いつまでも変わらないもの
キアランに与えられたストーンフェルトは、生前のブラッドリーが持っていた子爵位の領地だった。首都からも程近く、王国中を結ぶ街道や運河も通っていたが、目立った産業もないためブラッドリーがあまり気を配らなかった場所だった。
しかし、古くは貴族たちの別荘地として名を馳せたこともあり、自然豊かで美しい場所だった。特に領主屋敷の周辺は風光明媚で、川の水も澄んでいた。
領主屋敷に着くと、ステラは緊張の糸が切れたせいか高熱を出して数日寝込んだ。熱にうなされ目覚めるたびにグラキエース城にいるのではと怯えたが、領主屋敷の一室にいることに安堵して目を閉じた。
寝込んでいることに嫌味を言われたり意地悪をされたりするのではとびくびくしていたが、それは杞憂だった。領主屋敷の使用人たちは優しく、ステラに対して節度を持って接してくれた。食べ物も口にできないものは出されなかったし、風呂のお湯に変なものが混ざっていることもなかった。
ステラが回復すると、誰より喜んだのはキアランだった。彼はステラを心配するあまり一日一回は部屋に来て様子を見たり、使用人たちにしきりに様子を聞いたりしていたらしかった。
「お元気になられてよかったです。本当にいろんなことがありましたし、急にこちらにお連れしてしまったので疲れが出たんでしょう。今後も私に気遣いは不要ですから、体調が優れないときにはすぐに教えてくださいね」
気遣ってくれるキアランの言葉に、ステラは静かに感動した。
グラキエース城にいた時は、キアランはステラの不調に本人より先に気づいてこっそりと声を掛けてくれていたものだった。しかし、父の目がなくなった今、誰にも憚ることなくそれを口にできるようになったのだ。
ステラはしみじみ言った。
「……キアランは、本当に領主様になったんですね」
「……お嬢様、まだお加減が優れませんか?」
「もう大丈夫です。ただ、あなたが城にいた時と違うと思っただけです」
キアランはなぜか悲しそうな顔をしたが、その表情はすぐ笑顔によって隠された。
「お嬢様ももう城にいた頃とは違っていますよ。表情が明るくなりました」
ステラは自分の顔に手を添えてみたが、何か変わった気がしなかった。そもそも表情が乏しく何を考えているかわからず不気味と言われてきたので、明るくなったと言われても実感がわなかった。
「お嬢様、お元気になられて早々申し訳ないのですが、一緒に教会に行っていただけませんか?」
「仕事ですか?」
「いえ、その、一応陛下にお嬢様を妻に迎えたいと言った手前、形だけでも式を挙げて結婚誓約書を作らないといけなくて……」
「わかりました」
ステラが二つ返事で了承すると、キアランは複雑そうな顔をした。
「お嬢様、ご自身が私の言う事にほとんどすべて分かったとしか答えていらっしゃらない自覚はおありですか?」
ステラはしばらく考えてから言った。
「そうですね。それがどうかしましたか?」
「本心から問題ないと思っていらっしゃるならいいですが、そうでないなら嫌だと仰ってほしいんです。後になってからやっぱり嫌だったと思っても教えてください。お約束いただけますか?」
「わかりました」
また言ってしまった、とステラは焦ったが、すぐにキアランが笑ったのでほっとした。
二人でストーンフェルトの街にある教会へ赴き、結婚式を挙げた。執り行う司祭と二人だけの式だったが、ステラは全く不満ではなかった。
帰路に就いて指輪に触っていると、キアランが恐縮した様子で謝ってきた。
「間に合わせの指輪で申し訳ないです。後日もっと良い物を改めてお贈りします」
「気に入ったのでこのままで結構ですよ」
「嫌なら嫌と仰ってくださいとお願いしたではありませんか。宝石も付いていないですし、お嬢様には他に相応しいものが……」
「私の気持ちよりも私に相応しいかが優先されるんですか?」
言ってから、おかしいと思った。それは明らかに失言であり、相手の機嫌を損ねるもので、手を上げられてもおかしくなかった。だが、ステラはそれを理解したうえで口にしていた。
「今の言葉は忘れてください。先ほどの結婚式を以てあなたは私の夫であり、主人となりました。キアランの好きにしてください」
キアランはしばらく悩む様子を見せたが、やがて頷いた。
「わかりました。指輪はこのままにしましょう」
「はい、大事にしますね」
