Itinerary: 5日目 その28
渡辺の運転する車は、幅一台分の狭い山道を疾走していた。剣がわめく。
「道わかってるんだろうな!」
「わかってますよ」
どの道だ。時宗は死に物狂いで脳を動かした。車は登り道をたどっている。当然だ。下から海斗が追い上げてきている。でも頂上でもおそらく警備が待ち受けている。それを突破したとしても、今度は山を下らなければならない。山狩りが始まっている以上、どのルートも脱出は無理なはず。
他の道は……。
そういえば、山歩きが趣味だった曾祖父が遥か昔に作った道がある。この山を出て、西に広がる山地を縦走するルートだ。でもあれは登山道であって、車両が通れる道じゃないはず。まさか。
「あと少しです」
そのまさかだ。こいつら……。
「南条の予算で整備しておいて助かった。つくづく、テメェの親父はバカだな。おかげでこっちはプランBどころかプランCまで用意できたってわけだ」
おそらく縦走ルートの一部、ここから沢へ降りる道に手を入れたのだ。そこを使えば南条所有の山を抜け、隣の山との境界になっている川に出られる。川を渡れば、あとは川沿いに公道が走っている。
本当に、本当に俺の父親はバカだ。どこまで食われてんだよ。
意識が朦朧としてきている。歩行箱が時宗をかばってくれたのに。海斗がすぐそこまで来ているのに。自分は終わりなんだろうか。
「脱出用の道に入ったらこいつを始末して、沢に放り込むぞ」
剣が渡辺に言うのが聞こえる。時宗の前で、運転席の渡辺が頷く。
生きなきゃ。
剣の太い腕に首を絞められながら、時宗はもがいた。右肩を撃たれてるくせに、なんて力だ。ぬるぬるした血がまとわりつくのが気持ち悪い。傷口に指を突っ込もうと暴れながら、後ろを見る。
海斗は……。
思ったその時、後ろからヘッドライトが車の中へ真っ直ぐ射し込んできた。
ライトの角度がずれると、その奥の運転席が見える。鬼のような形相をした海斗が唇を引き結び、射るように時宗を見つめている。
あ~、これは……アホタレって怒鳴られるパターン……。
ふふ、と笑みがこぼれた。
生き残らなきゃ、怒鳴られもできない。
最後の力を振り絞り、時宗は剣に絞められたまま手を伸ばした。震える手でドアの内側を探る。指は空しくドアを撫でていたが、何度かやるうちにレバーに触れた。
ぐわっとカーブで振り回され、手が大きくドアから離れる。
落ち着け。
前を伺い、次のカーブが自分の方──運転席側を外側にしているのを確かめる。渡辺がブレーキを踏み、車体の後ろを振り回した。揺り動かされ時宗の体がドアに押し付けられる。
レバーを引き、時宗は革靴の底をドアに押し当てた。ぶわりと車体が揺らぐ。次のカーブは向こう側だ。ドアが閉まらないように足を踏ん張って待つ。
渡辺は、海斗に追い立てられて焦っているようだった。無駄にハンドルを回し、アクセルを踏み過ぎては戻している。
ぜんっぜん、海斗より下手じゃねぇか。
再び自分が外側のカーブが来たのを見計らい、時宗は思い切りドアを押した。遠心力でぐわんとドアが開き、山肌に当たって吹っ飛んでいく。
「何してんだテメェ!」
剣の怒鳴り声を聞きながら、時宗は体をたわませ、渾身の力で剣の顔面に頭を叩きつけた。ギャッという声とともに腕の力が緩む。
拘束から抜けても、時宗は残った力すべてを込めて暴れ続けた。足が外に突き出ると、弐陸のエンジン音がひるんだのがわかる。もし時宗が転げ落ちたらフルスピードで乗り上げるわけにはいかないからだ。わずかに距離を開け、いつでも対応できるように海斗が走り方を変える。
森の隙間を抜け、車両は他の道との合流地点を越えた。崖沿いの広い道に入り、見通しのいい緩やかな登りが続いている。助手席側の向こうはすっぱりと夜空になった。
時宗は拳を握り、再び振りかぶった。
ガツンと剣の頬骨に拳が当たり、手からビリビリ伝わる振動で脳が痺れる。
「この野郎、ふざけやがって!」
わめきながら、剣が腰から銃を抜く。撃とうとした腕を咄嗟に払いのける。
ガァンと銃声が耳をつんざいた。渡辺の頭がガクンと落ち、車が唐突に加速し始める。
やらかした。
渡辺の体がぐらりと傾ぎ、助手席に倒れこむ。
まずい。このままだと、最後の急カーブで車はまっすぐ空中に飛び出る。
「何しやがる!」
「それはこっちのセリフだ!」
互いに罵り合いながら、時宗はもう無我夢中だった。腕をがっしり掴んできた手をほどこうと体をよじり、剣の顔面をめちゃくちゃに殴る。こめかみと腹を交互に殴られる。
ウォンという狼の吠え声が再び聞こえた。後ろを見る。
狂ったように疾走する黒い車をピタリと追走しながら、海斗は右手をくるりと振り回した。
何やるつもりだよ?!
思うと同時に、車がガツンガツンと山肌に当たる。体が大きく跳ね、剣が何事か叫んだ。
次の瞬間、海斗が一気に近づいてきた。時宗の腰の後ろがゴンと突き上げられる。カーブ直前で尻が振り回され、視界が横に流れる。そのままの勢いで車はくるりと後ろを向いた。
バァン!というものすごい衝撃と共に、時宗の体は剣の肉にめりこんだ。助手席側の横っ腹が山肌に叩きつけられ、車も、中の三人も宙に浮き、ガツンと落ちた。
数秒気絶していたらしい。
気づけば、車は止まっていた。頭から助手席の下に突っ込んだ渡辺の足が見え、尻の下でタイヤが空転している。時宗のすぐ横に、なぜか海斗の顔があった。
窓を全開にして、海斗は力一杯怒鳴っていた。
「この……!! 心配させやがって! 生きてっか? 生きてんだな?!」
海斗はこちらの車のバランスを操り、カーブに沿ってスピンさせておいて自分の車と山肌とで挟みこんだのだ。海斗の車の運転席側と時宗の車の運転席側が、めり込むようにピタリと接触していた。
海斗の奥から弥次郎がぬっと現れる。
「動けるか? 手を伸ばせ」
やっとの思いで、腕を上げる。力強い手が時宗をぐいと引っ張り、あっという間に時宗は海斗の上にいた。
後部座席から敬樹も手を伸ばしてくる。
「……すまん」
「いいから! 引っ張りますよ」
だがその時、うおおおおという叫びが車内に轟いた。足首がものすごい力で掴まれ、黒い車に引き戻される。
時宗は喚きながら足をバタつかせた。
その足掻きは、短く終わった。
鋭い目をした弥次郎が、勢いよく銃を抜き、剣に向かって撃ったのだ。
マズルフラッシュに目をつぶっている間、弥次郎はためらいもなく全弾撃ち込んだ。轟音とともに晶石火薬の匂いが満ちる。敬樹が後部座席に時宗を引っ張り込む頃、辺りは静かになった。
弥次郎が助手席から降りていき、黒い車のエンジンを止める。
それを見届けると、時宗はついに体の力を抜いた。
俺は生き残った。
家族に助けられて、俺は、生き残ったんだ。




