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 しかしその思惑は全て杞憂に終わった。

 朱里は翌日から、どこか吹っ切れたようにギターを弾きまくり、背中に怒りを纏わせながらパソコンに向き合い新たな作曲も始めた。

 その姿を見て三人はとりあえず安堵した。

 朱里の恋愛がどうなろうと知ったことではないし、ましてや実兄に対して恋愛感情を抱いていたということ自体がどう考えたって気狂い同然のことであるので、もちろん朱里に同情をしたわけではない。ただただバンドが継続できることに安心したのである。

 朱里が東京での初ライブを終えた翌日、大泣きしながら東京に帰ってきたことは即座になかったこととされ、再びバンド活動は東京でのライブの反省を踏まえた形で再始動していった。

 そうして、いよいよその先陣を切ったのは朱里である。従来のように単に作曲をするだけではなく、各パートごとに細かな注文を付けだした。その眼差しには執念に近いものがあり、大地もその変貌ぶりにはさすがに舌を巻くのだった。

 大地にはブレスの箇所もその方法も、逐一スコアに書き込まれた形で提示され、ルアンもシンバル、スネア、バスそれぞれの大きさにもあれこれ注文が付けられ、シンバルの消音のタイミングまで事細かに決められた。辛うじてほとんどうるさく言われなかったのは大河だけだが、それはそもそも大河が原曲に忠実たるべく以前から務めていたせいでもある。


 「あいつ、突然どうしたんだべ。注文細かすぎだべ。」朱里がバンド練習の休憩時間にトイレに行ったのとこれ幸いと、こっそりと大地は残された二人に耳打ちした。

 「東京さ行っで、なんが覚醒した感じすっどな。泣きべそ掻いて帰ってきだくせに。」朱里の注文通りに叩くことにはまだまだ程遠いルアンも即座に同調してみせる。

 「ありゃおそらぐ……」大河が遠くを睨みながら「あんちゃんが影響してべ。」

 「またあんちゃんか?」大地が呆れて言う。

 「あんちゃんあんちゃんうっせえよ。いづまで言ってんだよ。しっくり返っだって(注:引っくり返ったって)弟はあまっこ(注:彼女)にはなれねえべよ。馬鹿でねえべか!」とやけくそめいてルアン。

 「違うべよ。あまっこになんでなくって、……ありゃあ」少し言葉を選びつつ、「あんちゃんごどやっつけてえんだっぺ。」

 「はあ?」期せず二人の声が重なった。

 「……あんちゃんらよりかっけえバンドにして、客さ集めて、東京でもそれがら外国でもライブやって、って見返してやりてえとでも思ってんだっぺ。だから曲のクオリティ上げだぐって、色々細けえこと言い出したんだっぺ。」

 大地とルアンは顔を見合わせる。

 「……そら、いいな。」大地がほくそ笑んだ。

 「いい。」ルアンもにひひ、と下卑た笑いを浮かべながら頷く。

 「あんちゃんよりかっけえバンドって、いいべな。」大地がガッツポーズを取った。

 「いい!」ルアンも続く。

 「ほっだら作戦なら俺ら知らんぷりして、おどなしぐ朱里の言うこと聞いてやっぺ」

 「ほだよ! 朱里様の言うこどは絶対でござりますって顔してぶっ叩いてやっぺ!」

 歓声を上げて大地とルアンは抱き合った。そこに朱里が戻ってくる。不思議そうに二人を眺めた。

 「ほれ、朱里、とっどどギターさ持で! 練習始めっぞ!」大地の言葉に朱里は目をしばたたかせた。


 朱里の失恋事件の後、下妻の町は賑わいを増していた。というのも花火大会の日が近づいてきたのである。各地区ごとに山車が作られ、女たちは揃いの浴衣を作って千人躍りの準備に余念がない。砂沼はぐるりと一周華やかな商店街の提灯に囲まれ、にわかに幻想的な風景が醸し出されていた。

