この刹那に酔いしれて
仮面舞踏会はストーンフェルトの隣のリークンデールにある古城で行われた。夜の帳が下りた後、由緒ある城に仮面を付けた人々が集まる様は異様というほかなかった。
城のエントランスホールで、ステラは同伴者を待っていた。招待状は劇場の支配人を通じて小説の原作者の元に届いており、会場で落ち合うことになっていた。
顔の上半分は白い仮面で隠しているものの、同伴者に目印として伝えたオパールが中央に輝く真珠のチョーカーを付けていたので、おそらく見つけてもらえるはずだった。
大広間に向かって行く招待客たちがステラに好奇の視線を向けてきていることに気づき、扇を開いて口元を隠した。仮面も扇も、あまり意味がないのはわかっていた。珍しい銀髪までは隠し切れず、自ずと正体がばれてしまう。覚悟はしていたものの、妙な噂が立つことは避けられないだろう。
招待客たちを見送りながらしばらく待っていたが、ステラの同伴者はなかなか姿を現さなかった。会場の方では舞踏会が始まりそうな雰囲気があった。
今夜の目的は舞踏会ではなく正体を隠せる状況で原作者と会うことだったので、会えないなら舞踏会に参加する理由もなかった。
ステラはため息を吐き、ドレスの柔らかな光沢に視線を落とした。侍女のリリーとサロメが選んでくれた水色のハイウエストドレスは美しかったが、あまり心動かされなかった。
夜会に良い思い出はなかった。十七歳でデビュタントに参加してから何度も夜会に参加したが、エリオットのせいで散々な思いをした。公衆の面前で遠回しに馬鹿にされたり、数少ない友人たちと縁を切らされたりした。ダンスもエリオットのリードではうまく踊れなかったし、他の男性と踊るとエリオットの機嫌が悪くなって大変だった。おかげで人脈を作るのもうまくいかず、父ブラッドリーには激しく落胆される始末だった。
「……帰ろうかな」
そう独り言ちた時、視界の端に黒い靴のつま先が現れて、ステラはぱっと顔を上げた。思わず笑顔を浮かべていたが、すぐに硬直した。現れた男の黒い仮面の奥に見える瞳の色が琥珀色だったからだ。
ステラは信じられない思いで男の名前を呼んだ。
「キアラン……?」
キアランは騎士団の制服風の服の上からくるぶしまで届く長い外衣を羽織っており、そのどれもが黒かった。
舞踏会に人を潜り込ませるか遠くから影の騎士に監視させるだろうと思っていたが、まさかここ何日も会話もしていないキラアン本人が出てくるとは予想もしていなかった。
キアランは芝居がかった仕草で首を傾げた。
「仮面舞踏会では知り合いに会ったとても知らないふりをするのがマナーでは? 俺のことは、そうですね……。では、サリヴァンとお呼びください、見知らぬレディー」
わざとらしく言ってから、唖然とするステラの手を取って口づけた。
「エスコートを申し出てもよろしいでしょうか?」
「こ、困ります、待ち合わせしているんです」
「誰をお待ちになっているか存じ上げませんが、もう始まっているようですよ。ずっとこんな寒い場所にいらっしゃるおつもりですか?」
動揺したステラは言い返せず、キアランに手を引かれて会場へとエスコートされるしかなかった。
「どうして来たんですか、キア……サリヴァン?」
「さあ、なぜでしょうね。それよりレディー、お名前は?」
「そんなの何でもいいです、はぐらかさないでください」
「俺にとっては大事なことです。ではソフィアとお呼びしましょう」
ステラはめまいを覚えた。キアランの恰好も偽名も“氷の姫と黒の騎士”に出てくる黒の騎士サリヴァンそのものだったし、ステラがモデルになった氷の姫の名前はソフィアだった。
遅れて会場に入ってきた二人は、他の招待客たちの目を嫌でも引いた。仮面舞踏会ということもあって仮装している人は他にもいたが、キアランほど様になっている人はいなかった。
「もっと羽目を外した酷い会かと思っていましたが、意外と落ち着いていますね」
「……そうじゃないから来たんです」
「ソフィアはどうしてここへいらしたのですか?」
ステラはウエイターからグラスを受け取ってワインを飲んだ。妙に軽い飲み口のせいか、気分は少しも良くならなかった。
「そんなことより騎士様、皆さんがあなたを見ています。私に構っていないでどなたかをダンスに誘ってはいかがですか」
もう一口飲もうとすると、ひょいとグラスを奪われた。キアランがグラス越しに微笑む。
「それではソフィア、俺と一曲踊っていただけませんか?」
「私のことじゃありません」
「俺はダンスを習ったことがないのです。ソフィアはダンスが上手そうですから、どうか教えていただけませんか?」
「そこまで見抜けるなら、私がダンス嫌いなことまでわかるのではありませんか?」
白々しい態度にステラはいらいらしていた。ステラが夜会へ赴く時、キアランも護衛騎士として同行していたので、馬車に揺られるステラの憂鬱な顔を見ていないはずがなかった。
「お嫌いだったのは腑抜け野郎とのダンスでしょう?」
虚を突かれたステラは、ダンスに興じている人々の間に引っ張り込まれた。よろめいたのは束の間で、すぐに体をキアランに支えられる。優雅な三拍子の音楽に乗って、体が覚えているままにステップを踏んだ。
「お上手ですね、サー」
ステラはあきれ半分に言った。キアランはくすくす笑う。
「ここに来る前に叩きこまれただけの付け焼刃ですが、お褒めに預かり光栄です」
「私が教えられることはありませんから、次は別の方と踊れますね」
「生憎覚えたのはワルツだけですから、次の曲はきっと踊れません」
ついカドリールなどの簡単さについて説明しようとしたが、キアランに構ってばかりいられないのを思い出した。
「ではお喋りやゲーム、食事やお酒を楽しめばいいのです。向こうでは魔術師がショーをやっていますよ」
ステラは踊りながら周囲の男性たちの服を一人一人確認し、胸元にエメラルドのブローチを探した。だが、ホールには大勢の人がいて、エメラルドのブローチを付けた男どころかテレンスさえも見つからないほどだった。
「よそ見は危険ですよ」
急に抱き寄せられ、ステラは息を飲む。仮面同士がぶつかりそうなほどの距離だった。ステラの真後ろを別のペアが通り過ぎて行った。体が離れても、まだ胸がどきどきしていた。
「……あなたも暇ではないのに、何しに来たんですか?」
「お嬢様をお側でお守りできるまたとない機会ですから」
そうですか、とステラは努めて冷淡に言って会話を終わらせた。真面目に話をする気がない相手と話そうとするだけ無駄だ。
今すぐキアランの腕から逃れたかったが、曲の途中だったので仕方なくダンスに集中することにした。
視線も言葉も交わさずとも、息はぴったり合っていた。一歩を踏み出すたびにドレスと外衣の裾が混ざり合ってこすれ、互いの脚をくすぐるように絡みつく。認めたくはなかったが、キアランと踊るのは心まで踊るようだった。他人と呼吸を合わせて体を動かすことの楽しさを今まで知らなかったのだと思い知らされた。
ステラは、この音楽が終わるまでは目的を忘れて踊ることを自分に許した。




