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役者不足の主君と臣下

 ステラの元に舞台の脚本家から手紙が来たのは、観劇に行った日から十日後のことだった。封筒の封蝋に紋章もなければ差出人の名前も書かれておらず、その正体を示唆するものが一切ない徹底ぶりだった。手紙には自分が脚本家であり原作者であること、それからぜひお二人にお会いしたいと書かれていた。


 手紙を読み終えたステラは、仕事を中断して侍女のリリーと一緒にキアランのいる騎士団の訓練場へと向かった。騎士団本部は領主屋敷から歩いていける距離にあった。


「いいんですか、お嬢様。領主様からはあまり訓練場に来ないでほしいって言われてるじゃないですか」

「大丈夫です。私が訓練場に行くのは二回目ですから、言いつけ通りあまり来てはいません」

「もうお嬢様ったら……」


 そう言いながらも、リリーは騎士団の訓練場に着くと汗を流す騎士たちに興味津々な様子だった。


 ストーンフェルトが擁する騎士団はアウラ騎士団といった。見習も含め五十名と小規模だが、団長を務めるキアランの人気もあって、騎士団も評判がいい。平時は訓練に勤しみながら、日々領地の治安維持に当たっている。


 ステラがキアランの姿を見つけた時には、木剣の打ち合いをしているところだった。


 キアランが相手の木剣を叩き落とし、足を引っかけて転ばせた。尻餅を突いた相手の脚の間の地面に木剣が鋭く突き刺さる。相手は汗だくで息も絶え絶えで驚く気力も残っていないようだった。


「これが訓練じゃなかったらお前は死んでる、わかってるのか?」


 キアランは地面から剣を引き抜き、相手の太腿の横を剣で引っぱたいた。


「体力を付けろと言ったはずだが、全く向上が見られないな。俺が見てない間に訓練をさぼっているな?」

「ち、違います、本当に違います……」


 他の騎士たちも必死で首を振るが、キアランは納得していない様子だった。


「キアラン」


 ステラが呼び掛けると、キアランはぴくりと肩を震わせた。青ざめた顔で打ち合いを見守っていた騎士たちの表情がぱっと明るくなり、逃げ出すようにステラの方へ寄ってきた。


「ステラ様、こんなところにいらっしゃるのは珍しいですね」

「ご無沙汰しています、ステラ様」

「こんにちは、訓練お疲れ様です……」


 ステラが困っていると、キアランが咳払い一つで全員を黙らせた。


「全員訓練に戻れ。定刻になるまで続けろ」


 騎士たちはさーっとステラの周りからいなくなり、訓練場に戻っていった。リリーも空気を読んでその場を離れた。


 再び木剣を打ち合う音が響き始めると、キアランはまた咳払いをした。


「見苦しいところをお見せして申し訳ありません。何か御用でしょうか?」

「脚本家から手紙が届いたので早く伝えたくて来ました」

「……ここではなんですから、本部の中で話しましょう」


 ステラは騎士団本部の建物の中の団長室へと案内された。キアランの仕事部屋は領主屋敷にもあるが、騎士団長としての仕事の方が多いのでこちらの方にいる時間が多かった。


 部屋の奥には大きな両袖机があり、その手前に領地の地図が置かれたテーブルがあった。壁面には本や資料が収納されているが、入りきらないようで床にも積み重ねられていた。


 しばらくして手紙を読み終えたキアランの反応は芳しくなかった。


「お仕事中にわざわざいらっしゃるなんて、余程お喜びなんですね」

「キアランもあの小説が流行り始めた頃は作者を探し出してやりたいと言っていたではありませんか」

「今はもうそんなことは考えていません。お嬢様が私を遠ざけるためになさっていることを喜べるはずがありません」

「どうしてそんなに離婚を嫌がるのですか?」


 キアランは一呼吸置いてから答えた。


「お嬢様の身の安全のためでございます」


 今も昔も結婚した理由が変わらないことに、ステラは胸が痛むのを感じた。あの劇を見たせいだろうか。愛しているからだとか、そんな返事を期待していた自分がいた。


「では私が他の誰かに保護してもらえるなら続ける理由もないでしょう」

「しかし、作者とやらが本当にお嬢様を保護してくれるかは定かではありませんよね。手紙からわかるのは、この期に及んで名乗りもしない臆病者だってことくらいでしょう」

「それはきっと他の誰かの手に手紙が渡ってしまうリスクを考えたからです」


 どうですかね、と言ってキアランは肩をすくめた。


「それだけ徹底して自分の正体を隠す人がお嬢様を保護したとして、堂々と外を歩けるような生活をさせられるんでしょうか?」

「……もしできなったとしても、私もあなたも危険な目に遭うことはないでしょう」

「私にとって危険はさしたる問題ではありません。そもそもお嬢様と私の命の価値は違います。たとえ私が百回命を懸けたとしても、それはお嬢様の命の価値には遠く及びません」

