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狼陛下と仮初めの王妃  作者: 涼川 凛
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妃のつとめ6

立ち入り禁止だった部屋は、がらりと様変わりしていた。


調度品の配置もそうだが、それよりもなによりも、今までと部屋の位置が違っている。


階段から一番遠い場所、つまり陛下のお部屋からは真逆の位置にある奥の部屋に変わっていた。


王妃付きの侍女であるリンダの部屋は隣になり、呼べばいつでも来られるようになっている。


コレットがいままで使用していた部屋は、ふたりの間に生まれた王子や王女のものになる予定だという。



「コレットさま。たくさんお部屋が空いておりますから、何人お子さまをお生みになっても大丈夫ですわ!」



リンダの言葉に対して、コレットは曖昧な笑顔を返すしかない。偽装結婚だから、子どもを産むなどありえないのだ。


でもふと思う。


最上階にはコレットとリンダと陛下と、あと数人の侍女が部屋を使用しているだけでガラガラ。


何しろガルナシア城はやたらと大きくて広く、最上階の廊下の両側には何枚もの扉が並んでいる。数えたことはないが、大部屋小部屋と合わせて三十以上はあるはずだ。



「ねえリンダ……きっと、建築以来一度も使ったことがないお部屋もあるわね?」


「いいえ、コレットさま。そんなことはありませんわ」



リンダが仕入れた情報によると、何代か前まで陛下の部屋は四階にあって、最上階には正室と側室が住んでいたそうだ。所謂後宮である。複数の側室がいて華やかで、権力争いも激しかったらしい。



「女の闘いほど、陰湿で醜いものはありませんわ。想像するだけで、震えます」



リンダはオーバーにぶるぶると震えて見せ、自らの体を抱きしめた。


きっと、先代に子供がいなかったために起こった内戦と同等のことが、この最上階で行われていたのだろう。刃ではなく言葉や仕草での冷たい争い、嫉妬や貶めが蔓延する世界。今日の会食での重鎮やご婦人方の態度よりもきつくて陰湿なものが……。


そう思えばコレットの体も震えた。上流の世界というものは、本当に恐ろしい。



「でも、ご安心くださいませ。この先争いは起きませんわ。陛下は側室なんてお迎えになりませんから! なんといっても、コレットさま一筋でいらっしゃるんですもの!!」



リンダは拳を握って断言し、にっこり笑う。


陛下が即位されたときに最上階には先代の正室が住んでいて、歳も二十四歳と若く美しいため、そのまま王妃として迎えると思われていたらしい。だが皆の予想に反して、陛下は“先の王の体制は引き継がない”と言って、王妃を実家に帰してしまったという。



「先の王妃さまは、実家に帰られてから数か月後に子爵家にお嫁入りされたそうです。お相手は、幼い頃から親しくしておられた殿方だそうですわ。その殿方はきっと、元王妃さまのことを、ずーっと愛していたに違いありません!」



どんな想像をしているのか、リンダは「身分差の愛が実るなんて、素敵ですわ~」と、染めた頬を両手で覆って夢見るような表情をする。


確かに、子爵が元王妃さまをお迎えするのは、身分的には難しいことだろう。


コレットも乏しいなりに想像してみれば、跪いて求婚する麗しい殿方の姿が浮かぶ。そう、今日の婚儀で陛下が見せてくれた誓いのキスのような姿。


愛の言葉を並べて王妃の美しい手を握り、何度も口づけて……と、たいそうロマンチックである。


コレットも胸がときめいてしまうのだった。あんなふうに求婚されたら素敵だ。


殿方に心から愛されるというのは、女性誰もが憧れることで、それが思う相手ならば尚更に幸福だろう。



リンダは、伯爵家の嫡男であるアーシュレイに恋をしている。彼はのちに当主となる身で、相応の家柄であるご令嬢を嫁に迎えるのだろう。侍女の彼女にとっては、到底手の届かない人なのだ。だから身分違いの恋に憧れているのかもしれない。


そう思うと、コレットの胸がちくんと痛んだ。


身分違いという言葉に、何故か共感してしまう自分に気づく。それは、今の関係全てが、偽装の上に成り立っているからかもしれない。お沙汰とはいえ、皆やリンダを騙していることへの罪悪感もある。


