↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

堕ちた星は空を見上げる

 幽閉か、修道院送りか、処刑か――と暗澹たる気持ちで過ごしていたステラが監獄から出されたのは、夏も終わりの頃だった。


 牢から出された後、日々見張りをしていた兵たちには丁重に挨拶をした。


 牢に入れられたばかりの頃は彼らも冷たかったが、最終的にはかなり同情的になっていた。特にエリオットがステラの助命嘆願をする気がないと判明したのが大きな変化の要因だったらしい。未来の王妃として寄せられていた期待が同情に形を変えて、彼らは外の情報を教えてくれたり話し相手になってくれたりした。


 外に出ると、眩しい日差しが目を刺した。首都は晩夏といえども気温が高く、連行されてきた日の凍えるような寒さが遠い昔の事に思えた。


 ステラはぼんやりと青空を眺めた。キアランに身を差し出した時、死を覚悟していた自分が再び日の当たる場所に出ることができたのは、夢の中の出来事のようだった。


 一方で途方に暮れてもいた。生まれてからずっと定められた道を歩いてきた。王太子と結婚し、行く行くは王妃となり、子を産んでと、予定されていた将来は全て消えた今、どこへ行って何をすればいいかわからなかった。


「お嬢様!」


 大声で呼び掛けられ、ステラはぎょっとした。一瞬、誰に呼び掛けられたかわからなかったが、駆け寄ってくるキアランの姿が目に入った。グラキエース城でステラの名前を呼ぶのは彼だけだったので、ステラは余計に混乱した。


 キアランはステラと向かい合うと、大粒の涙を流した。髪の癖がいつもより大人しいせいか、彼の姿は雨に打たれた哀れな犬のように見えた。


「お嬢様、もっと早くに牢から出してさし上げられず申し訳ありませんでした。大変な思いをさせてしまい、こんなことになってしまって、本当に……」


 男性が人目もはばからず涙を流している姿を見たのは初めてだったので、しばらくステラは呆気に取られていた。そのせいで、どうしてステラと呼ばないのか尋ねる機会を逃してしまった。


「私は平気です。監獄でも丁重に扱ってもらいましたし、こうして外に出られましたから。それよりキアラン、私を妻にしたいという願いを叶えてもらったと聞きましたが、まさか私を助けるためですか?」


 監獄でその噂を聞いた時も、王命を言い渡された時も、ステラは信じられなかった。キアランにはこれまで何度も助けられてきたが、今のステラは何の後ろ盾もない無一文の貴族でもないただの人間であるし、褒美には値しない上に助けても何の見返りも与えられなかった。


 キアランは、涙に濡れた顔を苦痛に歪ませた。


「はい。お嬢様が処刑されるかもしれないと聞いて、陛下に願い出ました。何の罪もないお嬢様だけは絶対に助かるはずだと考えていた私が浅慮で愚かでした。しかもこんな手段に訴えることしかできませんでした。私はどれだけ謝っても足りないほどの罪を重ねました、さぞ恨んでおいででしょう」

「……キアラン。どうか謝らないでください、私はあなたを恨んではいません。ウィンターミュートが滅んで、お父様がいなくなって、一番安心しているのはきっと私ですから」


 ステラは自嘲気味に言った。


 父ブラッドリーが亡くなったと聞いたのは、牢に入れられた後のことだった。勉強や稽古を頑張ればいつか自分を見てくれるはずだと思っていた時もあったが、とっくに諦めた後だったので、もう怒鳴られたり殴られたりしなくて済むと安堵しただけだった。


 しかし、後々ステラも王家諸共に始末する計画であったことと、会ったこともない隠し子の弟に愛情を注いでいたことを聞いた時には、頭を殴られたような衝撃を受けた。最初から希望などなかったのだと、本当に憎まれていたのだと受け入れるしかなかった。そして、完全に父への情は失われた。


「もしも誰かを恨むとすれば、キアランではなく……」


 頭に浮かんだのは、王や王妃でもなく、エリオットの顔だった。


 お前が妃となり、私にとって有用であるならば愛してやろう。


 いつかの言葉が耳の奥で響いた。婚約者でもなくなり全てを失ったステラが捨てられるのは明白だったのに、それでも一縷の望みを抱いていた。エリオットが冷酷であることを誰より知っていたはずなのに、自分の愚かしさにはほとほと嫌気がさした。