「いいえ、同じです。同じ命です」


 ステラは自分の言葉がキアランを通り抜けたのを感じた。彼にとって自分の命は取るに足らないものであって、その考えを覆すのは不可能だと思えるほど強固だった。そんな風に彼の考え方を歪めたウィンターミュートの騎士見習教育がおぞましくて仕方がなかった。


「近頃はさる御方からの刺客も減りましたし、現状維持がお嬢様にとって最も安全です。私の元を離れたとしたら、今のような安全を維持するのは難しいでしょう。もしも離婚すれば民衆の好感や眼差しによる守りは消えますから」


 ステラが押し黙ると、キアランが吐息で笑った。仄暗い悦びが滲んだその笑声は、キアランのものとは思えなかった。


「キアラン、私を守るために人生を棒に振らないでください。こんなことをしてほしくてあなたに捕らえられたのではありません。せっかく功臣として取り立てられたのです。あなたの忠誠は王に捧げるべきもので、あなたの栄誉はあなたのものです。私のような不出来な主君を手放して自由になってください」

「要りません、そんなもの。あなたを手放して手に入る物など何も欲しくありません」


 真剣な眼差しに、ステラはどきりとさせられた。だが、酔いしれてはいられなかった。


「……きっと、自由を手に入れてみれば考えも変わります。私がいなくなってもキアランに不利益はありません。魔剣を持つあなたは王でさえ機嫌をうかがう立場です。そんなことは父にも不可能でした。私がいなくなっても領地のことは部下に任せられますし、キアランも別の女性と今度こそ普通の結婚もできますよ」


 黙って聞いていたキアランの表情は険しいままで、全く説得の効果が見られなかった。


 忠誠なんかのために人生を消費するよりずっと良いのに、と言いたい気分だったが、とても口に出せなかった。グラキエース城でもストーンフェルトでも、ステラの人生は数多の人々の献身によって支えられてきた。そんな自分が忠誠というものを軽んずることはできなかった。


「私から目を離すのが不安なんですよね。ごめんなさい……。でも、私も随分変わったと思いませんか? 自分が怯えていることも気づかないように生きていたあの頃と比べて、今は自分の感情を直視することも怖くなくなりました。全てここに連れてきてくれたあなたのお蔭です」


 キアランの手に触れようとすると、さっと避けられた。彼の手には手紙が握られたままだった。まるで信用されていないその態度に、血の気が引いた。


「これはお預かりしておきます。正体も明かせない臆病者にお嬢様を守ることなどできませんから、会うだけ時間の無駄です」

「返してください、それは私の手紙です……!」

「いいえ、お返しできません。そもそも作者の意図が世論操作だったかさえ定かではありません。相手が悪意を持ってお嬢様に近づく気かもしれませんよ」

「そんなこと確かめるまでわかりません。キアラン、私を本当に主君だと思っているなら返してください、それが騎士としてあるべき振舞いです」

「お嬢様こそ私を臣下だと思ってくださるならどうか忠言をお聞き入れください。今日までお嬢様をお守りしてきたのは私です」


 ステラは手紙を奪い返すことを諦め、キアランに背を向けた。


「もういいです。主君を信じられない騎士は要りません」


 投げつけた言葉がどれほど酷いものか理解していたが、自分を抑えられなかった。


「お嬢様……」 

「ついてこないでください。仕事に戻ります、付き添いは結構ですから」


 ステラはそのまま振り返らず団長室を後にした。本部の外でリリーが騎士たちとおしゃべりをしながら待っていたが、ステラの顔を見ておろおろし始めた。


「領主様と喧嘩でもされたんですか?」

「……ええ、そんなところです」

「お二人でも喧嘩することがあるんですねえ」


 リリーはステラよりも深刻そうな顔でため息を零した。

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