↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
となりの双子はキケンすぎる ~生まれた日から、ずっとそばにいる。だから、ずっとキケンなんだ。~  作者: 鍼野ひびき
大二巻 夏の熱が、距離を縮める

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/37

プロローグ

夏が、動き出す。




 目が覚めた瞬間、わかった。


 また、いる。


 夏休みが始まって、三日が経っていた。

 七月の朝の光は、夏休みの初日に見たときより、もう少し濃くなっていた。夏が来た、ではなく、夏が来ている、という光だった。


 今日は誰だろう、と思う前に、わかった。


 美紀だ。


 背中への寄り添い方で、美香との違いがわかる。美香はぎゅっと抱きつくように来る。美紀はすっと、静かに寄り添ってくる。体温の伝わり方も、少しだけ違う。

 今朝は後者だった。

 美紀が、俺の背中にそっと顔を埋めていた。


 例の手は——今朝もしっかりと、例の場所を、例の感じで握っていた。


(……美紀さん)

(……夏休みになっても、その習慣は変わらないんですね)


 でも今朝は、それよりも気になることがあった。


     *

 美紀が、起き上がらなかった。


 いつもは目が覚めると、何事もなかったように起き上がる。髪を直して、「おはよう」と言って、さっさと動き始める。それが美紀だった。


 でも今朝は、違った。


 美紀が目を覚ました気配がした。寝息が変わった。呼吸のリズムが、眠りから覚醒へと移行するときの、あのゆっくりした変化があった。

 でも、美紀は起き上がらなかった。

 動かなかった。


(……美紀?)


 俺も動かなかった。

 美紀が起き上がろうとするのを待った。でも美紀は動かなかった。

 しばらく、二人でそのまま、静かにいた。


 例の手が、ゆっくりと離れた。

 美紀が気づいたのか、あるいは意識的に離したのか、俺にはわからなかった。

 ただ、手が離れた後も、美紀は動かなかった。


 俺はそっと振り返った。


 美紀と、目が合った。


 美紀は起きていた。

 目を開けたまま、俺を見ていた。

 ただ、何も言わなかった。何もしなかった。ただ見ていた。


(……美紀)


 夏の朝の光の中で、美紀の顔が近かった。

 シングルベッドの、顔と顔がくっつくような距離で、向かい合っていた。

 美紀の目が、いつもより少し揺れていた。


     *

「……おはよう、博之」


 美紀が言った。

 いつもより低い声。いつもより少し遅い、おはようだった。


「ああ、おはよう」


 また沈黙が来た。

 でも今日の沈黙は、重くなかった。

 夏の朝の光と、窓の外から入ってくる熱を帯びた風と、遠くの蝉の声が、その沈黙を満たしていた。


「……今日から夏休みだね」


 美紀が言った。


「三日前からだ」

「……そうだね。でも、なんか今日から、って感じがする」

「なんでだ」

「……わからない。なんとなく」


 美紀が少し目を細めた。窓の外を見ているような目だった。でも視線は俺の方に向いたままだった。


 それから美紀が、ゆっくりと言った。


「……なんか、怖いね」


(……怖い)


(……夏休みに入ってすぐ、美香も同じことを言っていた)

(……「なんか怖い」と言って窓を閉めた、美香の声を思い出した)


 美紀と美香は、一卵性双生児だ。

 顔も体型も同じで、生まれた日も同じで、十七年間同じ家で育った。

 それでも、中身は全然違う。

 美紀は論理的で、美香は感覚的だ。美紀は言葉を選び、美香は言葉をまっすぐ出す。


 でも、今この瞬間。

 二人が同じ言葉を、同じ意味で使っていた。


(……この夏が怖い。何かが変わりそうで、怖い)

(……美香も、美紀も、同じことを感じていた)


「……俺も、少し怖い」


 俺が言うと、美紀が少し目を丸くした。


「……博之も?」

「ああ」

「……そっか」


 美紀がゆっくりと瞬きをした。

 それから、少しだけ、表情が柔らかくなった。


     *

 また、沈黙が来た。


 今度は少し長かった。

 でも誰も動かなかった。

 向かい合ったまま、夏の朝の光の中にいた。


 そのとき、美紀の手が動いた。


 俺の方へ、ゆっくりと伸びてきた。

 そして——


(……あ)


(……美紀?)

