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となりの双子はキケンすぎる ~生まれた日から、ずっとそばにいる。だから、ずっとキケンなんだ。~  作者: 鍼野ひびき
第1巻

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第四話

小さな手のひらの罪




 記録をつけているわけではないが、俺の頭の中に自然と集計ができていた。


 今週の月曜日、美香が来た。

 火曜日、美紀が来た。

 水曜日、美香が来た。

 木曜日、美紀が来た。

 そして今日、金曜日の朝。


(……今日は美香の番だな)


 俺が目を覚ます前から、既にそれはわかっていた。

 背中から伝わる体温の質感が、美紀とは少し違う。美紀はすっと寄り添ってくる感じで、美香はぎゅっと抱きついてくる感じだ。今朝は後者だった。

 そして腕が、俺の腰にしっかりと回っている。


(……美香だな。間違いなく)


 問題は、今日の美香の手だった。


 いつもは「結果的にそこを握っている」という感じなのだが。

 今日は違った。

 なんというか。

 その。


(……しっかり、握っている)

(……いつもより、明確に、しっかりと)

(……美香さん、握力どのくらいあるんですか)


 俺は天井を見た。

 今日も春の朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

 穏やかな光だった。

 状況は全く穏やかでなかった。


(……どうしろというんだ)

(……起こすか? でも起こしたら気づく。気づいたら美香が恥ずかしい思いをする。それは俺が望むことではない)

(……でもこのままでいると俺が限界になる。どっちも困る)


 美香がすぴすぴと幸せそうに眠っている。

 百四十九センチの小さな体が、俺にぴったりとくっついている。

 あたたかくて。

 やわらかくて。

 手が。

 手が、しっかりと。


(……嬉しいのが本当に問題だ)

(……これが一番の問題だ)


 俺は静かにため息をついた。

 美香は起きない。

 今朝も、こうして始まった。


     *

 結局、俺は名前を呼ぶ作戦をとった。


「美香」


 返事がない。


「美香」


「んー」という声が返ってきた。寝ながら返事をしている。そして手は離れない。


「美香、朝だ」

「んーー……」

「起きろ」

「もう少し……」


 美香の腕がさらにしっかりと俺に巻きついてきた。起こそうとすると逆効果らしい。

(……戦略を変える必要がある)


「美香、今日学校で野田くんがお前のこと可愛いって言ってたぞ」


 完全な嘘だった。


「えっ」


 美香の目が半分だけ開いた。


「野田くんが?」

「ああ」

「本当に?」

「起きたら教える」


 美香がもぞもぞと起き上がった。髪がぼさぼさで、寝ぼけ眼をこすっている。そして例の手は、ようやく離れた。


「野田くん、何て言ってたの」

「嘘だ」

「え!?」

「起こすための嘘だ」

「博之のバカ!」


 美香が枕を投げてきた。俺は難なく受け止めた。

(……起きてもらえたんだからよしとしよう)


     *

 その日の午後、保健体育の授業があった。


 男女別に分かれての授業だ。体育館に向かう廊下で、美紀と美香が女子グループの方へ歩いていくのを見送った。

 男子の更衣室で着替えていると、野田が隣でぼそっと言った。


「今日の保健体育って、なんかあれだよな。青年期と性ってやつ」

「そうか」

「桐島には関係ない話かもな」

「どういう意味だ」

「毎朝双子と一緒に来てる男に言うことでもないかなって」


(……野田、それは関係のない話じゃなくて直撃している話なんだが、詳細は言えない)


 授業が始まった。

 先生がホワイトボードに図を描きながら説明し始めると、男子の間がざわざわした。こういうときの男子はだいたいにやにやするかそっぽを向くかのどちらかだ。

 俺はどちらでもなく、ノートを取っていた。

(……今朝の状況について、いろいろと思い当たることがある。勉強になる)

(……いや、そういう問題じゃない)


 しばらくして、廊下のガラス越しに女子の授業の声が聞こえてきた。どうやら女子も同じ内容をやっているらしい。

 俺はふと窓の方を見た。

 廊下の向こうで、美紀と美香が並んで座っているのが見えた。

 美紀は真剣な顔でノートを取っていた。美香は隣の女子と何かをこそこそ話しながら、でも手はノートを取っていた。


(……二人とも、今この授業を受けてるのか)

(……そう思ったら、なんか変な気分になってきた。なんで変な気分になるんだ俺は)


 美紀がふと窓の方を見た。

 俺と目が合った。

 一瞬だけ、合った。


 美紀がすっと目を逸らした。ノートに視線を戻した。

 俺も前を向いた。

(……授業中に目が合うとか、意識しすぎだ。落ち着け俺)


     *

 放課後、帰り支度をしていると美香が来た。


「ねえ博之、ちょっといい?」

「なに」

「二人で話したい。美紀ちゃん抜きで」


 珍しいことだった。美香が「美紀抜きで」と言い出すのは、そう多くない。


(……何だろう)


 美紀は他のクラスメイトと話していて、俺たちのやり取りには気づいていなかった。

 俺と美香は、空き教室の近くの廊下へ移動した。


 美香が窓の外を見ながら、少し間を置いてから言った。


「ねえ博之、私のこと好き?」


 俺は一瞬、固まった。

(……急だな)

(……いや、急ではないのかもしれない。来るとは思っていた。いつかは来ると)


「……幼なじみとして好きだ」


 俺が答えると、美香が「それって」と続けようとして、少し止まった。


「それって、幼なじみとしてだけ?」

「……今はそう答えるしかない」

「今は、って?」


 俺は何も言えなかった。

 美香がそれを見て、ふっと笑った。勝ち誇ったわけでも、悲しいわけでもない、不思議な笑い方だった。


「……まあいいや」

「美香」

「冗談だよ!」


 美香がぱんと手を打って言った。その明るさは本物で、無理をしている様子はなかった。でも俺には聞こえていた。「冗談だよ」と言う前の、一瞬の間が。


「でも博之」


 美香がもう一度、俺の方を向いた。今度は笑っていなかった。


「ちょっとだけ、答えてほしかったかも」


 それだけ言って、美香は廊下を歩いていった。

 振り返らなかった。


(……美香)


(……「今は」って言ったのは、俺だ。つまり「いつかは分かる」と言ったようなものだ。それでいよかったのか?)

