積み重ねた嘘は夜に崩れ去り
曲が終わると、ステラはダンスフロアに出入りする人々に紛れてキアランから逃げた。
にぎやかなホールをゆっくりと歩き回りながら再び原作者探しに戻った。招待客たちがステラに視線を向けてきたが、相変わらず話しかけてくる人はいなかった。過去の舞踏会でも引け目を感じて近づいてこない人が多かったので、今も昔もあまり変わらなかった。
控えの間の方へ向かった男の胸元に緑の宝石が見えた気がして後を追ったが、控えの間に入ってすぐにそれが服の刺繍が光っただけと気づかされた。
ステラはとぼとぼと二階へ上がり、通路に立って吹き抜けからホールを見下ろした。弾む音楽に合わせてくるくる回って飛び跳ねながらカドリールを楽しむ人々の姿を見ていると、憂鬱な気分でいるのは世界で自分一人だけである気がしてきた。
「随分熱心ですね」
声をかけられてようやく横にキアランが立っていることに気が付いた。酒でも飲めばいいのに、彼は手ぶらだった。護衛として来たという言葉は本気らしかった。
「ええ、まあ。私には大事なことですし、あなたにとっても悪いことでもないですから」
ステラはキアランに注意を向けず人探しに戻っていたので、ほとんど上の空で言った。
「そろそろ私を護衛する必要はないと分かったでしょう。ですからあなたも――」
「男漁りの邪魔だからどこかに行ってほしいのですか?」
ステラはきょとんとした。しばらくキアランの言葉の意味を考え、自分が愛人を探しに行くと適当なことを言ったのを思い出した。
「ひょっとして、私がフォード先生に送った手紙を読んでいないのですか?」
「……読んでいませんよ」
これにはステラも驚いた。キアランに見えないように手紙を書きはしたが、後で確認されているのだと思っていた。私的な手紙はほとんど書かないので気にも留めていなかったが、キアランのことだから書いた手紙の内容まで把握しているとばかり思っていたのだ。
「あんなこと本気で言っていません」
「どうだか、私に嫌われたくて仰った言葉はどれも本心でしたのに」
「……本気だったとしてもあなたには関係ないでしょう、サリヴァン」
ステラは踵を返し、キアランの横を通り抜けようとしたが、腕を掴まれた。目が見えづらいせいで、キアランの表情が読めなかった。
「ソフィア。探しに行かなくとも、男なら手の届くところにいるではありませんか」
ホールではまたしても音楽が変わり、ダンスフロアに人が出入りして、人々の視線が二階から外れた。
バルコニーの扉が閉められると、音楽や人々の話し声はくぐもってほとんど聞こえなくなった。冷たい夜風が吹き抜けるバルコニーは暗く、他に誰もいなかった。
キアランは寒さに震えたステラを抱き寄せて外衣の中に入れた。ステラは逃れようとしたが、余計に密着させられてしまった。心拍数が上がって、熱いくらい体温も上昇した。
「どういう男が欲しいんですか?」
「だから違うと言ってるのに……! 離してください!」
「教えていただけるまで離しません」
「近頃のあなたは本当にどうかしています。護衛のあなたには関係ないから放っておいて!」
「私はお嬢様の夫という立場でもありますから、愛人をお作りになるのであれば無関係ではありません」
ステラはついと顔を背けた。迫ってくるキアランの顔があまりに近すぎて、うっかりすると唇が触れ合ってしまいそうだったからだ。
「……私には、偉大な父がおります」
ステラは悩んだ末、“氷の姫と黒の騎士”の舞台でソフィアがサリヴァンに語った台詞を諳んじてこの場をやり過ごすことにした。真剣に取り合うつもりもなかったし、明らかに本心でないと分かればキアランも冷静になって話を聞いてくれるだろうと。
