第三話
美紀との距離、縮まる夜
美香への中間報告の翌日。
夜、いつものように、合鍵の音がした。
順番からすると、今夜は美紀だった。
ドアが、静かにノックされた。
「……入っていい?」
「ああ」
*
美紀が、部屋に入ってきた。
部屋着のままで、髪をおろしている。
美紀が、ベッドの端に腰を下ろした。
俺は、机の前の椅子に座った。
「……美香と、話したんだよね」
美紀が、聞いてきた。
「ああ」
「……どうだった」
俺は、少し考えてから、答えた。
「美香に話してきた。まだ答えは出ていないって」
美紀が、静かに「そっか」と言った。
*
「……美紀は」
俺は、少し迷いながら、聞いた。
「文化祭の翌朝、俺が言ったこと、覚えてるか」
美紀の体が、少し固まった。
「……覚えてる」
「あれは、本当のことだ」
長い沈黙があった。
美紀が、小声で言った。
「……知ってる」
「知ってた?」
「……なんとなく。でも、言葉で聞いたのは、初めてだった」
(……美紀)
(……なんとなく分かっていても、言葉にされることには、別の意味がある)
*
美紀が、ゆっくりと、俺の方を向いた。
「博之」
「なに」
「……もっと近くにいていい?」
俺は、答える代わりに、腕を広げた。
美紀が、そっと、俺の胸に頭を預けた。
(……いつもの「抱き枕」とは違う)
(……どちらも、分かっていた)
*
美紀の体温が、いつもより、近かった。
いつもの、無意識の抱き枕のときとは、明確に違う近さだった。
今夜は、美紀も、俺も、意識して、この距離を選んでいた。
しばらく、何も言わずに、そのままでいた。
美紀の呼吸が、ゆっくりと、伝わってきた。
「……答えが出たとき、ちゃんと言って」
美紀が、小さく言った。
「ああ」
「……それまでは、こうしてる」
(……美紀)
(……ずっと「さりげなく」近づいてきたお前が、初めて、はっきりと、近さを求めた)
(……この一言がくる日を、俺はずっと、待っていた気がする)
*
俺は、美紀の髪を、そっと撫でた。
柔らかくて、いい匂いがした。
「……美香のことも、ちゃんと考えてる」
俺は、伝えるべきことを、伝えた。
「……知ってる」
「お前は、それでいいのか」
美紀が、少し、考えるように、黙った。
「……いいわけじゃない」
美紀が、正直に言った。
「でも、博之が誠実でいようとしてること、私は、知ってるから」
「……それを、信じることにした」
(……美紀)
(……お前は、いつも、俺が思っている以上に、強くて、優しい)
*
しばらく、二人で、静かにしていた。
窓の外で、冬の気配を感じさせる、冷たい風の音がしていた。
「……今夜は、帰らなくていいのか」
俺が聞くと、美紀が、小さく頷いた。
「……今夜は、いる」
美紀が、もう少しだけ、俺に体を寄せた。
俺は、そのまま、美紀を抱いていた。
*
しばらくして、美紀が、また口を開いた。
「……博之」
「なに」
「……怖くない?」
俺は、少し、考えた。
「怖い。美香を傷つけることが」
「……それでも、決める」
俺は、はっきりと言った。
美紀が、静かに、頷いた。
「……うん」
(……美紀は、何も問い詰めない)
(……ただ、信じて、待っている)
*
夜が、深くなっていった。
美紀は、いつの間にか、俺の胸の中で、眠っていた。
俺は、しばらく、その寝顔を見ていた。
穏やかな、安心したような顔だった。
(……美紀)
(……お前との気持ちは、もう、確かなものになっている)
(……あとは、美香に、ちゃんと伝えるだけだ)
*
翌朝、目が覚めると、美紀が、まだ俺の胸の中にいた。
いつもの「例の場所」を握っているわけではなかった。
ただ、そっと、俺の胸に頭を寄せて、眠っていた。
(……変わったんだな)
(……朝の『例の状況』から、こういう、もっと、ただ寄り添うだけの形に)
美紀が、目を覚ました。
「……おはよう」
「ああ、おはよう」
美紀が、少し恥ずかしそうに、身を起こした。
「……昨日のこと」
「覚えてる」
「……忘れないで」
「忘れない」
*
美紀が、ベッドから降りて、髪を直した。
「……朝ごはん、作る」
「ああ」
美紀が、部屋を出ていった。
俺は、一人、ベッドの上で、天井を見ていた。
美紀との関係は、確かに、変わった。
でも、美香への答えは、まだ、出していない。
(……早く、答えを出さなければならない)
(……美紀のためにも、美香のためにも、そして、俺自身のためにも)
窓の外で、冬の朝の光が、薄く差し込んでいた。
もう、十一月の終わりが、近づいていた。
◇ ◇ ◇
― 第三話「美紀との距離、縮まる夜」 了 ―
次話:第四話「双子の秘密会議」へ続く
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