(……でも、嘘はつきたくなかった)


 廊下に俺一人が残った。

 夕方の光が窓から差し込んで、廊下が橙色に染まっていた。


     *

 その日の夜。

 俺が自室で本を読んでいると、美紀が来た。


 今日はノックをしてきた。一回だけ、軽く。


「入っていい?」

「ああ」


 美紀が部屋に入ってきた。

 今夜は眠れないというわけではなさそうだった。部屋着ではなく、まだ少し普段着の格好だ。


 美紀は俺の机の前の床に座って、壁に背を預けた。俺はベッドの上で本を閉じた。


「美香が何か言った?」


 美紀がそう聞いてきた。

(……知ってたのか)


「少し」

「……そっか」


 美紀はそれだけ言って、膝を抱えた。


「美紀は、何か聞きたいことないか」


 俺が聞くと、美紀がゆっくりと俺を見た。


「……ある」

「聞かないのか」

「……今日は聞かない」


 美紀がまた膝に視線を落とした。


(……美香は「ちょっとだけ答えてほしかった」と言った。美紀は「今日は聞かない」と言った。二人とも、何かを待っている気がする)


「……美香、泣いてなかった?」


 美紀が小さく聞いた。


「泣いてなかった。笑ってた」

「……そっか」

「美香は強いな」

「……うん。あの子は、本当に強い」


 美紀の声が、少しだけ柔らかくなった。妹のことを思っているような声だった。


「美紀」

「なに」

「お前も、強いと思う」


 美紀が少し目を細めた。


「……どういう意味で」

「言いたいことを言わずにいられるのは、強さだと思う」


 美紀が何も言わなかった。

 俺も何も言わなかった。

 部屋の中がしばらく、静かになった。


 しばらくして美紀が立ち上がった。


「……帰る」

「今夜は泊まらないのか」

「……今日は、帰る」


 美紀が扉の方へ歩いていった。扉に手をかけて、少し止まった。


「博之」

「なに」

「……美香のこと、ちゃんと向き合ってあげて」


 俺は少し、驚いた。


「……お前のことは」

「私のことは、いい。今は」


 美紀が扉を開けた。

 振り返らなかった。

 ドアが静かに閉まった。


(……美紀)

(……「今は」。また、「今は」だ)


 美紀も、美香も、「今は」という言葉を使った。

 二人とも、今じゃない「いつか」を持っている。

 俺に向けて。


(……それはつまり、俺がいつかちゃんと向き合わなければならないということだ)

(……わかってる。わかってるんだが)


 俺は本を開いたが、全く頭に入らなかった。


     *

 夜中の十二時を過ぎた頃。

 また、鍵の音がした。


 足音が階段をのぼってくる。今度は少し早い。

 ドアがノックされた。今日は二回。


「……やっぱり眠れない」


 美紀の声だった。


(……帰ったんじゃなかったのか)


 俺は本を閉じて「入れ」と言った。


 美紀が入ってきた。今度は部屋着に着替えていた。帰ってから着替えて、また来たらしい。


「……さっきは帰ると言った」

「うん」

「でも来た」

「……うん」

「美紀らしくないな」


 美紀が少し俯いた。


「……博之が、『眠れなくなったら来い』と言った」

「言った」

「だから来た」

「……それだけか?」


 美紀が少しの間、黙った。


「……それだけじゃ、ないかもしれない」


 それ以上は言わなかった。

 美紀はベッドに横になった。掛け布団を引き上げて、いつものように丸くなった。


 俺も本を棚に戻して、電気を落として、横になった。

 背中と背中がくっつく。あたたかい。


「……美香のこと、ちゃんと向き合う」


 俺が言った。

 美紀がすぐには返事をしなかった。

 しばらくして、小さく「……うん」と言った。


(……美紀)

(……お前が「今は」と言う理由が、少しだけわかった気がする)


 美紀の寝息が、ゆっくりと規則正しくなっていった。

 俺はしばらく目を開けたまま、天井を見ていた。


 美香のこと。美紀のこと。

 どちらも、大切だ。

 どちらも、俺にとって、かけがえのない人間だ。

 それは間違いない。


(……でも、「大切」というだけでは、もうそろそろ足りなくなってくる気がする)


 背中から伝わる美紀の体温が、じんわりとあたたかかった。

 春の夜が、また静かに更けていった。


     *

 翌朝。


 目が覚めると、美紀の手が、例の場所を、例の感じで握っていた。

 昨夜とはまったく別の話のように、しっかりと、握っていた。


(……美紀さん)

(……昨夜あれだけ真剣な話をしたのに)

(……無意識って、罪だと思う)


 美紀はすやすやと眠っていた。

 穏やかな寝顔だった。昨夜悩んでいた面影は、どこにもなかった。


(……まあ、いいか)

(……これが俺たちの日常だ)


 窓の外で、鳥が鳴いた。

 春の朝が、今日も始まった。



◇ ◇ ◇


― 第四話「小さな手のひらの罪」 了 ―

次話:第五話「制服と桜と、三人の距離」へ続く


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