「何でもありません。とにかく、私はあなたを恨んでいません。こうして助けてくれなかったとしても、恨むことはなかったでしょう」


 キアランは安堵の笑みを浮かべ、涙を拭った。


「情けないことですが、恨まれていないとわかって生き返った心地がいたします。さあ行きましょう、お嬢様」

「どこに行くんですか?」

「ストーンフェルトという地です。私に与えられた領地です」


 離れたところに停まっていた馬車に乗せられ、監獄から離れていった。いささか性急な出立である気がしたが、首都に残る理由もなかったので、あえて口にしなかった。


 ステラは窓から首都の街並みや遠くに見える王城を眺めた。天気が良いせいか、いやに輝いて見えた。ふとキアランに見つめられていることに気づき、

「どうかしましたか?」

「すみません、無礼でした。城を見つめていらしたので、何をお考えなのか気になって……」

「もう城に行くこともないのだろうと考えていました。いつかあそこに住むと思って生きてきましたから。今はとても不思議な気分でいます、これからどこで何をすればいいのか――」


 わからない、と言いかけて、ステラははっとした。


「どこで何をすればいいかは明白でしたね。私はあなたの妻ですから、領地運営を手伝えばいいのでしょうか?」


 キアランは優秀な騎士だが、爵位を得て領地運営をするとなると求められる能力は全く別ものである。貴族の子息子女は領地や城の運営について幼いころから学ぶが、平民にはそういった教育は施されない。


 ステラも王太子妃、そして王妃となるために様々な学問を修めてきたため、国家と一領地という規模の差はあるものの力にはなれそうだった。


 一度納得したものの、ステラは首を傾げた。


「もしかして、私の力を借りるために危険を冒してまで妻にしたんですか?」

「違います」


 即座にキアランは否定した。しかし、続く言葉からは勢いが失われていた。


「ただ、本当に、あなたの命を救いたかったんです。それだけが私の望みでした。私は裏切り者ですが、王家に仕えているのも成り行きに過ぎません。王家の僕となったのは十歳の頃で、父に売られたためでした。こんな私を信用できないと思いますが、今度こそ本物のあなたの騎士になりたいんです」


 真っすぐな、しかし潤んだ琥珀色の目に見つめられて、ステラは内心動揺していた。


 まただ、と思う。キアランがウィンターミュートを裏切ったと気づいた時にも激しく動揺させられた。その結果、あの時は合理的な判断ができなかった。


「父でもなく陛下でもなく、私に忠誠を誓うのですか? なぜですか、私には何もないのに……」

「全てをお持ちでも何も持たなくとも関係ありません。お嬢様は誰より高潔で、強く優しい御心の持ち主です。あなたこそが我が主君です。この生涯を懸けて忠誠を証明いたしましょう」


 キアランの行動原理が忠誠心だとわかると、彼の不可解な行動も全て納得できた。だが、忠誠心は対価もなしに捧げられるものではないことを、ステラはよく知っていた。


 ウィンターミュートの騎士たちが犬と揶揄されるほどブラッドリーに忠誠を誓っていたのは、ウィンターミュートの高貴な血に仕える騎士としての栄誉、そして他の騎士団とは桁違いの俸給にあった。


 今のステラは、当然俸給を支払えない。ウィンターミュートの財産は差し押さえられたし、そもそも長男でないステラには相続権もなく、軒並み処罰され力を失った親類も頼れなかった。


 高貴な血は残っているが、それだけだ。騎士としての誉れを与えることができても、食べていけないし、生きていけない。いずれ時が経てば勲爵士としての栄誉だけが彼の自尊心を満たし、没落した貴族の娘などいらなくなるだろう。


 キアランに捨てられるかもしれないと考えるとぞっとした。城で息を潜めて生きていたときとは違い、今は捨てられる悲しみを知ってしまった。仕えるに値しない主君だと見限られる前に、有用な人間だと認識してもらわなくては、同じ轍を踏むことになる。


「わかりました。でも、命を救ってもらったお礼として領地運営の手伝いはさせてもらいます」

「承知いたしました、お嬢様のお望みどおりにしてください。ですが、ストーンフェルトに行ったらまずお嬢様はゆっくりお休みください。監獄で丁重に扱われたと仰っていましたが、気が休まらなかったでしょう。気力が回復されてからこれからのことを考えましょう、それからでも遅くはありません」


 頷いてみせるとキアランはにこやかに微笑んだが、ステラは漠然とした不安を覚えていた。不確かな未来というものが恐ろしかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。