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となりの双子はキケンすぎる ~生まれた日から、ずっとそばにいる。だから、ずっとキケンなんだ。~  作者: 鍼野ひびき
第1巻

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第十話

選べない夏の前に




 七月の終業式の朝、俺が目を覚ますと、美紀がいた。


 いつもと違ったのは、美紀が目を開けていたことだ。


 目が覚めた瞬間、すでに美紀と目が合っていた。

 美紀は俺の方を向いて、静かに俺を見ていた。起きていた。いつから起きていたのかはわからない。


(……美紀?)


 美紀がいつもと違うのは、起き上がろうとしないことだった。

 例の手は、今朝はもう離れていた。それでも美紀は動かなかった。

 ただ、俺を見ていた。


「……おはよう」


 美紀が言った。いつもより少し低い声だった。


「ああ、おはよう」


 俺も返した。

 二人で、しばらく向かい合ったまま、黙っていた。


「……今日、終業式だね」

「ああ」

「夏休み、始まるね」

「そうだな」


 美紀がそう言って、ゆっくりと起き上がった。

 髪を直して、少し整えた。それからまた俺を見た。


「……昨日の夜、フェンス越しに話したこと」

「覚えてる」

「……答え、出しかけてるって言ってた」

「ああ」

「……この夏で、出る?」


 俺は少し考えてから答えた。


「……出すつもりだ」


 美紀が少しの間、俺を見た。

 それから「……そっか」と言った。

 今日の「そっか」は、いつもより少しだけ、あたたかかった。


     *

 終業式は午前中に終わった。


 校長の話を聞いて、担任から夏休みの注意事項を聞いて、成績表を受け取った。俺の成績は例年通り、中の上あたりだった。


 教室に戻ると、美香がクラスメイトと夏休みの計画で盛り上がっていた。

「海行こう!」

「花火もしたい!」

「でもまず夏期講習じゃないの?」

「そんなの後でいいじゃん!」


 美香が元気よく言っていた。周囲の女子たちも笑っていた。

 美紀は自分の席で成績表を見ていた。いつも通りの、静かな顔だった。


 野田が俺のところへ来た。

「桐島、夏休みどうすんの」

「特に決まってない。夏期講習は行く」

「双子と遊ぶんでしょ、どうせ」

「どうせ、って言うな」

「でも行くでしょ」


 野田が笑った。俺は否定しなかった。否定できなかった。

(……行くな、確かに)


「なあ桐島、一個聞いていい?」

「なに」

「双子、どっちか好きなの?」


 俺は少し間を置いた。


「……どっちも大切だ」

「それ答えになってないよ」

「今はそれしか言えない」


 野田が「難儀だな」と言った。俺も「難儀だ」と思った。


     *

 放課後、荷物を持って教室を出ようとすると、美香が走ってきた。


「博之! 夏休み、花火行こう! 三人で!」

「花火か」

「うん! 地元の花火大会、来月あるじゃん。三人で行こうよ!」


 美紀がそこへ来た。美香の声が大きかったから、聞こえていたらしい。


「行く」


 美紀が即答した。

 美香が「珍しい、お姉ちゃん即答じゃん」と言った。美紀が「何か問題でも」と返した。


(……この前の屋上でも同じことを言っていたな。あのときも美紀は即答だった)


「博之は?」

「行く」

「やった! 決まり!」


 美香がぱんと手を合わせた。

 それから「浴衣着ていこうよ!」と言い出して、美紀が「……それは考える」と言い、美香が「絶対着ようよ!」と言い始めた。

 いつものやり取りだった。

(……でも、これが、今日から始まる夏の最初の予定だ)


     *

 帰り道、美香が先に友達と別れたので、俺と美紀がふたりになった。


 七月の夕方は長い。空がまだ明るいのに、蝉がもう鳴いていた。


 ふたりで並んで歩いた。

 美紀がいつもより少しゆっくり歩いていたから、俺も合わせた。


「……夏、好き?」


 美紀が聞いた。


「嫌いじゃない。暑いけど」

「……私も。暑いのは苦手だけど、夏の空気は好き」

「矛盾してるな」

「……矛盾してない。空気と気温は別の話だから」


 美紀が少し顔を上げて、空を見た。

 夕方の青い空に、白い雲が浮かんでいた。


「博之」

「なに」

「……夏休み、いろいろ変わるかもしれない」


 俺は美紀を見た。美紀は空を見ていた。


「変わる、というのは」

「……わからない。でも、なんか変わる気がする。感じるんだよね、たまに」


(……美紀が「感じる」と言うのは珍しい。美紀は感覚より論理で話すことが多い)