 もうあまり砂沼で遊ぶようなことがなくなった大地らも、この時期ばかりは花火大会に期待を寄せ、その日を心待ちにしていた。

 花火大会を翌日に控えたある日のこと、いつものようにバンド練習に励んでいると、休憩中に朱里が大地にスマホの画面を見せた。

 ——明日二人で花火見に行きたいーー

 チューニングをしていた大地は、顔を上げて何でもなさそうに「いいど」と答えた。

 毎日朝から晩まで練習に勤しんでおり、特に朱里は神経を尖らせて各パートにまであれこれアレンジを加えさせているのだから、たまには息抜きも必要であろうと思えたし、今までだって別に練習以外でどこかに出かけることも珍しいことではなかった。特に朱里は下妻市内では有名な「粉とクリーム」という一見変わった名前のパン屋の、ダークチェリーパイが大のお気に入りで、よく練習が終わるとおやつ代わりに買いに行きたいと大地を誘うのだった。

 ——7時に迎えきてーーと追加のメッセージを見せた。

 「わがっだ」

 翌日は夕方までの練習とし、朱里は練習が終わるとさっさと母屋に戻った。大地も一旦家に帰り、ギターを置いて少々の腹ごしらえを済ませると再び朱里の家、——今度は母屋の玄関を開ける。

 「朱里—、迎え来たどー!」

 すぐに奥から足音が聞こえた。見ると、そこには白地に桔梗の模様の入った浴衣姿の朱里がいた。つい先程とは打って変わって、髪も一つに結び簪なんぞ刺して顔つきも変わって見える。大地は遠慮なくじろじろ見やって、

 「おめ、お装り(注:おつくり→化粧)しだのが!」と言った。

 朱里は恥ずかし気に伏し目がちになり、玄関に用意された赤い鼻緒の下駄を履く。細身の体に白地の浴衣はよく似合っていた。

 大地はなんだかいつもとは違った風の朱里を珍しいものでも見るように隈なく見渡し、「……いんや、別嬪だなぁ。見違えたもんだべ。」と思わず呟いた。

 外に一歩繰り出すと、普段はとてもお目にかかれないような人の多さである。大地は朱里の手を握った。

 「こんなん人いっぱいじゃあ、はぐれっちまうかんな。手つないで行ってんべ。」

 朱里は俯いたまま頷く。

 まだ花火は上がっていないものの、屋台が所狭しと立ち並び、砂沼の畔にはシートが並べられ、間もなく始まる花火に向けて期待に満ちた会話が弾んでいる。

 「もうこの辺はいっぱいだなぁ。どこで見べ? 野球場の方さ行ってみんべか? それとも砂沼庵の方がいがっべが?」

 朱里は何とも答えず、代わりにぎゅっと手を握り締める。

 「んじゃ、砂沼庵ぐるっと回って、あんまし混んでたら野球場の方さ行ってみんべか。」

 歩きながら、朱里の下駄がからからと乾いた音を立てている。

 「足、痛ぐねか?」

 痛くない、そんな目で大地を見つめる。いつもより顔が近い。大地もまじまじと見返す。いつもより肌は色白でそして口紅を塗った唇は妖艶に見えた。

 日頃から茶屋として地元のじいちゃんばあちゃんたちに人気の砂沼庵は、案の定既に先客でいっぱいだった。

 「ちっと遠いが、野球場のベンチの方さ行ってみっが。結構あすこは穴場だがんな。」大地は朱里の手を握って歩き出す。

 いよいよあたりは暗くなり、人もどんどん増えてくる。屋台も準備を終えて、元気な声を発し始めた。

 朱里はどこか楽し気に店店を眺めている。焼きそば屋、たこやき屋、お面屋、どれもこれもが眩しいほどに輝いて見える。

 「おめ、腹減ってねえが?」

 そう問われ、朱里はりんご飴屋の前で足取りを緩めた。

 「りんご飴食うか?」

 朱里は頷く。

 「よし、買ってやんべよ」

 もしかしたら自分に見せるためにわざわざ浴衣に着替え、髪も結わいて顔にも化粧を施してきたのかもしれない、と思うと大地は朱里に何かしてやりたかったのである。

 りんご飴を渡され、朱里は少し嬉しそうに見えた。早速少しずつ、少しずつ、齧り始める。

 「俺も何か食うかなあ?」大地はそう一人言ちてきょろきょろと見慣れたはずの風景を見回す。「俺小っちぇえ頃、祭りでばあちゃんにイカ買ってくろっつったら、たんまり10枚も買ってくれでよお、大河にもくれてやらねえで一気に食ったら気ん持ち悪くなって、砂沼庵でゲロ吐いてんで。」

