第八話
僕の部屋には秘密がある
気づいたのは、梅雨に入ったある朝のことだった。
目が覚めて、今日は誰がいるかを確認しようとしたとき、ふと思った。
今週の月曜日、美香が来た。
火曜日、美紀が来た。
水曜日、美香が来た。
木曜日、美紀が来た。
そして今日、金曜日の朝——隣から伝わる体温の質感で、今日は美香だとわかった。
(……一日おき、だな)
(……偶然か?)
ベッドから起き上がって、机の上のカレンダーを見た。
先月のページを思い返す。先々月も。
(……ほぼ、一日おきだ)
(……ほぼ、例外なく、交互に来ている)
これは偶然ではない。
そんな気がした。
でも、示し合わせているわけでもないはずだ。二人がそういう相談をしている場面を、俺は一度も見たことがない。
(……無意識にシンクロしているのか。それとも、どちらかが相手の動向を把握して、ずらしているのか)
答えは出なかった。
美香がまだ眠っていたので、俺は一人で考えながら天井を見ていた。
*
その日の帰り道、俺は美香に聞いてみた。できるだけ遠回しに。
「なあ、美香」
「なに?」
「最近、毎日来てるよな、俺んち」
「来てるよ。楽しいし」
「美紀とは、被らないな」
美香が少し間を置いた。
「……そう? 偶然じゃないの?」
「一ヶ月以上、一日おきだ」
「え、そんなに数えてたの? キモ……じゃなくて、几帳面だね博之は」
「数えてたわけじゃなくて、気づいたんだ」
美香がうーんと考えるような顔をした。でも目が少し泳いでいた。
「……まあ、だって」
「だって?」
「博之は一人しかいないじゃん。別に二人で取り合いしてるわけじゃないけど……なんか、かぶるのも悪いなって」
(……やっぱり、意識してたのか)
「美紀は? 美紀も同じように考えてるのか」
「さあ? お姉ちゃんのことはお姉ちゃんに聞いてよ」
「お前が知らないはずないだろ」
「……知らないよ、別に」
美香が少し唇を尖らせた。知っている顔だった。
(……美香は嘘が下手だ。怒っているときより、隠しているときの方が顔に出る)
「……寂しいんだよ、博之のことが」
美香が唐突に言った。
「だから来てるの。それだけ。難しい話じゃない」
それだけ言って、美香は少し早足になった。
俺はその背中を見ながら歩いた。
(……寂しい、か)
(……「博之のことが」という言い方が、少しだけ引っかかった)
*
翌日、美紀とふたりで帰る機会があった。美香が部活の用事で残ったためだ。
二人で並んで歩きながら、俺は同じことを聞いた。
「美紀、最近、交互に来てるよな。美香と」
「……そう?」
「一ヶ月以上、一日おきだ」
「……よく見てるね」
「気づいたんだ。意識してたのか?」
美紀が少し黙った。
雨上がりの道を、傘を畳みながら歩いていた。
「……別に眠れない理由が続いてただけ」
「一日おきに眠れない理由がある?」
「……うるさい」
美紀がそっぽを向いた。
でも否定はしなかった。
(……美紀も意識していた。やっぱり)
(……示し合わせているわけではないが、二人とも相手のことを考えながら来ていた)
(……つまり、どちらも「来ること」を選んでいる。無意識じゃなくて、意識的に)
「美香に何か言われた?」
「少し聞いた」
「……何て言ってた」
「寂しいから来てる、と言っていた」
美紀が少し、足を止めた。
それからまた歩き出した。
「……美香らしい」
「美紀は?」
「……私は」
美紀が少し考えてから、小さく言った。
「……眠れないと来てしまう。気づいたらそうなってる」
「それは美紀らしいな」
「……どういう意味」
「素直じゃないってこと」
「……うるさい」
美紀が再びそっぽを向いた。でも今度は、耳が赤かった。
*
その夜、俺は一人で部屋にいた。
今日は誰も来なかった。
珍しいことだった。でも二人とも、今日は会って話していたから、来ないと判断したのかもしれない。
静かな部屋で、俺は考えた。
(……美香は「寂しいから来てる」と言った)
(……美紀は「眠れないと来てしまう」と言った)
(……どちらも、来ることを「選んでいる」)
偶然ではなかった。
習慣でもなかった。
二人とも、俺のところに来ることを、意識的に選んでいた。
(……つまり)
(……二人とも、俺を意識している)
わかっていたことだ。
なんとなくはわかっていた。
でも、こうして確信になると、また少し重みが違った。
(……美香のことも、美紀のことも。どちらも、大切だ)
(……でも「大切」じゃ足りない何かがある。それがなんなのかは、もうわかっている気がする)
(……ただ、言葉にするのが、まだ怖い)
窓の外で雨が降り始めた。
梅雨の夜の雨音が、部屋に染み込んでくる。