「変わることが怖いか?」

「……少し。でも、変わらないままでいることの方が、もっと怖い気がする」


 俺はその言葉を、しばらく胸の中で反芻した。


(……変わらないままでいることの方が、もっと怖い)

(……美紀がそう思っているなら、俺も同じかもしれない)


「……俺も、そう思う」


 美紀が俺を見た。

 少し驚いた顔をして、それから小さく「……そっか」と言った。

 今日何度目かの「そっか」だった。でも今日の「そっか」の中で、一番やわらかかった。


 ふたりで歩いた。

 蝉の声が、夏の始まりを告げていた。


     *

 夜、俺が部屋で本を読んでいると、合鍵の音がした。


 今日は美紀が朝から来ていたから、夜は美香の番だろうと思っていた。

 案の定、美香だった。


「博之ー! 夏休み始まったね!」

「まだ始まったばかりだ」

「でもテンション上がるじゃん!」


 美香がリビングのソファに飛び込んだ。俺は本を閉じた。


「今日さ、お姉ちゃんと帰ったんでしょ。何話してたの」

「いろいろ」

「いろいろって何よ。教えてよ」

「夏が変わりそう、みたいな話」

「変わりそう?」


 美香が少し首を傾けた。


「……なんか、私もそんな気がする。最近」

「そうか」

「何が変わるんだろ」

「さあ。でも、変わっても、変わらなくても、来るもんは来る」

「詩人みたいなこと言うじゃん」


 美香がくすくすと笑った。

 それから少し真剣な顔になった。


「ねえ博之」

「なに」

「……今年の夏、何か変わる? 博之の中で」


 俺は少し考えてから、正直に答えた。


「……変わると思う」


 美香がじっと俺を見た。

 その目が何かを確かめようとしているのがわかった。


「……怖い」


 美香が小さく言った。


「何が怖い」

「……変わることが。でも、変わってほしい気もする。わかんない」


(……美香も、美紀と同じことを言った)

(……変わることへの怖さと、変わってほしいという気持ちが、両方ある)


「……博之は、ちゃんと選べる?」


 美香が聞いた。

 「選ぶ」という言葉を、美香が初めてはっきりと使った。


「……選ぶつもりだ。この夏に」

「……本当に?」

「ああ」


 美香が少しの間、黙った。

 それから「……わかった」と言った。


「でも博之」

「なに」

「選ばれなかった方のこと、ちゃんと大切にしてよ」


 俺は少し胸が痛くなった。

 美香が自分のことを「選ばれなかった方」として話しているのが、わかったから。


「……ああ。約束する」


 美香が「……うん」と言った。

 それからいつもの顔に戻って、「よし! 夏休み楽しもうね!」と言った。

 切り替えが早い。それが美香だ。

(……強いな、美香は)


     *

 美香が帰った後、俺はベッドに横になったが、眠れなかった。


 今日一日のことが、頭の中を流れていた。


 朝、美紀と目が合ったこと。

「この夏で、答え出る?」「出すつもりだ」


 終業式の後、美香の花火の提案。

「三人で行こう」「行く」


 帰り道、美紀と話したこと。

「変わらないままでいることの方が、もっと怖い気がする」


 夜、美香が言ったこと。

「選ばれなかった方のこと、ちゃんと大切にしてよ」


(……みんな、わかっている)

(……美紀も美香も、この夏に何かが変わることを、わかっている)

(……そして俺も、わかっている)


 選ばなければならない。

 選ぶことは、どちらかを傷つけることかもしれない。

 でも、選ばないことは、二人とも傷つけることだ。


(……美香が言った。「選ばれなかった方のことを大切にしてよ」)

(……美紀が言った。「変わらないままでいることの方が怖い」)

(……二人とも、答えを待っている。俺の答えを)


 天井を見つめた。

 夏の夜の空気が、部屋に満ちていた。


(……この夏が終わるとき、俺は何かを選んでいるはずだ)

(……それが怖くないといえば嘘になる)

(……でも、逃げることはもうできない気がしている)


 窓の外から、蝉の声がした。

 夜なのに、蝉が鳴いていた。

 夏の、始まりの声だった。


 ようやく眠気が来た頃、俺は目を閉じた。


 夢を見た。


 誰かと、手を繋いでいる夢だった。

 顔が見えなかった。

 でも、あたたかかった。


(……美紀か、美香か)

(……わからなかった。でも、どちらかだった)

(……どちらかの手が、俺の手を握っていた)



◇ ◇ ◇


― 第十話「選べない夏の前に」 了 ―

次話:エピローグ「朝、また君がいた。」へ続く


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