妃のつとめ5
難しい問いかけにどう答えるべきか悩む。アーシュレイの想定質問の中には無い項目で、コレット自身が考えるしかない。
ミネルヴァはしたり顔でコレットを見ており、ほかの重鎮とご婦人方はどんな答えを出すのか興味津々な様子で、にやにやと笑っている人もいる。隙あらば王妃の座から引きずり降ろそうと企み、攻撃材料を探しているんだろう。下手なことは言えない。
こういうとき、皆がご自慢していたご令嬢ならばどう切り抜けるのだろう。いや、そもそもこんな事態に陥ることはないんだろうか。
コレットは気持ちを落ち着かせようと、金の燭台で揺れる蝋燭の炎をじっと見つめた。
そのゆらゆらと動く様子から、ある日の出来事を思い出していた。
両親が亡くなって三日目、ニック夫妻がコレットを迎えに来た日のことを。
あのときもこんなふうに蝋燭の火が灯っていた……。
黙ったまま蝋燭の炎を見つめるコレットに、陛下が促すような言葉をかける。
「君の思うままを答えればいいぞ」
コレットを見つめる紫の瞳は、いつも通りに鋭く厳しい。けれどその少しだけ優しさを含んだ声色と言葉尻からは、どんな答えでも受け入れるという気持ちが伝わってくるように思う。
コレットはもう一度炎を見た後、一同を見回し、膝に置いていた手を組み、ぎゅっと握った。
「わたしは、民たちにとって、コップ一杯の水でありたいと思います」
震えながらもはっきり言うと、ざわめきが起こった。
顔を見合わせて首を傾げる夫妻もいる。
そんな中陛下だけは少しうつむいて目を閉じ、スッと口角を上げていた。
「は!? コップ一杯の水とは……これはまた異な答えですな! 王妃が水でありたいなどと!」
声を立てて笑わんばかりの表情をするミネルヴァが、一同に同意を求めた。
すると各々から嘲笑する声が上がり始める。
「一国の王妃の言葉とは思えませんな。皆にとって、輝く宝石でありたいと言うならまだしも……さすが、異国のご両親が育てられたお方と言うべきでしょうかな」
眉間にしわを寄せた難しい顔つきで北の領主がそう言えば、南の領主が笑いをかみ殺しながら後を続ける。
「貴族でもなく王族でもない、一介の騎士団長であられた陛下が望まれるお方ですから、少々変わっておられるようだ」
「でもまあ、長い時をかけて考え抜いた答えなのでしょう? どのような意味があるのか、是非、お教えいただきたいですわ」
何か理由があるなら聞いてあげましょうか!と言うご婦人に、皆が同調して、再びコレットに注目した。
自信を持って言ったことだが思った以上に皆の反応が悪く、失敗したと思い震えているコレットの華奢な肩を、陛下の手がそっと包み込んだ。
陛下はコレットの背後に立ち、皆の顔を見据えている。
無言のままだが、肩に感じるぬくもりがコレットに勇気を与えてくれる。そうだ、ひとりではない。秘密を共有する陛下が付いているのだ。
「わたしは両親を亡くしたとき、すごく哀しくて、三日間なにも口にできなくて、飲まず食わずでいました。このまま命がなくなってもいいとも思っていたんです」
思い出せば悲惨な状況だった。
割れた窓に敗れた扉。家の中は滅茶苦茶に荒らされて金品はなにもなく、ひとりぼっちで、あるのは両親の亡骸と祈りの蝋燭のみ。
外は逃げ惑う人の足音と打ち合う剣の音がしていたけれど、逃げようなどと思えなかった。
ぼんやりと、炎だけは絶やさないよう気遣い、そしてだんだん短くなっていく蝋燭を自分の命と重ね合わせていた。
この火が消えたらきっと両親のもとに行けると、そう考えていた。
「そんなとき、ある人が尋ねてきて言ったんです。『しっかりしなさい! ご両親はあなたが死ぬことを望んでいません!』と。そして、コップ一杯のお水を飲ませてくださいました。それは、渇ききった体と心を潤して、気づきを与えてくれたんです。わたしは、見放されていない。ひとりぼっちじゃないんだって、教えてくれたんです」
あのとき危険を顧みずに山から下りて来たニック夫妻は、両親の亡骸を丁寧に弔ってコレットを連れ出してくれた。
いつも優しく笑うアリスとニックとは思えないほどの、気迫満点の顔だったのを思い出す。
そう、罪を犯したコレットに『逃げなさい』と言った、あの表情と一緒だったのだ。
「お水はすべての命の源なんです。陛下が剣で国を守ってくださるなら、王妃は水のように柔らかい心を持って、民の心を潤して、いろいろな気づきを与えたり、育てたり、そんな存在でいたいと思います」