俺は机に向かって教科書を開いたが、雨音を聞きながらぼんやりしていた。
*
深夜、十二時を過ぎた頃。
雨はまだ降っていた。
合鍵の音がした。
足音が階段をのぼってくる。今夜は来ないと思っていたが、来た。
ドアが、静かにノックされた。二回。
「……起きてた?」
美紀だった。
今夜も部屋着で、髪をおろしている。でも今夜は、少し様子が違った。
いつもはすっと部屋に入ってくるのに、今夜はドアの前で少し立ち止まっていた。
「……入っていい?」
「ああ」
美紀が部屋に入ってきた。ベッドの端に腰を下ろして、少し俯いた。
「……今日、昼間に話したこと」
「ああ」
「……気にしてる?」
「何を」
「……意識してたって、わかったこと」
俺は少し考えてから答えた。
「気にしてない。むしろ、ちゃんとわかってよかった」
「……なんで」
「曖昧なままでいるより、わかっていた方が、ちゃんと向き合える気がするから」
美紀が少し黙った。
雨音だけが聞こえていた。
「……博之」
「なに」
「……私が来るの、迷惑?」
俺は即座に答えた。
「迷惑じゃない」
美紀が顔を上げた。少し驚いた顔をしていた。
「……即答だった」
「本当のことだから」
「……そっか」
美紀が小さく息をついた。安心したような、でも少し困ったような息だった。
「……眠れない」
「そうか」
「……横になっていい?」
「いつものことだろ」
美紀が「……うん」と言って、ベッドに横になった。
俺も電気を消して横になった。
雨音が、部屋を包んでいた。
*
暗い部屋で、二人で天井を見ていた。
「……雨、好き?」
美紀が聞いた。
「嫌いじゃない。静かだから」
「……私も。考えやすい」
「何を考えてる」
「……いろいろ」
「またそれか」
美紀が「……またそれ」と繰り返した。俺の言い方を真似したのか、自分で言って少しおかしくなったのか、微かな笑い声が聞こえた。
(……笑った。また笑った)
(……美紀が笑うのを聞くのが、最近、少し好きになってきた)
「ねえ博之」
「なに」
「……博之の部屋って、なんで落ち着くんだろう」
「さあ。俺の部屋だからじゃないか」
「……当たり前のことを言う」
「当たり前のことしか言えない」
美紀がまた小さく笑った。
「……生まれた頃から来てるから、かな。空気が、なじんでる気がする」
「美紀の部屋に俺が行っても同じだろ」
「……それとは、少し違う」
「どう違う」
「……」
美紀は答えなかった。
代わりに、少しだけ俺の方に向いて、そのまま黙った。
(……「博之がいるから」と言いたかったのか)
(……それとも、別の理由があるのか)
(……どちらにしても、美紀が自分から言うまで、聞かない方がいい気がした)
雨音が続いていた。
美紀の呼吸がゆっくりになっていった。
眠ったらしい。
俺は天井を見た。
雨音を聞きながら、美紀がさっき言った言葉を繰り返した。
「……博之の部屋って、なんで落ち着くんだろう」
(……俺も、美紀がここにいると落ち着く。なんでかはわからないが)
(……十七年間の積み重ねなのか、それとも別の何かなのか)
答えが出ないまま、雨音の中で俺も眠くなってきた。
*
明け方に目が覚めた。
美紀が、向きを変えていた。
いつの間にか俺の方を向いて、顔を少し俺の肩に埋めていた。
腕が俺の腰に回っている。
そして、小さな掌が——
(……今日も、例の感じで、しっかりと)
俺は静かにため息をついた。
美紀はよく眠っていた。雨音が子守唄になったらしい。
(……美紀さん)
(……昨夜「なんで落ち着くんだろう」と言っていましたが)
(……その手の位置が原因で、こちらは落ち着いていませんよ)
そっと手を外そうとした。
美紀が眠ったまま、ぎゅっと握り直した。
(……これは無意識なのか、それとも……)
(……いや、無意識だ。絶対に無意識だ。そういうことにしておく)
俺は諦めて、天井を見た。
雨はまだ降っていた。
美紀の体温が、じんわりとあたたかかった。
(……わかってて来ている)
(……意識して、選んで、来ている)
(……そしてこうして、朝になる)
俺の部屋には、秘密がある。
二人が交互に来るという秘密。
俺がそれを知っていて、でも何も言わないという秘密。
そして——俺自身が、それを嬉しいと思っているという秘密が。
(……困ったな)
(……本当に、困った)
美紀が寝息を立てながら、少し俺に近づいてきた。
雨音が、やわらかく続いていた。
◇ ◇ ◇
― 第八話「僕の部屋には秘密がある」 了 ―
次話:第九話「夜、フェンス越しに」へ続く
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