第二話
どちらが美紀でどちらが美香か問題
翌日の昼休み、野田が弁当を広げながら唐突に言った。
「なあ桐島。双子って本当に見分けられないのかな」
「お前が見分けられないのはお前の問題だ」
「そんな冷たいこと言うなよ。俺だって努力してるんだぞ」
野田が弁当の卵焼きを箸でつつきながら言った。
「どんな努力だ」
「毎日どっちかに話しかけて、反応で判断しようとしてる」
「それで?」
「毎日間違える」
(……努力の方向が間違ってる気がするが、まあ人それぞれか)
「桐島はどうやって見分けてんの、マジで」
「なんとなく、って言っただろ」
「もう少し具体的に教えてくれ。学習したい」
俺は少し考えた。
どうやって、と言われると難しい。見た瞬間にわかる。それだけだ。
でも強いて言葉にするなら。
「美紀は前髪を右に流してる。美香は真ん中で分けてる」
「ピアスは?」
「美紀が左耳にスタッド。美香が右耳にリング」
「なるほど! それを見ればいいのか!」
野田が目を輝かせた。
「でも帽子かぶってたり、暗くて見えなかったりしたら?」
「……そのときは諦める」
「お前はそれでもわかるんだろ」
「わかる」
「なんで」
「なんとなく」
野田が「それが聞きたいんだよ!」と叫んだ。俺は黙って唐揚げを食べた。
*
午後の体育の授業は、クラス全体でバレーボールだった。
男女混合でチームを組んで、サーブの練習をしてからゲームをするという流れだ。
着替えを終えて体育館に集まると、美紀と美香がこそこそ話をしていた。
俺には遠くからでもわかる。二人が何か企んでいるときの顔だ。口元がわずかに笑っていて、視線が俺の方をちらちらと向いている。
(……嫌な予感がする)
準備体操が終わって、先生がチームを発表し始めた。俺と美紀と美香は同じチームになった。これもまたいつものことだ。この学校は何かのジンクスか呪いか知らないが、俺と二人は毎回同じチームになる。
(……ありがたいような、そうでもないような)
サーブ練習が始まると、美香が俺の隣に来た。
「ねえ博之、今日ちょっと実験していい?」
「実験?」
「うん。私たち、入れ替わってみようと思って」
俺は美香を見た。それから少し離れたところにいる美紀を見た。美紀が小さく頷いた。
(……やっぱり企んでたか)
「何の目的で」
「博之が本当に見分けられるか確かめたい」
「見分けられるに決まってる」
「じゃあ証明してよ」
美香がにやりとした。こういう表情をするとき、美香は少し意地悪な顔になる。可愛いけれど意地悪な顔だ。
(……可愛いとか思ったのは今のうちだけにしておこう)
「具体的にどうやって入れ替わるんだ。ピアスは?」
「付け替えてきた」
「前髪は?」
「直した。どっちも真ん中で分けてる」
俺はもう一度美紀を見た。確かに、前髪の分け目が美香と同じになっている。ピアスも左耳にリング、右耳には何もない。美香は逆だろう。
(……準備が周到だな)
「で、どうすんだ」
「私が美紀ちゃんのふりをして、美紀ちゃんが私のふりをして授業を過ごすの。博之がどこかで間違えたら私たちの勝ち、一度も間違えなかったら博之の勝ち」
「賭けるものは?」
「勝った方が何でも一つお願いできる」
美香が人差し指を立てて言った。
(……「何でも一つ」、か。それはなかなかリスクのある賭けだな)
*
作戦が始まった。
「美紀」のふりをしている美香が、俺のそばに来てボールを拾う動作をした。
「……桐島くん、このボール取って」
(……「桐島くん」?)
