甘くキケンな新婚生活1
夜明けの覚醒と眠りの狭間で、コレットは額と頬になにかが触れているのを感じていた。
肌を掠めるように触れては離れていくそれは、少しくすぐったいけれどとても心地いいもの。風に揺れた草花の柔らかい葉が肌にあたっているような、そんな優しい感触。
体を包む柔らかい毛布と少し堅く感じるクッションは温かく、いつまでも眠っていたくなる。
そのしっかりと安定感のあるクッションに顔をうずめると、髪をそっと引っ張られるような感覚がした。それは横髪を梳いているように、耳の辺りを何度も往復している。
「ん……くすぐったい」
コレットは首をすくめながらも、クッションの中に潜るように体を寄せた。だって柔らかすぎない絶妙な堅さは、牧場のベッドのそれと似ていて、すごく落ち着くのだ。
「君は、まだ起きないのか?」
極至近距離から発せられた低い声が、コレットの鼓膜をくすぐる。
「や、ん……」
首筋がぞくぞくと震えてしまい、ますます肩をすくめるコレットの頭の上で、ちいさな声が漏らされた。
「これは天然か……」
頬を預けていたクッションが急に動き、コレットはぱちっと目を開けた。
すると紫色の瞳が間近に迫っていた。長めの前髪から覗くそれはまっすぐにコレットの目を見ており、なんだかちょっと怒っているように思える。
そういえば昨夜一緒に眠ったのだと思い出すが、起き抜けのびっくりな事態にうろたえてしまい、なんと言っていいか分からない。が、とりあえず声を絞り出した。
「へ、へ、へ、陛下。お、おはようございますっ」
「うむ……おはよう」
なんとか言葉を交わすことができ、声の様子から陛下は怒っていないようだと感じる。
だが陛下の端正な顔が近くにある状態は変わらないし、長い指はコレットの前髪をかき分けるようにしていた。強めな瞳とは裏腹に指使いは優しく、まるで卵から孵ったばかりのひよこを撫でるようだ。
ほのかに暗かった部屋の中は、カーテンの隙間から射し込む爽やかな光でだんだん明るさを増していく。
陛下の男らしくも綺麗な瞳と唇の輪郭をはっきりと浮かび上がらせ、コレットは目のやり場に困った。
陛下の手のひらで固定された状態の顔はそむけることができず、かといって、目を閉じてしまえばまるでキスをせがんでいるかのようだ。
いったいどうすればいいのか。陛下は無言のままじっと見つめており、なにを考えているのか分からない。とにかく、動けないこの状態をどうにかしなければ。コレットがそう思ったとき、陛下がぽつりと言った。
「いいか。これくらい、許せよ」
え?と思う間もなく、陛下の唇が額に落とされ、コレットの顔が一気にゆで上がる。
小さなリップ音を立てて離れた唇が、意地悪っぽく口角をあげた。
「あ、あの、陛下……今のは」
「目覚ましと思え。それに昨夜“私も男だ”と言っただろう?」
そう言って上半身を起こした陛下は、部屋の入口に向かって声をかけた。
「リンダ、入ってもいいぞ」
まもなく遠慮がちにリンダが入ってくると、彼女に言葉をかけて陛下は出ていく。
対して、コレットは唇が触れた額を押さえたまま固まってしまい、リンダに声をかけられるまで動くことができずにいた。
偽装の新婚生活は、刺激的な目覚ましで始まったのだった。
***
「コレットさま。今日は一段とお綺麗ですー!」
コレットの身支度を整え終わったリンダは顔をほころばせた。
女性の目から見ても、王妃となった主人は、昨日までと雰囲気がまるで違うのだ。
今までは無邪気というか、少し幼く感じるところがあった。けれど今朝は……。
うつむき加減で頬を染めて立つ姿は、可憐でとても美しい。艶が出たと言うべきか、男性に愛されるとこうも変わるのかと感心するほどだ。
リンダが部屋に入ったとき目にしたのは、透けるカーテンの向こうでコレットに覆い被さっていた陛下の姿だった。
まだ純潔なリンダには夫婦の営みは想像の範囲でしかないが、昨夜も朝も、陛下に大切にされたのだと思う。だって、ベッドからおりてきた陛下の目は普段の二倍は優しくて、リンダにかけた言葉はコレットを気遣うものだったのだ。
『朝食は十五分遅らせるから、ゆっくりでいいぞ』と。
この分ならきっとご懐妊はすぐ! かわいい王子か王女のご誕生は一年を待たないはずだ!
勝手に想像をめぐらせれば、あたふたする未来の自分の姿があった。
これは、リンダひとりでは主人の身の回りのお世話が難しくなる。そもそも王妃付きの侍女がひとりというのが間違っているのだ。
ナアグル家の奥方にだって複数の侍女がついていた。
リンダは、さっそく増員を願い出ることを心に決めたのだった。
***
さて、リンダが想像するようなめくるめく甘い営みは皆無で、ただ額にキスをされただけのコレット。それでも、リンダの感じる通りの艶を放っていた。
陛下の優しい指使いと唇の感触がいつまでも額に残っていて離れない。それに、男性とベッドを共にしたという事実が今更ながらに恥ずかしくなる。間近で見た瞳と耳にした声を思い出せば、どうにも頬が熱くなってしまうのだ。結果、しっとりした女の色香を身にまとっていた。
顔を合わせるのも気恥ずかしいコレットに対して、当の偽物夫は朝食に向かう時も食事中も普段と変わらず、狼のように眼光鋭く威厳を放っている。
普段よりも堂々としているように見え、陛下にとって額にキスすることは、手を握ることと大差ないように感じる。
コレットだけがドキドキして、照れている。
あまりにも平然としているので、陛下は女性と一緒に夜を過ごすことに慣れているのだろうかと思う。けれど、アーシュレイは『昔も今も全然女っ気がない』と嘆いていた。
だからまったく慣れていないはずなのだ。なのに……。もしかしたら男性は、誰もが、女性と一緒に眠ってもキスをしても、まったくドキドキしないんだろうか。そういうものなのか?
コレットが悶々と考えながら進む朝食はとても静かで、まるで最初の日に戻ってしまったかのよう。互いにひと言も話さずに終わり、陛下は婚姻前と同じくそのまま執務に行ってしまった。
そしてコレットも、迎えに来たアーシュレイとともに、王妃の仕事をするべく食事の間から出たのだった。




