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となりの双子はキケンすぎる ~生まれた日から、ずっとそばにいる。だから、ずっとキケンなんだ。~  作者: 鍼野ひびき
第1巻

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第三話

隣の部屋の温度




 翌日の昼休み、美紀と美香から同時に弁当が届いた。


 美香のはキャラ弁だった。唐揚げのほかに卵焼きと小さなウインナーが並んでいて、ご飯の上にのりで「博之」と書いてあった。

 美紀のはシンプルな二段弁当だった。唐揚げ、だし巻き卵、ほうれん草のおひたし、白ごはん。隙間に梅干しが一つ。


「どっちがうまい!?」


 美香が身を乗り出してきた。


「両方うまい」

「そういう答えじゃなくて! どっちが『より』うまいか!」

「両方うまいから順位はつけられない」


 美紀が「……そう」とだけ言って、自分の弁当を静かに食べ始めた。美香が「えーっ」とぶーたれながらも自分の弁当を開いた。


(……両方本当にうまかった。甲乙つけがたいという意味では嘘をついていない。ただし美紀のだし巻き卵の方が少し好みだったということは、墓まで持っていくつもりだ)


「ねえ博之、のりで名前書いたの気づいた?」

「気づいた」

「可愛くない?」

「子供っぽい」

「可愛いって言えばいいじゃん!」


 美香がむくれた。俺は「うまかった」と言った。美香が「それでいいや」と言って笑った。

 美紀は黙って弁当を食べていたが、俺がだし巻き卵を最後に食べたのを、ちらりと見ていた気がした。

(……気のせいかもしれない。気のせいということにしておこう)


     *

 その夜のことだ。


 俺は自室で課題をやっていた。時刻は日付が変わったあたり。もうそろそろ寝ようかと思っていたとき、物音がした。


 かすかな物音だった。

 玄関の鍵が、ゆっくりと開く音。


(……来た)


 足音が階段をのぼってくる。いつもより少しゆっくりした足音だった。俺の部屋の前で止まる。

 ノック、は、しない。

 ドアが、静かに開いた。


「……起きてた?」


 美紀だった。

 部屋着のままで、髪をおろしている。普段は学校でも家でも髪をまとめていることが多い美紀が、髪をおろしているのは珍しい。黒髪が肩より少し長く、さらりと流れていた。

(……珍しい格好だな)


「起きてる。どうした」

「……眠れなかった」

「入るか」

「……いい?」

「ドア開けた時点でいいもなにもないだろ」


 美紀が少し眉を寄せた。反論しようとして、やめたらしい。

 静かに、部屋に入ってきた。


     *

 美紀は俺の部屋が自分のテリトリーであるかのように、慣れた動作でベッドの端に腰を下ろした。

 長年の習慣というのはそういうものだ。この部屋に来るのが当然で、ベッドに座るのが当然で、そこにいることに何の疑問も感じていない。


「課題?」

「ほぼ終わった」

「英語のプリント、難しかった?」

「そこそこ。美紀は?」

「……終わらせてから来た」


(……深夜に来る前に全部済ませてから来てるのか。それはそれで几帳面だな)


 しばらく二人で黙っていた。

 俺は課題の残りをやって、美紀はベッドに座って窓の外をぼんやり見ていた。

 静かな時間だった。

 不思議と、気まずくはなかった。


「ねえ」


 美紀が唐突に言った。


「なに」

「……何でもない」

「何でもなくなかっただろ、今」

「……何でもないの」


 美紀はそう言って、また窓の外を見た。

 俺はそれ以上聞かなかった。聞いても答えないだろうということがわかっていたし、聞かなくてもいい気がした。

(……美紀はこういうやつだ。言いたいことはあるけど、言葉にするタイミングを自分で決める。急かしても出てこない)


「……眠い」


 少しして、美紀が言った。


「そうか」

「寝ていい?」

「いつもそうしてるだろ」


 美紀が少しだけ、ほんの少しだけ頬を染めた気がした。薄暗い部屋だったので、見間違いかもしれない。


 美紀はベッドに横になった。

 掛け布団を引き上げて、背中を向けて、丸くなった。


(……俺はどこで寝るんだ)


 俺は課題を片付けて、電気スタンドだけ残して部屋の電気を消した。それからベッドに横になった。シングルベッドに二人で横になると、背中と背中がくっつく距離になる。

(……毎回これだ。毎回こうなる)