コレットはせめてもの償いにと、リンダの恋を応援しようと決めた。



「では、コレットさま。おやすみなさいませ」



就寝の準備を整え終えたリンダが部屋を辞していく。


途端にしんと静まった部屋の中を改めて見回し、コレットは落ち着かない気持ちになった。



「……これが、王妃仕様なのね」



今まであった調度品に加え、新たに入ったのはソファセットと、ひじ掛け付の椅子に、しなやかな猫脚の丸いテーブル。それに書棚と暖炉がある。


クローゼットがどこにもないが、書棚の横にある白い扉の向こうが衣裳部屋となっており、そちらに全部を入れ込んであるらしい。


婚約者の部屋は色合いがシンプルだったが、王妃の部屋の壁紙は桃色の小花模様で可愛らしく、暖炉の前飾りには赤い花が描かれたタイルの意匠が施されている。カーテンも壁紙に合わせたのか桃色を基調とした細かい柄が入っており、ふたつあるテーブルとチェストの上には、こぼれんばかりの花が飾られていた。


そして、極めつけは、ベッドだ。パッと見は前と同じで何も変化がないように思えるが、透けるカーテンの内側が違っている。



「これは、どう見ても、ふたり分の寝具よね?」



白いシーツに毛足の長いふわふわ毛布はそのままだが、クッションの数と色が違っている。薄水色と薄桃色のクッションが三個ずつ、右と左に分けて整然と置かれていた。おまけに花弁が散りばめられている。


コレットが着ているネグリジェは変わらないが、湯上りの肌には、いつもよりも丁寧に香油が塗られていて、すべすべのピカピカでいい香りに包まれている。



「まさか……まさか……よね?」



世間一般の常識では、結婚したふたりはベッドを共にするもので、今夜は初夜にあたる。


しかし、コレットと陛下は偽装結婚なのだ。陛下が王妃の部屋に来るはずがない。


それに、ここまで送ってくれた陛下は「ゆっくり休め」以外はなにも言ってなかったし、渡されていた儀式の予定表には“初夜”のことは記載がなかった。陛下とは別々に眠るはずだ。


気にせずに眠ることに決め、ベッドに入ろうとするコレットだが、今日に限って、リンダが部屋を辞していくときに消していくはずの灯りが点ったままなことに気づいた。



「忘れていったのよね? きっちりお仕事をするリンダにしては、珍しいわ」



城の灯りは弄ったことがないが、大抵どんなランプでも消し方は同じなはずだ。


コレットは壁に取り付けられたランプの灯りを消そうと、背伸びをしてうんと手を伸ばした。



「あれ? スイッチがないわ?」



牧場のランプと同じ消し方だと見当をつけていたが、あるはずの場所にスイッチがない。どう消すのか分からずまごまごしていると、目の端に白い布を捕らえた。今のはなに?と思う間もなく、背後から延ばされてきた大きな手がコレットの手の甲に重ねられていた。



「ここの灯は、私が消すものだぞ。君は消しては駄目だ。使用人も消灯できない。そう決まっている」



突然触れられたことと頭の上から降ってきた低い声で、コレットの頭の中が一瞬真っ白になる。手をすっぽり包み込んでいる大きな手は誰のものだろうと考えるけれど、コレットのことを“君”と呼ぶ男性は、この世にひとりしかいない。



「……え……陛下??」



いつ、入ってきたんだろうか。


ランプに伸ばしていた手は下ろされてしまい、コレットの頭の上に延びていた陛下の手がカチリと灯を消した。


ヒールを履いていないので、いつも以上に陛下の背が高くなっている。壁と彼の間にすっぽりと嵌っていて身動きできず、コレットの胸がトクトクと鳴ってうるさくなる。


陛下がお部屋に来るかもしれないと、ちょっぴり考えてはいたが、まさか現実になるとは思っていなかった。どう対処すればいいのか。



「あの……どうして、ここに来たんですか?」


「どうしてもなにもないだろう。婚姻を結んだ妃のところに訪れるのは、当然のことだぞ。ここでちょっと待ってろ」



陛下は部屋の中をスタスタと歩き回り、手際よく壁のランプを消していく。


就寝前のせいか、陛下の雰囲気が昼間よりも柔らかい気がする。そんな姿を目で追いつつ、コレットは陛下の言葉の意味を考えていた。


妃のもとに訪れるのは当然のこと、とは。陛下との結婚は偽装のはずだ。だから、ベッドを共にするなんてことは、あり得ないはずで。ランプを消したら、すぐに自室に戻るつもりかもしれない。けれど、もしもそうじゃなかったら?