美紀は俺のことを「博之」と呼ぶ。クラスでは「桐島くん」と呼ぶこともあるが、そのときの声のトーンは少し違う。
今の呼び方は、美香が「美紀らしさ」を演じようとして少しだけ硬くなった声だ。
(……美香だな、これは)
俺はボールを渡しながら何も言わなかった。
「ありがとう」
「美紀」のふりをした美香が立ち去った。俺はその背中を見ながら思った。
(歩き方が違う。美紀はもう少し背筋が伸びている。美香は少しだけ重心が前に来る。この歩き方は美香だ)
次に「美香」のふりをしている美紀が来た。
「ねー博之! このサーブのフォーム、どう思う?」
(……「ねー博之!」か)
美紀が美香の口調を真似している。頑張っているのはわかるが、やや丁寧すぎる。美香のしゃべり方はもっと間延びしていて、語尾がふわっと上がる。
それに、美紀は俺を呼ぶとき「博之」と呼ぶが、「ねー博之!」とは言わない。「ねー」がつく呼びかけは美香のものだ。
(……美紀だな、完全に)
「フォームはまあ普通じゃないか」
俺は普通に答えた。
「美香」のふりをしている美紀が「そっか!」と言って笑った。笑い方まで美香を真似しようとしているが、美紀の笑い方は少し口角が上がるだけで静かだ。美香はもっと大きく口を開けて笑う。
(……この入れ替わり作戦、クラスメイトには通用してる。野田なんかはすでに騙されてる)
*
バレーボールのゲームが始まった。
「美香」のふりをしている美紀が、相手チームのスパイクを綺麗に拾った。低い姿勢で足を踏み込んで、両腕でしっかりレシーブする。フォームが安定していた。
(……あれ、美紀だな。美香は卓球部だから体幹は強いが、バレーのレシーブフォームはそこまで綺麗じゃない。美紀の方が体育の授業に真剣に取り組んでいるから、こういうところで出る)
「美紀」のふりをしている美香が、サーブを打った。
勢い良く、少し乱暴なサーブだった。美紀のサーブはもう少しコントロール重視だ。
(……全部わかる。見れば全部わかる)
ゲームが終わって、二人が俺のところへ来た。
「どう? どっちが美紀でどっちが美香?」
美香の口調で美香が聞いてきた。まだ入れ替わったふりをしているらしい。
「そっちが美香。こっちが美紀」
俺は迷わず指さした。
一瞬、二人が固まった。
「……正解」
美紀が静かに言った。美香が「えーっ!」と声を上げた。
「なんでわかったの!? ピアスも前髪も一緒にしたのに!」
「歩き方とか、サーブのフォームとか、笑い方とか。いろいろ」
「いろいろって何よ、もっと具体的に!」
「なんとなく」
「それ絶対わざと言ってるでしょ!」
(……わざとではないが、全部説明するとなんか変な感じになる気がして言えない)
*
着替えて教室に戻る途中、美紀が俺の隣を歩いた。
美香は先にクラスメイトと話しながら行ってしまっていた。
「なんでわかるの」
美紀が、静かに聞いた。
怒っているわけじゃない。本当に、純粋に知りたそうな声だった。
「さっき言った通りだ。いろいろ」
「ピアスと前髪を合わせたのに」
「それ以外のところで分かる」
「……どこ」
俺は少し考えた。
どこ、と聞かれても困る。全部だ。全部が美紀で、全部が美香で、俺には全部が違って見える。
「歩き方。立ち方。笑い方。しゃべり方。声のトーン。……全部」
美紀がしばらく黙った。
廊下の窓から午後の日差しが差し込んでいた。
「……ちゃんと、見てくれてるんだね」
美紀が小さく言った。
俺の方を見ないで、窓の外を見ながら言った。
(……なんだ、その言い方は)
俺の胸の中で何かが、ゆっくりと跳ねた。
それが何なのか、俺にはまだわからなかった。
「当たり前だろ」
俺はそれだけ答えた。
美紀が少し、ほんの少しだけ、表情を柔らかくした。
「……そっか」
それだけ言って、美紀は前を向いた。
二人で廊下を歩いた。
何も言わなかったが、何も言わなくてよかった。
*
放課後、美香が頬を膨らませて俺のところへ来た。
「あのさあ、博之」
「なに」
「完璧に入れ替わったつもりだったんだけど」
「完璧ではなかった」
「どこが!?」
美香が声を荒らげた。それを聞いた野田が「あ、美香の方だ」と言ったので、美香が「やっと分かったじゃん!」と喜んだ。
(……野田は入れ替わりに気づいてなかったのか。どっちが美紀でどっちが美香か知らないまま喜んでるぞ)