 しばらくして、美紀の呼吸がゆっくりになった。

 眠ったらしい。

 背中から伝わってくる体温が、じんわりとあたたかかった。

(……まあ、いいか)

 俺もそのうち眠った。


     *

 明け方に、目が覚めた。


 最初は何が起きたか分からなかった。

 ただ、何かが違うと感じた。


 背中側からくっついていたはずの美紀が、いつの間にか向きを変えて、俺の方を向いていた。

 腕が腰に回っている。

 顔が、俺の背中に埋まっている。

 黒髪が、首筋に当たっている。


 そして。


 小さな掌が。


(……あ)


(……ああ)


(……今日も、そういう感じね)


 美紀の手が、しっかりと、俺の朝の状態を握っていた。

 熟睡している。完全に、熟睡している。

 規則正しい寝息が、俺の背中に当たっている。


(……美紀さん)

(……そこは、そういう場所なんですが)

(……ご存知ですよね、一応)


 美紀は動かない。

 すやすやと、幸せそうに眠っている。


 俺はそっと、美紀の手を外そうとした。

 すると美紀が、眠ったまま、ぎゅっと握り直した。


(……外れない)

(……というか、今の握り直しは何だ)

(……無意識なんだろうな。絶対無意識だよな。美紀がわかってやってるわけがない。わかってやってたらそれはそれで困る)


 俺は諦めて、そのまま天井を見た。

 朝の薄明かりが、カーテンの隙間から差し込んでいた。

 美紀の体温が、じんわりと伝わってくる。

 あたたかい。


(……嬉しいけど、これは本当に困る)

(……でも起こすのも悪い気がする。美紀、顔色が最近すこし悪かったし。ちゃんと眠れてなかったんだろう)

(……まあ、もう少しだけ、このままでいいか)


 俺は目を閉じた。

 また、うとうとし始めた。

 美紀の規則正しい寝息が、子守唄みたいだった。


     *

 朝の六時すぎ。

 美紀が目を覚ました。


 俺はそのとき、もう起きていた。

 美紀が身じろぎをして、それから、止まった。


 止まった。


 数秒の沈黙があった。


 それから美紀が、ゆっくりと手を引いた。何も言わずに、静かに、引いた。


「……おはよう」


 美紀の声は、いつもより少し低かった。


「ああ、おはよう」


 俺も普通に返した。

 二人とも、何も言わなかった。

 俺は「気づいていた」とは言わなかった。美紀は「気づいていなかった」とも言わなかった。


 美紀がゆっくりと起き上がった。髪を手で整えて、少しだけ乱れた寝間着を直した。

 後ろから見ると、首筋がうっすら赤くなっているのが見えた。


(……気づいてたんだな、やっぱり)


「……昨日の課題、終わらせてから来てたって言ってたな」


 俺が話題を変えるように言うと、美紀が少し間を置いてから答えた。


「……うん」

「真面目だな」

「……そういうのは、片付けてからじゃないと落ち着かない」

「美香なら先に来てあとで片付けるな」

「……私は美香じゃないから」


 美紀が少し、口元を引き締めてそう言った。怒っているわけではない。ただ、それだけのことを、はっきりと言った。


「そうだな。美紀は美紀だ」


 美紀が俺を振り返った。

 少しだけ、目が丸くなった。それから視線を逸らした。


「……朝ごはん、下で食べる?」

「母さんがいればな」

「起こしていく。私が作る」

「美紀が?」

「……ダメ?」

「ダメじゃないけど、悪いだろ」

「いつもご飯をもらってるから。たまには作る側でいたい」


 美紀はそれだけ言って、さっさと部屋を出ていった。

 俺はしばらくベッドの上に座ったまま、美紀が出ていったドアを見ていた。

(……「私は美香じゃないから」、か)

(……当然だ。俺には最初からそう見えてる)


     *

 美紀が作ってくれた朝ごはんは、シンプルなトースト、目玉焼き、野菜スープだった。

 母さんはまだ寝ていた。起こしに行こうとした美紀を「いい、寝かせてやれ」と俺が止めたので、二人で食べることになった。


 向かい合って食卓に座ると、なんとなく妙な雰囲気になった。

 いつもは三人か、もしくは家族も含めた大勢で食べることが多い。二人だけで朝ごはんを食べるのは、珍しかった。


(……落ち着かない。なんで落ち着かないんだ。美紀と二人でいること自体は珍しくないのに)