 なぜ隣で人がりんご飴を食べているのにゲロを吐いた思い出話をするのか、と一瞬非難めいた眼差しを大地に向けたが、全く気付くこともなく大地はさらに生き生きと話を続ける。

 「それ以来イカ食いてえってなんなぐなったけど、今はちっと食いてえな。あつこでイカ売ってやがる! 食ってもいいが?」

 吐くなよ、朱里は大地を見つめてOKを出した。

 大地はイカの姿焼きを、朱里はりんご飴をそれぞれ食べながら野球場の前にたどり着いた。さすがに砂沼の端にまでくると人もまばらであった。早速花火を眺められる特等席のベンチに腰掛け、花火が上がるのを待った。

 「いんや、毎年のごどながら凄ぇ人だべなぁ。こんなに下妻さ人来んのって凄ぇよな。」

 朱里はじっと耳を澄ませている。

 「でもよお、こん中で俺らのこと知ってるやづはいねべ? あんちゃんのごどは知ってるやづいっかもしんねえけど。俺らも人に知られるようになってよお。おめの曲、みんなが聴いてくれるようになるといいよなあ。」

 しんみりしかけたその時、大会の開始を告げる花火が上がった。朱里は思わず驚いて身を震わせる。即座に大地が背を抱いた。

 目の前では次々と花火が上がっていく。朱里はりんご飴を齧るのも忘れ、夜空を彩る花火に見入った。

 心臓が高鳴り続けるのは花火の鮮やかさ、音、それだけではないかもしれない、と朱里はふと思った。そして大地の肩に頭を傾ける。別に避けもしなかったので、そのまま顔と腕をくっ付けた。じんわりと体の温かさが伝わってくる。

 大地の顔を見ると嬉しそうに花火を見上げていた。時折「はあ、すっげえな。でけえな。」そんなことを呟きながら。


 花火は2時間程で終わった。

 再び大地は朱里の手を繋いで帰途についた。観桜苑を通過しようとした時ゴミ箱を見つけ、大地は食べ終えたイカの串を放り入れる。

 「捨ででやっから、寄越せ。」

 朱里の手に握られているりんご飴の串を求めた。しかし朱里は首を横に振る。

 「ゴミ箱あっど? 捨てねのが?」

 朱里は頷く。

 「……ふうん。」大地は不思議そうに鼻を鳴らす。

 街の昂奮が闇に紛れつつ、次第に冷めていく。こうして一年後まで砂沼は静けさを保ち続ける。ただただ筑波山をその湖面に映すばかりの静かな日々が。


 二人は朱里の家の前に戻ってくる。

 大地は朱里の目を見つめた。ふと、唇の端にりんご飴のシロップが付いているのに気付いた。それは子供じみた印象と艶めかしさの両方を感じさせるもので、とてつもなく魅力的に思えた。思わず大地は朱里の脣にそっと口づけをし、シロップを舐めとった。

 朱里は今度は嫌がらなかった。少々嬉しそうに見えたのはまだ残っていた屋台の灯が見せた幻のせいか、単に大地の見間違いか。

 「じゃあ、また明日な。」

 大地はそう言って帰っていった。

 朱里は帰宅するや否や、りんご飴の竹串を台所で丁寧に水洗いし、そのまま部屋へ持ち帰るとそっとドレッサーの引き出しの中にしまい込んだ。そして目の前の鏡を見て、自分の頬が赤く染まっているのを知った。

 帰り際、大地は朱里の部屋を見上げて今更ながら気づいた。

 ーーあいづ、自分の部屋からよーぐ花火見れんでねえか。わざわざ砂沼さ行がねでも、自分の部屋が一番の特等席でねえか、と。

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