽しい場なのに、これでは雰囲気が悪くなってしまう。
コレットは戸惑いながらも、なんとか陛下をなだめてみようと、おそるおそる声をかけた。
「あの……陛下? どうかなさったのですか?」
「悪いが。私が最初に手を取るのは他の誰でもない、最愛の妃だ」
言葉とともに陛下の腕に力が入り、コレットの体はますます密着してしまう。
なにがあったのか分からないが、真の王妃候補のご令嬢たちの前でこんな態度をとってもいいのか。この中にお眼鏡にかなうご令嬢はいないということか?
けれどそんな気持ちとは裏腹に、陛下の力強い腕の中にいるのがとてもうれしくなる。彼の腕の中にいるだけで、無敵になった気分になれるのだ。
今までも尊敬してやまない国王陛下だったが、その感情とはまったく異質なものがコレットの胸の中で大きくなっていく。
「それから、ミネルヴァ」
陛下の威光ある瞳がミネルヴァ夫妻を捕らえると、彼らの表情は苦々しいものから狼狽へと変わった。
「は、陛下……なんでございましょうか」
「私の妃は、完璧だ。貴様の曇りきった目をよく磨き、大きく開いてよく見てるがいい」
陛下がコレットの体を少し離して小さな手を取ると、囲んでいたご令嬢たちが左右に分かれたので、ふたりの前に道ができた。
「え? 完璧って、いったいなにが??」
コレットの小さなつぶやきは、大広間のざわめきに吸い込まれた。
陛下に誘導されるまま歩く方向に、楽し気にくるくると踊る皆がいる。黄色に赤に緑、ご令嬢たちが身に着けた色とりどりのドレスがふわりふわりと揺れて、身に着けているアクセサリーがキラキラと光っている。まるで楽園に咲く花が風に舞っているかのように目映い。
その中に、エドアールの姿も見つけた。さすが優雅なリードぶりで、思わず見惚れそうになるコレットだけれど、まさか今からダンスを踊るの!?と、ようやく気づいた。
「え、え? 陛下?」
心の準備がまだですと伝えたいけれども、すでに行動を起こしてしまっている今は、周りの状況がそうさせない。
陛下に手を引かれて中央に進み出るコレットの瞳に、「見ろ、国王夫妻が踊られるぞ!」と注目してくる皆の顔が映る。
陛下の言っていた『完璧』というのは、ダンスのことか。コレットがミネルヴァ夫妻に言われていたことを、陛下は聞いていたのだろうか。
なんてことだろう! レベルを最大限に上げられている! しかもこんなに注目を浴びるとは!
心がそわそわ落ち着かず、鼓動は急加速し、足がすくんで覚えていたはずのステップもあやふやになる。コレットにできるんだろうか。王妃がミスばかりをしたら、陛下も恥をかいてしまう。
ミネルヴァやご令嬢たちの視線が、背中に刺さるように感じる。コレットの体に、じっとりと汗が滲んだ。
音楽が終わり、皆が礼を取って中央から下がっていく。ふたりだけが残る形になり、コレットは逃げ出したい気持ちと懸命に戦っていた。
「陛下、わたし、不安です……」
震えながらも素直に言うコレットの頬を、陛下の大きな手のひらが優しく包んだ。
「大丈夫だ、自信を持て。周りは気にするな。君は、私だけを見ていろ。いいな?」
まっすぐに見つめてくる紫の瞳の中心には、コレットしかいない。強い光の中にもぬくもりがある瞳が徐々に近づき、額にそっと唇が触れた。
「練習を思い出せ。君は、完璧だぞ」
胸がきゅんと痛むのと同時に、アーシュレイのバイオリンの音と、へとへとになるまで踊ったことがありありと蘇った。あのときは、陛下のことを思うようになるとは予測もしていなかった。ただ、与えられたことを懸命にこなすことに徹していた。
「はい、陛下。陛下だけを見つめます」
楽士が奏で始めた音楽は、あのときの中の一曲。もしかしたらアーシュレイが手回しをしてくれたのかもしれない。
コレットはダンスの始まりの挨拶をし、差し出された陛下の手をとった。
まだそれほど日が経っていないのに、妃教育を受けていたのが、遠い過去のことのように思える。それだけ日々が充実しているということだろうか。
あの頃の陛下は、体を貫かれるように瞳が鋭くて、コレットには恐ろしいばかりだった。
けれど今は違う。見慣れたせいもあるだろうが、毎日話したり触れられたりしているうちに、陛下の不器用な優しさが伝わってきたからだと思う。