「スープ、うまい」


 俺が言うと、美紀が「そう」とだけ答えた。少し間があって、


「……コンソメが切れてたからコンソメなし。ごめん」

「十分うまい」

「……コンソメがあった方がよかった」

「今でも十分うまい」


 美紀が黙った。それからスープを一口飲んで、「……そう」と言った。

 口元が、ほんの少し、緩んでいた。


「ね、美紀」

「なに」

「最近、顔色悪かっただろ。眠れてなかったのか」


 美紀が少し固まった。


「……見てたの?」

「まあな」

「……別に、たいしたことじゃない」

「眠れないのはたいしたことだ」


 美紀がスープのカップを両手で包みながら、しばらく黙っていた。


「……考えすぎると眠れなくなる。昔から」

「何を考えてる」

「……いろいろ」

「俺に言えることか」

「……まだ、言えない」


 まだ。

 その一言が、少し引っかかった。「言えない」じゃなくて「まだ言えない」。


(……いつかは言える、ということか)


「眠れなくなったら来ていい。声くらいは聞く」


 俺が言うと、美紀が俺を見た。

 少し驚いた顔だった。


「……博之の部屋で寝ていい、ってこと?」

「そうは言ってない」

「じゃあどういう意味」

「声を聞く、と言った。寝ていいとは言ってない」

「……結局寝ることになると思う」

「それはお前の問題だ」


 美紀が「……そう」と言って、また口元を少し緩めた。


(……今のは笑ってたな。ちゃんと笑ってた)


     *

 朝ごはんを食べ終えたころ、玄関の合鍵が開く音がした。


「おはよー! ご飯あるー!?」


 美香だった。

 リビングに飛び込んできた美香は、テーブルに美紀と俺が向かい合って座っているのを見て、一瞬止まった。


「……あれ。美紀ちゃんいる」

「いる」

「昨日ここに来てたの?」

「……うん」

「何時に?」

「……夜中」


 美香がじとっとした目で美紀を見た。美紀はスープのカップを持ったまま視線を受け止めた。


「お姉ちゃん、ずるくない?」

「何が」

「だって私が前の日に来たじゃん。翌日はお姉ちゃんの番じゃないの通常」

「そんなルールはない」

「暗黙のルールがあるでしょ!」


(……暗黙のルールがあったのか。そして俺の知らないところで運用されていたのか)


「博之ー、美紀ちゃんに何かされた?」

「されてない」

「本当に?」

「本当だ」


 美香がそれでも不満そうな顔をした。美紀は涼しい顔をしていた。


「……美香、朝ごはん食べる? スープが少し残ってる」


 美紀が言った。


「……食べる」


 美香がぼそっと答えて、俺の隣に座った。美紀がスープを温め直して、トーストを焼いてくれた。

 三人で朝ごはんを食べた。いつも通りの、騒がしくて、あたたかい朝になった。


     *

 その夜。

 俺はベッドに横になりながら、天井を見ていた。


 美紀が来た夜のことを、思い返していた。


 薄暗い部屋。肩が触れる距離。美紀の、いつもより少し素直な声。

「眠れなかった。だから来た」

 それだけのことなのに、なぜか頭に残る。


(……美紀がここに来るのは、ただ眠れないからなのか)

(……それとも)


 考えかけて、止めた。

 考えても、答えは出ない。

(……美紀は「まだ言えない」と言っていた。なら俺が先回りして考えるのは、美紀に失礼な気がする)


 ただ。


 今夜、美紀の体温が隣にあって。

 あたたかくて。

 それで眠れた。


 それだけのことが、なんだか少しだけ、特別に思えた。


(……困ったな)

(……本当に、困った)


 外は静かだった。

 隣の水瀬家の電気が、もう消えていた。

 美紀も美香も、自分の部屋で眠っているのだろう。


 今夜は、一人だ。

 なのに、さっきまで隣にあった体温のことを、まだ覚えていた。


(……嬉しいけど困る、の意味が、少し変わってきた気がする)

(……これは、まずいかもしれない)


 春の夜が、静かに深くなっていった。



◇ ◇ ◇


― 第三話「隣の部屋の温度」 了 ―

次話:第四話「小さな手のひらの罪」へ続く


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