第六話
海と、どちらかの涙
夏期講習が終わって、八月の半ば。
毎年恒例の、両家族揃っての海水浴の日がやってきた。
桐島家と水瀬家は、子供の頃から毎年この時期に同じ海へ行く。今年も例外ではなかった。
車二台に分かれて、海辺の町まで二時間ほど。父さんと母さん、パパとママ、それから俺たち三人。
久しぶりの大人数の旅行に、車内は朝から賑やかだった。
*
海に着くと、夏の日差しが強かった。
砂浜は白くて、波の音が大きかった。
パラソルを立てて、レジャーシートを敷いて、両家族でひとつのスペースを作った。
「博之くん、大きくなったわねえ」
ママがそう言いながら、麦茶を配ってくれた。
「毎年言ってますよね、それ」
「毎年大きくなってるんだから当然でしょう」
パパが笑っていた。父さんと母さんも、昔からの友人らしい和やかな空気で話していた。
*
昼前、波打ち際で、母さんが古い写真を取り出してきた。
「見て見て、博之たちが小さい頃の写真」
古いアルバムの写真には、三歳くらいの俺と、双子の美紀と美香が、同じ砂浜で水遊びをしている姿が写っていた。
「昔はこんなに小さかったのに」
「今も小さいじゃないですか」
俺がそう言うと、美紀と美香に同時に砂をかけられた。
「博之、それ失礼だよ」
「失礼を承知で言った」
「最悪」
美香が笑いながら、もう一度砂をかけてきた。美紀も加わって、俺は両側から砂攻撃を受けることになった。
(……これも、なんというか、いつものことだな)
*
午後、泳いだり、ビーチボールで遊んだりして過ごした。
両親たちは大人同士で話に花を咲かせていて、俺たち三人は自由に遊んでいた。
夕方になって、両親たちがバーベキューの準備を始めた。
パパが炭をおこし、父さんが食材を切り、母さんとママが味付けを相談していた。
「博之たち、準備できるまで散歩でもしてきたら?」
母さんがそう言ったので、三人で少し離れた岩場へ歩いて行くことになった。
*
岩場は、少し人が少なかった。
夕陽が、海を橙色に染めていた。
波の音が、規則正しく聞こえていた。
三人で岩に座って、しばらく黙って海を見ていた。
誰も何も言わなかった。
でも、その沈黙は、心地よかった。
*
「……ねえ、私たちってこのままでいられると思う?」
美香が、ぽつりと言った。
誰も、すぐには答えなかった。
波の音だけが、続いていた。
(……美香)
(……この前の花火のとき、似たようなことを聞いてきた)
(……あのときよりも、今の方が、声が静かだった)
「……いられないよね、たぶん」
美香が、自分で続けた。
声が、少し震えていた。
「美香」
俺が呼ぶと、美香が小さく笑った。
「大丈夫、泣いてないから」
でも、泣いていた。
夕陽に照らされた美香の頬に、光るものが伝っていた。
*
美紀が、何も言わずに、美香の隣に座った。
肩を、そっと寄せた。
俺は、美香の反対側に座った。
言葉が見つからなかった。
代わりに、そっと、美香の頭を撫でた。
(……何を言えばいいのか、わからなかった)
(……でも、何かしなければ、と思った)
「……ずるいよ、博之」
美香が、泣きながら笑った。
「何が」
「頭撫でるとか、反則」
俺は、何も言わずに、そのまま撫で続けた。
*
美紀が、静かに口を開いた。
「……美香。このままじゃいられなくても」
「……形が変わるだけ。三人でいることは、変わらない」
夏期講習で言っていたことと、同じだった。
美紀は、本当に、そう信じているようだった。
「……うん」
美香が、小さく頷いた。
涙を、手の甲で拭った。
「……わかってる。わかってるんだけど、たまに、怖くなる」
「……それは、私も同じ」
美紀が、静かに言った。
(……美紀も、怖いのか)
(……いつも「形が変わっても続く」と言って、強くいようとしている美紀も)
*
夕陽が、さらに低くなっていった。
海の色が、橙からピンク、紫へと変わっていった。
「……ねえ、博之」
美香が、落ち着いた声で言った。
「なに」
「ちゃんと考えてくれてる? 私たちのこと」
「考えてる。ずっと」
「……うん。それでいい」
美香が、もう一度、小さく笑った。
今度は、泣いていない笑顔だった。
*
しばらくして、三人とも、立ち上がった。
バーベキューの匂いが、風に乗って漂ってきていた。
「お腹すいたね」
美香が、いつもの調子で言った。
「戻ろう」
「うん」
三人で、岩場から砂浜へ戻った。
夕陽が、ほとんど沈みかけていた。
水平線の向こうに、最後の光が、細く残っていた。
*
バーベキューの席に戻ると、両親たちが賑やかに準備を終えていた。
「あら、ちょうどいいタイミング! 焼けたわよ」
母さんが声をかけてくれた。
美香が「わー! おいしそう!」と元気な声を上げた。
もう、さっきの涙の跡は、見えなかった。
(……美香は、強い)
(……泣いた後でも、すぐに笑顔に戻れる)
(……いや、戻れるんじゃなくて、戻ろうとしているんだろう)
三人で、バーベキューの席に着いた。
両親たちが、いつも通り賑やかに話していた。
俺たちも、それに加わって、いつも通りの夜を過ごした。
*
夜、帰りの車の中で、美香はすぐに眠ってしまった。
疲れていたのだろう。
美紀は、窓の外を見ていた。
車内のラジオが、小さく流れていた。
「……今日、ありがとう」
美紀が、小さく言った。
「礼を言うことじゃない」
「……美香のこと、ちゃんと支えてくれた」
「お前も、支えてた」
美紀が、少し黙った。
それから、小さく言った。
「……私たち三人、ちゃんと大丈夫だよね」
「大丈夫だ」
美紀が、頷いた。
それ以上は、何も言わなかった。
*
夜、家に帰って、自分の部屋でベッドに横になった。
今日のことを、思い返した。
「……このままでいられると思う?」
「……いられないよね、たぶん」
「……ずるいよ、博之。頭撫でるとか、反則」
「……私たち三人、ちゃんと大丈夫だよね」
(……美香が泣いた)
(……美紀が、肩を寄せた)
(……俺が、頭を撫でた)
三人それぞれの行動が、それぞれの気持ちを表していた気がした。
(……美香の涙は、本物だった)
(……美紀の「形が変わっても続く」という言葉は、自分にも言い聞かせている言葉だったのかもしれない)
(……俺は、ただ、何かしたかった。言葉にできないことを、行動で示したかった)
窓の外で、虫の声が続いていた。
八月も半分が過ぎた。
夏は、まだ続いている。
(……この夏が終わるまでに、答えを出す)
(……美紀との約束を、忘れない)
(……美香の涙も、忘れない)
俺は目を閉じた。
今日見た夕陽の色が、まぶたの裏に残っていた。
橙から紫へ変わっていく、あの美しい色が。
◇ ◇ ◇
― 第六話「海と、どちらかの涙」 了 ―
次話:第七話「夏の終わりと、届かない言葉」へ続く
お読みくださり有難うございます!!
この作品を気に入ってもらえましたら、下にある☆☆☆☆☆やブックマーク、スタンプで応援いただけると大変励みになります!!
読者の皆様からの応援が次へのモチベーションになります!!