やがてベッドサイドの灯りだけが残り、薄暗くなった部屋の中で固まって動けないでいるコレットの元に、陛下がゆっくり近づいてくる。逆光の中、目の前で銀の髪がさらりと揺れたと思った瞬間、コレットの華奢な体はすっぽりと腕の中に収まっていた。



「あ……の」


「ふむ。少し、堅いな。緊張してるのか」



力強く抱きしめられ、大きな手のひらは豊かな髪を弄んでいる。暗い部屋の中夜着姿でふたりきり。緊張しないでいるほうがおかしい。


鍛えられた逞しい胸に頬を預けながら、コレットは喉に詰まっていた声を絞り出した。



「陛下、あの……婚姻は、偽装なのでは、ないんですか……?」


「偽装だが、妃の元に通わねば皆が怪しむだろう。ましてや、普通ならば今夜は初夜の儀式がある。それらしく振る舞わなければ、ダメだろう?」



髪を撫でていた陛下の手がうなじに滑り込み、コレットはくすぐったさに首をすくめた。


指先でツーッと首筋を撫で上げられ、おまけに頭の上では小さなリップ音がしている。これが、それらしい振る舞いなのか?



「あの、陛下……?」


「会食の後、笑ってすまなかった。内戦の折りに君の両親が亡くなったというのに、見届け人たちの反応が愉快すぎて、つい笑った」


「あのことは、気にしていません。むしろ、陛下が楽しそうにしておられたのが、わたしにはうれしかったんですから」



あんな姿をみられるのは、滅多にないことだろう。コレットにとっては、鶏小屋で敷き藁の中に卵を見つけたとき以上の喜びだった。そう、牧場で牛の子供が生まれたときに匹敵するような。



「……そうか。君は、そう思うのか」



陛下の腕に力がこもり、コレットの鼻が胸に押し付けられて息苦しくなる。とりあえず呼吸を確保しようとして、顔と陛下の胸の間に手をねじ込むと、ますますきつく抱きしめられた。


どうしてこんな事態に陥っているのか、コレットにはさっぱり分からず、疑問符が浮かぶばかり。



「私は、ガルナシアの国王として、二度とあのような戦争を起こさないと誓う。だから、許してくれるか」


「ゆ、許します……許しますから。それにそもそも怒っていませんし。あの、離して、ください。く、苦しいですっ」



半ばパニックに陥りつつ必死の思いで声をあげると、ようやく腕の中から解放された。



「ああ悪かった。つい、力が入ったな。平気か」


「はい、なんとか……大丈夫です」



今の誓いの言葉はコレット個人に向けた言葉ではなく、民の代表として言われたものだろう。国王として、民を苦しめる事態には、二度と陥らせないと。


コレットがそう結論付けながらも息を整えていると、膝裏に腕が差し入れられ、ふわりと抱き上げられた。そのままずんずんベッドに近づいて行くのがわかり、コレットは大いに焦った。



「あ、あのっ! まさか、なんですがっ、ひょっとして、陛下も、一緒に寝るんですか!?」


「ああ、もちろんそのつもりだ」


「えっ、待ってください!」


「うむ、待つ理由がないな。妃と共に朝を迎えるのは当然のことだぞ」



シャッと音を立てて天蓋の幕が開けられると、そのままベッドに寝かされ、クッションの傍に置かれた花の香りがコレットを包んだ。ギシッと音を立てて陛下が隣に寝そべって、心臓がドクンと跳ねる。



「偽装だ、君のことを抱くつもりはない。だが、私も男だ。うっかり触れたとしても、許せよ」


「は? うっかりって。あの、そんな宣言をされても……ものすごく、困りますっ」


「……冗談だ」



そう言ったそばから陛下の腕に捕らわれてしまい、抱き寄せられてドキドキするコレット。それらしくしなければならないのは理解できるが、どうして密着する必要があるのか。



「今夜はこのまま寝るぞ。これならば、誰に見られたとしても、仲のいい夫婦だからな」



陛下の吐息が額にかかり、その部分から熱が広がっていくように感じる。


こんなのとても眠れる気がしない。だが、陛下は既に規則正しい寝息を立てている。きっと政務などで疲れてるのだろう。


体に絡まっている腕をほどいて起こしてしまうのは忍びなく、コレットは捕らわれたままとなる。


人生はじめての男性と過ごす夜は、なかなか寝付けないまま更けていった。





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