コレットが話を終えると、場が水を打ったように静まり返った。
会食の席を満たしていた好奇や嘲りの空気が消え去り、戸惑いと感嘆の間を行ったり来たりするような、複雑なものに変わっている。
皆言葉を発することができず、ミネルヴァは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
コレットの話は予想外で、普通のご令嬢ならばこんなことは言えないと思える内容だった。精々『陛下を支えて、しっかり城を守ります』ぐらいだろう。なぜなら貴族のご令嬢たちは、幼いころからそう教育されているからだ。もしも同じことを経験していたとしても、そこから“王妃として”の答えに結び付けられるだろうか。ミネルヴァには分からなかった。
「……我が妃の答えに異議のある者はいるか」
陛下の問いかけに対しては誰も声を発せず、うつむいて、ただ空になったグラスと皿を見つめるのみ。
ミネルヴァは喉の奥で唸り声を上げるだけにとどまった。
「ならば、これで会食は終了とする。皆、今日は大儀だった」
陛下の一言により、一同は椅子を鳴らしてのろのろと立ち上がった。
コレットは陛下に手を引かれていき、出口近くに並んで立った。
ふたりに挨拶をして出ていく皆の顔は、当初のそれよりも明らかに意気消沈している。
どうやら偽物王妃としてのデビューは、なんとか成功したよう。大役をこなすことができ、コレットはホッと胸をなでおろしたのだった。
最後の一人が出て行き給仕も誰もいなくなると、腰に当てられていた陛下の手が離れた。
今日の予定は全部終了し、あとはお部屋に戻って休むだけだ。
お疲れさまでしたと言おうと見上げたコレットの目に、肩を揺らしている陛下の姿が映った。銀の髪も小刻みに震えており、どう見ても普通の状態ではなく、体調が悪いんだろうかと心配になる。
「……陛下? どうしたのですか?」
腕に触れて呼びかけた途端、陛下はぷっと噴出した。
なんと信じられないことに、彼は笑っていたのだ。手の甲を口に当てて声を殺してはいるが、おかしくて堪らないといった様子。
「あの……なにがそんなにおかしいのですか?」
コレットが首を傾げて問いかけると、陛下は我慢できなくなったのか声を立てて笑い始めた。
訳が分からないが楽しそうにしている陛下を見るのは初めてで、しばらく呆然として見つめていたが、コレットも次第にうれしくなっていく。
狼と呼ばれている陛下だが、普通に喜怒哀楽の「楽」があるのだ。
つられてくすくす笑うコレットの体が、急に、ふわりと宙に浮いた。
「きゃっ」
驚いて笑いがぴたりと止まり、焦ってしまう。
「あの……陛下?」
コレットは両脇を持たれて抱き上げられており、いつも見上げている陛下の顔が下にある。
高い位置から見下ろす銀の髪は艶々としていて、よりいっそう綺麗に見える。いつも強い光を宿している狼の瞳は、楽しそうに輝いていた。
その普段見ない景色は、コレットを不思議な気持ちにさせる。
「コレット・ミリガン。こんなに笑ったのは久しぶりだぞ! そうだな、約六年ぶりだ」
「あの……なにが、そんなに、おもしろかったのですか?」
「君だ」
「は? わたしですか??」
「そう。君は本当に私の予想を超えてくるな。さっきのは最高だったぞ」
そう言われながらくるりと一周振り回されるようにされ、恐ろしくて小さな叫び声をあげる。鍛え抜かれた騎士である陛下の腕力と体力によって、くるくる回る速度は半端なく速い。何度も叫び声をあげるが陛下は止めてくれず、五週ほどくるくる振り回されたあと、すとんと下に下ろされた。
「あ……ありがとうございます」
何に対してお礼を言ってるのか、コレット自身も分からない。くらくらと目が回ってしまい、まっすぐに立っていられず、陛下にしがみついた。そんなコレットの体を、陛下はしっかりと支える。
「悪い。つい、振り回し過ぎたか」
「はい、ちょっと、ひどい眩暈がします。それに動悸も……」
振り回された怖さと笑顔の意外さと褒められたうれしさがごちゃ混ぜになり、コレットの胸のドキドキが止まらないでいる。
「ならば、ゆっくり休むといい。部屋の準備は整っているはずだ」
胸の動機が収まらないコレットの腰は陛下にしっかりと支えられ、最上階へと誘われた。
王妃仕様となったという、コレットの部屋へと。