「父は広大な土地を治める領主でありますけれども、税の取り立ては厳しく、貧しい家から明日の糧さえ奪い、悪政ばかりを行う邪悪な人です。しかし、誰もが父を恐れて意見をしたり逆らったりすることはできないのです。父は剣や弓でもその腕前は並ぶものがいないほどで、そんなことをすればたちまち殺されてしまうからです。娘の私の扱いは誰よりもひどく、歴戦の騎士でさえも音を上げるような仕打ちを受けています。愛する母の命を奪って生まれた私のことを、世界の誰より憎んでいるのです――」
話しているうちに妙な感覚に囚われた。まるで父がまだこの世に生きているかのような感覚に。ステラは父ブラッドリーの遺体を一度も見ておらず、葬式にも参加できなかったことを頭の片隅で思い出していた。
「父に愛されず、虐げられるだけの私は、生まれてから一度も誰かに愛されたことはありません。そんな私でも誰かを愛し、愛されたいと願っているのです。けれど、父は私が幸せになることを許しません。憎き娘の幸福を奪わねば気が済まないのです。ですから、……ですから、父を打ち倒すだけの強さを持った勇敢な方がいれば、その方が私を父から救い出してくださるなら、私はきっと……」
舞台の上であれば、この後にサリヴァンがソフィアに対して父親を討つことを約束するのだ。しかし、ステラの父はすでに死んでいたし、サリヴァンの恰好をした男もとうにステラを救っていた。
「御父君を討ち果たせるほどの強さがあれば、どんな男でも構わないのですか?」
仮面と仮面がこすれ合った。唇に柔らかいものが触れて、ステラは息を止めた。唇が離れた瞬間、我に返ってキアランを突き飛ばした。
「こんなこと……! 本当にどうかしています、主人のためにここまでするなんて! 私、本当に愛人なんて要りません、誰かにこんな私を愛してもらえるだなんて期待してない! 愛人も忠実な騎士も形だけの夫も要りません。私は、ただ、独りになりたいんです!」
悲痛な声が夜空に響き、すぐに静寂が押し寄せてきた。だが、キアランが再び静寂を破った。
「……あなたは独りで居たいのではなくて、誰かに傷つけられるのを恐れているだけです」
ステラは顔がかっと熱くなるのを感じた。頭が真っ白になるほど恥ずかしく、惨めだった。誰にどうやって傷つけられたかをキアランに知られていることが、憎しみを覚えそうなほど嫌だった。
「お嬢様はいまだにご自分のお気持ちが分かっていない、本当に何もわかってない。あなたは寂しいんです、誰かと一緒にいたいんです。でも素直に自分をさらけ出すには傷つきすぎているから、誰も彼も遠ざけようとしているんです。俺ならあなたを傷つけませんから、俺が生涯お側におりますから、どうか――」
「キアラン」
ステラは夜風よりも冷たい声を放った。
「たとえあなたの言葉が真実だとしても、あなただけは選びません」
絶対に、と言ってキアランに背を向け、バルコニーを後にした。行くあてもないのに城の中を歩き続けた。にぎやかな会場の音がずっと遠くに聞こえるほど、頭の中がめちゃくちゃだった。起こったことの全てがステラの許容量を超えていた。
「――あの、そちらのレディー」
声を掛けられてはっと顔を上げると、目の前に茶髪の男が立っていた。貴族然とした佇まいだったが、気弱な空気を纏っていた。
「遅くなって本当に申し訳ないです。お会いできてよかった、道中馬車が故障して遅れてしまって――」
ステラは男の胸元にエメラルドのブローチを見つけると、慌てて男を手近な控室に引っ張り込んだ。急に連れ込まれた男は困惑しており、ステラも慌てて弁明した。
「すみません、どうしても会わせたくない人が来ているものでして……」
「そうだったんですね、お気遣いありがとうございます」
男は仮面を外すと、照れたように微笑んだ。
「改めまして、ジョシュア・ソフォンと申します。私が“氷の姫と黒の騎士”の作者でございます」