彼の狼のような威厳も瞳の鋭さも、出会ったときとなんら変わらないのに、目の前にある紫の瞳はあたたかくて柔らかく見える。彼に恋してしまったコレットだけが、そう思えるのかもしれない。
あとどのくらいの日々を、陛下のお傍で過ごせるのだろうか。
今日の夜会で、本物の王妃となるべき人を見つけてしまうかもしれない。いきなり始まった城の生活は、いきなり終わることもあり得るのだ。
傍にいられるうちに、なんとしてもエドアールの言っていたことを解明して伝えたい。陛下を守りたい。それだけが自分にできることだと、コレットは強く思うのだった。
音楽にのってコレットがターンをすれば、紫色のドレスがふわりと広がる。可憐に踊る姿は、初々しくも品があり、見る者の心を奪う。
素直に陛下に集中していたせいか、ダンスはいつの間にか終了していて、大広間中の貴族たちから拍手が起こっていた。
「え、終わったんですか?」
終わりの挨拶をする陛下を目にし、コレットも慌てて作法通りに挨拶を返した。
「陛下、わたし、ステップを失敗しませんでしたか?」
心配になって小声で訊くコレットを見、陛下はプッと噴き出した。
「まさか、今のを全然覚えてないとは。やはり君は、面白いな」
ミネルヴァの顔を見れば分かるぞと陛下に耳打ちされ、コレットが見やれば、夫妻は憮然たる面持ちで立っていた。
体が勝手に動いたと言うべきか、まったく覚えていないがダンスはうまく踊れたようだ。きっと、陛下のリードがうまかったのだろう。コレットだけの力じゃないのだ。
でもこれで、またひとつ難関を突破できた。ホッと息をついていると、陛下の元にはどっとご令嬢が集まって来ていた。
ダンスをする前にい並んでいた面々とは違う人ばかりで、頬を染めて上目遣いに見つめている。どうやら陛下のダンスのリードぶりが、乙女の心に響いたようだ。
今度こそ、陛下はダンスの誘いを受けるはず。そうしたら、チャンスが訪れる。彼がご令嬢たちと踊っているうちに、エドアールに近づいて例の話を聞くのだ。
そう算段するコレットのところにも、貴公子たちが集まりつつあった。社交的な自己紹介をして、皆一様にダンスを申し込んでくるので、どうしたものか困ってしまう。
なかなか思う通りに動けないものだと苦笑いを零していると、「失礼」と言って貴公子たちの間を割って入ってくる者がいた。
「コレット王妃、是非、私と踊っていただけませんか」
優雅に手を差し出したのは、エドアールその人だった。主たる客人からの誘いならば、誰よりも真っ先に応えるもの。神は健気にがんばるコレットを見放さないのだ。食事前の祈りを今までの倍にしよう。
「エドアールさま。はい、喜んで」
コレットが心からの笑顔を向けながら手をとると、エドアールは破顔した。
「そんな笑顔を見せられるとは……。これは、私を待っていてくれたと、うぬぼれてもいいのかな?」
社交的な冗談交じりに言う彼に、コレットは素直に返した。
「はい。わたし、エドアールさまをずっとお待ちしていたんです。だから、すごくうれしいです」
「へえ、それは光栄な言葉だ。私も、こうしてダンスができるのがうれしいよ。踊るあなたは、まるで花の園を舞う女神のように、高貴で美しい。このまま浚っていきたくなる」
青い瞳を柔らかく光らせて甘い言葉を言うエドアールは、さすが社交においては百戦錬磨の王太子といったところか。女性を喜ばせるツボをちゃんと心得ている。大抵の女性ならば「まあ、エドアールさまったら。うれしいですわ」と言って頬を染めてうつむくところだ。そうやって女性の心を掴み、王太子として人気を高めて外交に生かしてきたのだ。けれどもコレットにはまったく通じず、エドアールにとって予想外の反応をする。真剣な表情をしており、純粋にキラキラと光る瞳がまっすぐに見つめていた。
「あの、できれば静かなところで、エドアールさまとふたりきりになりたいです」
「ふたりきりとは、それは……」
エドアールは眉をあげて驚いた表情をするが、コレットの表情から真意をくみ取った。そして、その考えが正しいのか確認するためにも周りに視線をさまよわせると、その青い目が一点を捕らえてスッと細くなった。




