Itinerary: 2日目 その4
服を着てキッチンに戻ると、男はテーブルに寄りかかって携帯端末をいじっていた。
「あの……ありがとうございます」
声をかけると、男は「ん」とだけ答えてしばらく端末を見続けている。
時宗は椅子に座り、しばらく待った。暇つぶしといった雰囲気ではなかったからだ。仕事か、家族か、いずれにせよ返信しなければならない文面を考えているといった顔つきだった。
外はすっかり暗くなっていた。無意識の動きで、男が灯りをつける。橙色の灯りの下、男が自分の要件に集中しているのをいいことに、時宗はしげしげと顔を眺めた。
黙っていると、男はなかなか知的に見えた。鼻筋も通っていて、女にモテそうな顔だ。唇を引き結んだまま、男は素早く文章を打っている。家族はいるんだろうか。親しくやり取りする友人は? 何もかもピンと来ない。
「で、晩飯なんだけども」
メッセージを送信し終わり端末の画面を消した男は、不意に声を出した。
「晩飯……」
「カップラーメンとカップ焼きそばとカップうどん、どれ食う?」
「……インスタントの麺類」
「共通点は聞いてね。どれ食うかって聞いてんだ」
それは、つまりとりあえず晩飯を食わせてくれるっていうことか。
「あ~、焼きそばお願いします」
「ん」
いや俺はこいつの食生活が心配なんだが、インスタント以外はないのか?
まぁそうは言っても、時宗も料理ができるわけじゃない。弥二郎は事務所のひとつ上を借りていて、弥二郎と時宗、それに敬樹が住んでいた。まだ十七歳のくせして敬樹はしっかり者で、料理に関しては頼りっぱなしだ。
男は再びやかんに水をくみ、火にかけながら、こちらを見た。
「そういやお前、名前は?」
「あ、そういえば」
俺としたことが。鞄から名刺を出し、男に渡すと、同じ名前で取ったIDカードもテーブルに置く。
「調査員……南 時雄?」
もちろん通り名だ。ヤバい本名なんか名乗れない。この稼業は目立たないことが肝心だ。
「よろしくお願いします」
「ふ~ん」
名刺をしげしげ見ると、男はそれをテーブルに置き、袋からカップ焼きそばを二つ出した。自分から聞いておいて、やっぱり薄い反応しかしない。
突き出されたカップ焼きそばの蓋を開け、お湯を入れる準備をしながら、時宗は男を見た。こっちに名前を聞いておいて自分は名乗らないのか?
「あの~、お名前聞いてもいいですか?」
仕方なく聞いてみると、男は「あぁ」とぞんざいに答えた。
「田中」
……嘘くせぇ。とは思ったが、泊めてもらう恩人の機嫌を損ねるわけにはいかない。しゃあない、その名前でとりあえずよしとしよう。自分も本名じゃないわけだしな。
「あの、ありがとうございます」
「ん」
無口な奴。何歳ぐらいなんだろう。時宗より年上? 年下?
お湯が沸くと、男はそれぞれの焼きそばにお湯を入れ、マグを出した。
「お前、その焼きそばに入ってたスープ入れてくれ」
「あ、はい?」
確かに、スープの素の小袋がある。そういや聞いたことがある。サッポロのカップ焼きそばって、捨てるはずのお湯でスープができるって。
粉末をマグに入れながら、時宗は今野のことを聞いてみることにした。
「あの~、隣の今野さん、仕事って何をしてるんですかね」
「知らね。時々帰ってくるだけ」
「はぁ」
取りつくシマもない。男はぼんやりとテーブルの横に立っていたが、時間が来ると焼きそばの調理に使ったお湯をマグに入れ、焼きそばにソースを入れだす。時宗も同じ作業をすると、二人は向かい合って焼きそばを食べ始めた。
すこし甘めの味付けは、寒さでエネルギーを消耗した胃袋に沁みた。中華風でぴりっとしたスープもうまい。時宗は夢中で食べた。男も黙々と食べている。相変わらず、親切なのかそうでないのか、さっぱりわからない。
食べ終わると、時宗は弥二郎に通話をかけた。
『お~、まだ凍死してないか?』
第一声がこれだ。
「まだ生きてる。なんか隣の人に救ってもらった」
お礼の意味を込めて言うと、キッチンにいた男は無表情でこっちを見た。聞こえるように通話を続ける。
「謝礼出すからな。今野海斗は部屋にいないから、一晩待ってみる。明日も待とうと思うんだけど、他の案件って入りそうなのか?」
『いや? 別に今のところない。見つけるまで帰ってこなくていいぞ~』
「そうもいかないだろが」
『いや~、じいさんから追加で振り込みがあったから、明日お前の口座に二十万振り込んどくわ。宿泊所でもなんでも取って、じっくり待ってくれ。で、追加情報なんだが』
気を遣ってくれたのか、男は奥の部屋へ入っていく。
『特にない』
「おい!」
『しょうがないだろ。依頼人は死にかけだし。今野を病院に連れてく手はずはできたから、それでなんとかしてくれ』
「……わかった」
『足りなかったらまた振り込むから言え。宿泊所でもなんでも避難していい』
「今回はずいぶん太っ腹だな」
『そうか? じいさん金持ちだからな。ま、頑張れ~』
素っ気ないことで。他の仕事がないんなら、しょうがない会えるまで粘るか。明日は今日より暖かいといいんだが。
「宿泊所行くんか?」
時宗が通話を切ると、男は部屋から出てきてぼそっと言った。
「いや、今夜はここで待たせてもらえたらありがたいんですけど。明日はここの廊下で待つつもりです。それでもダメなら、明日の夜辺りは宿泊所に一度避難します」
「ふ~ん」
この返事、慣れてきた。無関心というより、それがこいつの通常モードなんだ。
時宗は冷蔵庫の横の壁に触れてみた。この向こうはたぶん、こっちと同じキッチンだ。壁にくっついて寝たらいいんじゃないか? そうすれば住人が帰ってきた時に音で気づける。
鞄と温熱ジャケットを引き寄せ、歩行箱にしまって……って、あいつはいないんだったっけ。小さなスペースに直接よっこいしょと座りこむと、男が見下ろした。
「……そこで今夜寝るんか?」
「そうですね。ここなら帰ってきたのが壁越しにわかるし。田中さんに迷惑かからないかなと思って」
返事はなかった。無言のまま、男は奥の部屋に入っていく。引っ込むのかと思いきや、敷布団と毛布を持ってきた。
「そのまんま寝たら風邪ひくべや」
「ありがとう……ございます」
いや、親切すぎないか? 最初にドアでブン殴ったのは何だったんだ?