(……今日は、起きてますよね?)

(……目を開けてますよね?)


 美紀の小さな掌が、しっかりと、例の場所を握った。


 今度は、熟睡していたからではなかった。

 美紀は目を開けていた。俺を見ていた。

 それでも、握った。


(……!)


 俺は固まった。

 美紀も固まった。

 一拍。

 二拍。


 美紀の顔が、一気に赤くなった。

 そして美紀の手が、すっと離れた。


「……っ」


 美紀が声にならない声を出した。

 それから素早く寝返りを打って、俺に背中を向けた。


(……美紀? 美紀さん?)


 美紀の耳が、見たことがないくらい赤かった。

 首筋まで赤かった。


「……おはよう、博之」


 美紀がもう一度言った。

 今度は完全に別のトーンだった。平静を取り戻そうとしている、でも取り戻しきれていない、声だった。


(……さっきも言ってたぞ、おはよう)

(……でも今はそれを言うべき状況ではない気がする)


「……ああ、おはよう」


 俺も普通に返した。

 どちらも、今起きたことについて、何も言わなかった。


     *

 美紀が起き上がって、髪を直した。

 動作はいつも通りだったが、耳の赤さはしばらく消えなかった。


 俺もベッドの上に座った。

 窓の外で、蝉が鳴いていた。

 熱を帯びた風が、カーテンを揺らした。


「……朝ごはん、どうする?」


 美紀が少し落ち着いた声で言った。


「下で食べる」

「……私も。作る」

「母さんいるぞ」

「……それでも、手伝う」


 美紀がそう言って、ドアの方へ向かった。

 扉に手をかけて、少し止まった。


 振り返らなかった。

 でも、聞こえた。


「……さっきのは、忘れて」


(……忘れられるか)

(……どう考えても忘れられない)

(……でも、今はそう言うしかない、ということは、わかる)


「……わかった」


 美紀がドアを開けた。

 廊下に出ていった。

 足音が階段を降りていった。


 俺は一人、部屋に残った。


(……美紀)

(……「怖いね」と言った)

(……「なんか怖い」という言葉の意味が、今朝少しだけわかった気がする)


 怖いのは、夏が来ることだけじゃない。

 変わることへの怖さだけじゃない。


 自分の中にある気持ちが、どこへ向かうかわからないことが、怖いのかもしれない。

 目を開けたまま、手が動いてしまうような、そういう気持ちが、怖いのかもしれない。


(……美紀も、俺も、同じだ)

(……この夏が怖い。でも、もう始まっている)


     *

 窓を開けた。


 夏の空気が、一気に部屋に入ってきた。

 熱くて、湿っていて、でも清々しかった。

 蝉の声が、近くなった。


 水瀬家の窓を見た。

 美香の部屋の窓は閉まっていた。まだ眠っているらしい。


(……美香は夏休みに入ってから、朝がさらに遅くなった)

(……それはそれで美香らしい)


 階下から、美紀と母さんの話し声が聞こえてきた。

 朝ごはんの準備をしているらしかった。

 美紀の声は、もう落ち着いていた。

 母さんが笑って、美紀が何か返している。


(……美紀は、強い)

(……さっきのことを顔に出さずに、もう普通に話している)

(……俺は……まだ少し、心臓が落ち着いていない)


 俺は顔を洗いに行く前に、もう一度窓の外を見た。


 夏の空は、高くて、青くて、どこまでも続いていた。

 雲が一つ、ゆっくりと流れていった。


 この夏が怖い。

 美紀も、美香も、俺も、同じことを思っている。


 でも、夏は始まった。

 目を開けたまま、手が動いてしまうような夏が。


(……動き出す)

(……この夏が、動き出した)



◇ ◇ ◇


― プロローグ「夏が、動き出す。」 了 ―

次話:第一話「プールと水着と149センチの破壊力」へ続く


お読みくださり有難うございます!!

この作品を気に入ってもらえましたら、下にある☆☆☆☆☆やブックマーク、スタンプで応援いただけると大変励みになります!!

読者の皆様からの応援が次へのモチベーションになります!!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。