第九話
文化祭前夜、美香の決意
十月になった。
文化祭の準備期間が始まった。
二年A組の出し物は、カフェ。クラス全体で意見をまとめ、内装を作り、メニューを決め、準備を進めていた。
美紀は実行委員に選ばれていた。クラスのまとめ役として、計画を着実に進めている。
美香はデコレーション担当だった。教室の飾り付けを、楽しそうに引き受けていた。
*
放課後、教室では準備が進んでいた。
机を運び、黒板に飾りを貼り、メニュー表を作る。みんなが忙しく動き回っていた。
俺は、テーブルの脚を組み立てる作業をしていた。
そこへ、美香が来た。
「博之、ちょっと手伝って」
「なにを」
「飾りの在庫、準備室にあるから一緒に取りに行こう」
俺は工具を置いて、美香について行った。
*
準備室は、人気がなかった。
古い机や椅子が積まれていて、少し埃っぽい匂いがした。
美香が、ドアを閉めた。
(……閉める必要、あったか?)
「博之、私ね、決めたんだ」
美香が、静かに言った。
いつもの明るい声ではなかった。落ち着いた、でも確かな声だった。
「何を」
「好きな人に、ちゃんと告白する」
俺の心臓が、跳ねた。
*
「誰に」
俺がそう聞くと、美香が、まっすぐに俺を見た。
「……わかってるくせに」
準備室の中が、静かだった。
外の喧騒が、遠くから聞こえてくるだけだった。
「博之が好き。ずっと前から。幼なじみとかじゃなくて、ちゃんと、好き」
美香の声は、まっすぐだった。
いつもの軽い口調ではなく、真剣で、迷いのない声だった。
(……美香)
(……ずっと、言葉を選びながら、近づいてきた。でも、今日は、まっすぐに来た)
*
俺は、何か言おうとした。
でも、言葉が、すぐには出てこなかった。
美香が、それを見て、少し笑った。
寂しそうな、でも、強い笑顔だった。
「答えは、文化祭が終わってからでいい。ちゃんと考えて」
美香が、そう言った。
「……それでいいのか」
「うん。今すぐ答えてほしいわけじゃない。ちゃんと、考えてほしいから」
(……美香)
(……お前は、まっすぐ告白して、それでも、俺に時間を与えてくれるのか)
*
美香が、準備室の棚から、飾りの箱を取り出した。
いつもの作業に戻ったような動作だった。
「さ、これ持って戻ろう」
美香が、箱の半分を俺に渡した。
俺は、それを受け取った。
ドアの前で、美香が一度だけ振り返った。
「……ちゃんと言えて、よかった」
それだけ言って、美香はドアを開けて、廊下に出ていった。
俺は、しばらく、準備室に立っていた。
箱を持った手が、少し震えていた。
*
教室に戻ると、美香はもう、いつもの調子で飾り付けを手伝っていた。
さっきのことを、何も顔に出していなかった。
(……強いな、本当に)
(……あれだけのことを言って、すぐに、いつもの自分に戻れる)
俺は、テーブルの組み立て作業に戻った。
でも、手元の作業に、うまく集中できなかった。
*
その日の夕方、教室での作業が終わって、美紀とふたりで残って片付けをすることになった。
美香は先に帰っていた。
黒板の前で、飾りの位置を直していると、美紀が、ふと言った。
「……美香、今日、なんか様子が違った」
俺は、手を止めた。
「……気づいたのか」
「双子だから」
美紀が、静かに言った。
それ以上は、何も聞かなかった。
(……美紀は、もうわかっているのかもしれない)
(……美香が、告白したことを)
*
片付けが終わって、教室を出た。
夕暮れの廊下を、二人で歩いた。
「……博之」
「なに」
「文化祭、楽しみだね」
美紀が、話題を変えるように言った。
「ああ」
「……いろいろあっても、ちゃんと楽しもうね」
その「いろいろあっても」という言葉に、美紀の気遣いが詰まっている気がした。
「……うん」
俺は、そう答えた。
*
夜、自分の部屋に戻って、ベッドに横になった。
今日のことを、何度も思い返した。
「博之が好き。ずっと前から。幼なじみとかじゃなくて、ちゃんと、好き」
「答えは、文化祭が終わってからでいい。ちゃんと考えて」
(……美香が、正式に告白した)
(……まっすぐに、迷いなく)
美紀の言葉も、頭をよぎった。
「美香に、ちゃんと答えてあげてほしい」
「私は、もう少し待てる」
(……美香の『好き』と、美紀の『待てる』)
(……まっすぐな言葉と、間接的な言葉)
(……どちらも、本気だ。どちらも、俺への気持ちだ)
天井を見つめた。
文化祭まで、あと少し。
答えを出す時期が、近づいてきていた。
(……美香は、文化祭が終わってからでいい、と言った)
(……それまでに、ちゃんと考える)
(……美香にも、美紀にも、誠実な答えを出す)
窓の外で、秋の虫の声が、夏の虫の声と入れ替わるように聞こえていた。
季節が、確かに変わっていた。
俺の中の何かも、変わろうとしていた。
◇ ◇ ◇
― 第九話「文化祭前夜、美香の決意」 了 ―
次話:第十話「文化祭と、決められない僕と、笑う双子」へ続く
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