「ねえ、本当にどこで分かったの。教えてよ」
「いろいろって言っただろ」
「もっと詳しく!」
美香が腕を組んで仁王立ちした。百四十九センチの仁王立ちなので、そこまで迫力はない。でも目が真剣だ。
「強いて言えば……美香のサーブは少し乱暴だ。美紀は丁寧に打つ」
「え!? 乱暴って言った今!?」
「力強い、と言い換えてもいい」
「言い換えなくていい、乱暴の方が気になる!」
美香がぷりぷりしながら言った。俺は「卓球部なんだから仕方ない」と言おうとして、やめた。それはそれで怒らせそうだ。
「じゃあ、笑い方はどう違う?」
「美香は大きく笑う。美紀は静かに笑う」
「それって私の方が品がないってこと?」
「そういうわけじゃない。美香の笑い方の方が楽しそうに見える」
美香が「……まあいいか」と言った。機嫌が少し直ったらしい。
「でもさ、博之」
「なに」
「私と美紀ちゃん、ちゃんと別々に見えてる?」
俺は美香を見た。
真剣な目をしていた。さっきまでの不満げな顔と違う、少し柔らかくて、少し不安そうな目だった。
「当然だ。全然違う」
美香がぱっと笑った。今度は遠慮なく、大きく口を開けた美香らしい笑い方だった。
「よかった。それ聞きたかったんだよね、実は」
(……そうか。見分けられるかどうかじゃなくて、別々に見えてるかどうかを確かめたかったのか)
*
帰り道。俺の勝ちが確定したので、賭けの清算をしなければならなかった。
「何でも一つお願いできるんだったな」
「……そうだね」
「何にする?」と美香が興味津々で聞いてきた。
俺は少し考えた。
何でも一つ。何を頼んでもいい。
(……「朝、俺の部屋に来るな」と言えば済む話なんだが、なぜか言えない。不思議だな)
「明日の弁当を作ってくれ」
俺が言うと、美香が「え! それだけ?」と言い、美紀が「……それでいいの?」と言った。
「それでいい」
「もっと大きいお願いしてよ!」
「弁当でいい」
美香が「なんか拍子抜けー」とぼやいた。美紀は黙ってしばらく歩いてから、小さく言った。
「……私も作っていい?」
「二人分いらない」
「一人分でいい。どっちが美味しいか比べてよ」
(……それはそれで大変なことになりそうだが、断りにくい)
「……わかった」
美紀がほんの少し口元を緩めた。
美香が「私の方が絶対うまいから!」と宣言した。
また競争になった。
(……弁当一個のお願いが二個になったが、まあ、いいか)
*
夜、自分の部屋で俺は今日のことを思い返した。
美紀が言っていた。
「ちゃんと、見てくれてるんだね」
美香が言っていた。
「私と美紀ちゃん、ちゃんと別々に見えてる?」
二人とも、同じことを聞きたかったのかもしれない。
形は違うけど、聞きたかったことは同じだったのかもしれない。
(……俺にはちゃんと見えてる。当然だ。生まれたときから一緒なんだから)
(でも、もしかしたら二人にとっては「当然じゃない」ことだったのかもしれない)
一卵性双生児だから、他の人間には見分けられないのが普通だ。
ずっとそういう目で見られてきたのかもしれない。「どっちが美紀でどっちが美香か」じゃなくて、「双子の片方」として。
(……だとしたら、俺が見分けられることは、二人にとって少し特別なことだったのかな)
そんなことを考えていると、窓の外から声がした。
「博之ー! 電気ついてるから寝てないでしょ! 明日の弁当、何が食べたい!?」
美香の声だった。フェンス越しに声を張り上げている。
(……なんで外から叫ぶんだ、スマホで連絡しろ)
「なんでもいい!」
「からあげ!?」
「それでいい!」
「わかった! 美紀ちゃんに伝えとく!」
それだけ言って、美香の声が聞こえなくなった。
俺は窓を閉めて、また机に向かった。
教科書を開いたが、頭には美紀の「ちゃんと見てくれてるんだね」という声が残っていた。
(……ちゃんと見てる。当たり前だ)
(美紀も、美香も。ちゃんと、別々に、見てる)
それが当たり前だと思っていたが。
二人にとっては、そうではなかったのかもしれない。
俺はそのことを、少しだけ大切に思った。
春の夜が、また静かに更けていった。
◇ ◇ ◇
― 第二話「どちらが美紀でどちらが美香か問題」 了 ―
次話:第三話「隣の部屋の温度」へ続く
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