「あの、もしかして今日って夜勤明けかなんかでした?」
「? なんでだ」
「呼び鈴連打したの悪かったな~って」
「あぁ……いや、夜勤とかじゃない」
で?
待ってみたが、それ以上の答えはなかった。時宗はおとなしく布団を受け取り、スペースに収まるように適当に折りたたんで置き、座りこんだ。男は晶石ストーブの火力を調節してくれている。
「暇つぶしとか、いるか?」
「あ、大丈夫です自分の端末で本でも読んでるから」
「あっそ」
また奥の部屋にさっさと行くのかと思いきや、男は椅子に座った。端末をいじり、テーブルに置くと、時宗を眺めて黙って座っている。何か言いたそうな雰囲気を感じて、時宗は話を振ってみた。
「明日って仕事ですか?」
「明日は……わかんね」
わからないってなんだ。
「在宅、とか?」
「さぁ……」
要領を得ない。
「端末で仕事する、とか?」
「あ~、いやゲームしかしねぇ。多分明日は仕事入らないと思うんだけど、オレが決めるわけじゃねぇし」
どこか投げやりな感じの答えは気になった。忙しいという雰囲気ではないのに、仕事は別に好きではないらしい。本人にも明日が仕事かどうかわからないというのは一体なんだ? 依頼が来てから動く仕事? たとえば……探偵事務所、とか。
自分の仕事だそれは。
これ以上聞いても、男の素性は明らかにならないんじゃないかという気がした。
時宗は仕方なく毛布にくるまって壁に寄りかかった。部屋は晶石ストーブのおかげで暖かい。男は最初に見た時と同じく、タートルネックだけでセーターは脱いでいた。
「……あのさ」
唐突に、男が口を開いた。
「はい?」
「明日も明後日も、隣の奴が帰ってこなかったらどうすんだ?」
「え~、宿泊所に泊まりつつ、通おうかなと」
男はなぜか顔をしかめた。
「帰らないんか」
「いや、だって……経費もらったし」
「さっさとトウキョウ帰って、何日か経ってから『いませんでした』ってじいさんに言えば終わりじゃねぇか?」
ハタと男の顔を見る。何言ってんだ?
「え? だって調査費出してもらってそんな不誠実な仕事できないですよ。お金もらって嘘つくなんて、俺は嫌だ」
「バレなきゃ……」
「バレなくたって俺が知ってる。人を騙すのは、癖になるんです。最初はそれでうまくいくかもしれないけど、だんだんそれで仕事ちゃんとしなくなって、信用もなくして、人間がダメになる。おじいさんは、死ぬ前に孫と和解して遺産を残したいっていう目的で俺の仕事に金を出した。なら、実際に孫を連れて行くか、せめて孫に直接会って、おじいさんに会いたくない理由を聞いて、会えない理由だけでもきっちり持って帰らないと」
時宗にとって、それは当たり前のことだった。寒いとかなんとか文句は言っているが、仕事は仕事。最初からこうなる可能性があったからこそ、弥二郎と押し付け合っていたわけで、やると覚悟を決めたのなら、この案件は最後まで時宗の責任でやり遂げる必要がある。
虚を突かれたような顔で、男は時宗を見ていた。その表情に、時宗は自分がムキになっていたことに気付いた。あ~、こういうの、言わない方がよかったか……。
怒りで赤黒くなった父親の顔を思い出す。何を言っても、聞く耳のない者には意味がない。言うだけ無駄だ。無駄なんだ。
目の前の男も、時宗の言ったことをせせら笑うんだろうか。あるいは怒って俺を追い出すだろうか。えらそうなことを言うな。生きていくための知恵もない奴めが。
でも、男は別に笑わなかった。ほんの少し穏やかな目で「なるほど」と呟いただけだ。しばらくの沈黙の後、男は椅子から唐突に立ち上がった。
「オレ風呂入るけど、暇なら奥から好きな本持ってっていい。あと」
時宗が顔を上げると、男は照れたように口の端を上げた。
「ストーブ、好きなように調節すれ」
それだけで、男は風呂に消えた。
どうやら、時宗の存在はあまり男のストレスにはならないらしい。