ステラが微笑むと、キアランの耳が赤くなった。照れているのだとすぐにわかる。
彼は何を考えているのか、どう感じているのかがわかりやすい。そういうところが一緒に居て安心できるところだった。無表情だったり感情を隠すのが上手な人は、予想できないタイミングで激昂したり殴ったりしてくるから苦手だった。キアランに手を上げられたことはないが、彼のような人であれば身構える時間くらいはあるだろう。
屋敷に戻ると使用人たちが口々にお祝いの言葉をかけてくれた。ステラは生意気だと思われないよう控えめにお礼を言った。
彼らが優しく接してくれるのは主人であるキアランのお蔭だ。誰も雇い主の機嫌を損ねるような真似はしない。人の本質は誰も彼もそう変わらないものだ。ここに居る人々も、グラキエース城で父に仕えていたならば、ステラに冷たく当たっていたことだろう。
「キアラン、そろそろ仕事を下さい」
キアランはあからさまに嫌そうな顔をしたが、しぶしぶステラを執務室に案内してくれた。執務室は雑然としており、机や床にも書類が落ちていて、この部屋の主が慌てて出て行った様子が目に浮かぶようだった。
「ここに置かれていた領主代行が行方をくらまし、その後あらゆる全てが滞っているそうです。私も屋敷に着いてから状況を聞きましたが、私の手ではどうにもなりそうもなく……」
「代行が消えたのはいつ頃ですか?」
「お嬢様がこちらにいらっしゃると聞いて消えたそうです。領主代行がウィンターミュートの娘と関わって要らぬ疑いをかけられたくないと」
「そうでしたか、用心深い人ですね」
ステラは何も感じなかったが、キアランはしょんぼりとしてしまった。
ステラは床に落ちていた書類を拾い、文面にさっと目を通した。予算関連の書類のようだったが、これだけでは状況は理解できなかった。しかし、手伝うと言った手前、不安は口にできなかった。
「ひとまず掃除が必要ですね。それから元領主代行の部下や役人たちを招集してください、話を聞いて状況を整理するところから始めます」
承知しました、とキアランは招集をかけるために執務室から出て行った。ステラが掃除を始めると、キアランに呼ばれた使用人たちが執務室にやってきて手伝ってくれた。
執務室がすっかり綺麗になると、ステラはそれだけで大きな達成感を覚えた。昼下がりの光が差し込む部屋で一人、窓から吹きこんでくる新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込めば、不安が和らぐのを感じた。
ストーンフェルトは父が気にかけなかっただけで不毛の土地ではないし、不便な場所でもない。至高の大公と呼ばれた父のようにうまく領地運営ができる自信はなかったが、働くと言った以上、キアランの為にもストーンフェルトのためにも尽力していくしかなかった。
「お嬢様、もう掃除が終わったんですか?」
部屋に戻ってきたキアランがすこし残念そうに言った。手伝うつもりで戻ってきたのだろう。
「皆さんが手伝ってくれたおかげで終わりました」
「では、役人たちが来るまでお茶にしませんか?」
「そういうわけにはいきません。すでに寝込んでいて時間を無駄にしてしまいましたから、これ以上無駄にするわけには……」
お嬢様、と言ってキアランはステラの手にあった書類を取り上げてしまった。
「どうかそんなにご自分を追い詰めないでください。この領地も屋敷も、すべてお嬢様が御身を擲って私に与えたものです。そして私は生涯あなたに仕える身です。たとえ働かなくても、ずっとここに居てくださっていいんですよ」
そんなことを言われたのは生まれて初めてだったので、ステラは反応に困ってしまった。居場所とは努力や将来と引き換えに手に入れるものだと思って生きてきた。何もしなくても居ていい場所があるなんて、易々と信じられなかった。
「人を送りましたがすぐには役人たちも来ませんし、お嬢様も病み上がりでしょう。あと少しくらい大丈夫ですから、ね?」
「……はい」
とうとうステラが頷くと、キアランはくしゃっと笑った。
キアランはグラキエース城でもここでも、ステラに対して優しいままだった。どんな環境に身を置こうとも軽やかでしなやかな芯が曲がることがない。その強かさが、琥珀の瞳の光が、ひたすらに眩かった。
次回更新は11/1ごろを予定しています。




