Itinerary: 5日目 その25
今日の頭痛はいつもと違う。
意識が戻って最初に考えたのは、そんなことだった。なんでこんなにズキズキするんだ? 使い過ぎによる疲労ではないと思ったところで、殴られたことを思い出す。
……完全にしくじった。
どこかに転がされて、体はまったく動かせなかった。両足がロープできつく縛り上げられ、両手は後ろ手に、これもぎちぎちに縛られている。結び目を探すのも難しそうだった。腰に差してあった晶石銃の重みは消えている。左のくるぶしにつけていた隠しナイフもベルトごとない。
時宗は目をつぶったまま、自分の采配ミスを激しく悔いた。ヤマで時宗を襲撃する者などいない。そんなことをすれば鉱脈の存続にかかわるという事実を、誰もが当然尊重するはず。時宗も警備も、知らず知らず全員がその「常識」の上で行動していた。
少し考えればわかったことだ。思い通りにならないのなら、鉱山の存続なんてくそくらえだと思う者だっているかもしれない。過激な環境保護主義者が湧く時代に、なんて能天気なんだ俺は。
そこまで考え、時宗の心臓がぎくりと跳ねた。
自分を拉致した奴は、こっちの気を逸らすために護送班を襲撃したのだ。ヤケなんかじゃない。鉱山を潰してもいいから時宗を殺したい。あるいは、晶石鉱山を潰してしまいたいから、手っ取り早く時宗を殺したい。
いずれにしても、今、時宗がひとり転がされているのは、己の考えを実行に移すだけの非情さとしたたかさを持った奴が、闇の奥から淡々と時宗の言動を観察していたからだ。そいつは、時宗が思い上がって油断する瞬間を待ち続け、一瞬で喉笛に牙を突き立ててきた。
不意に喉がつまり、おぞましい恐怖が背筋を駆け上がる。胃の奥から吐き気がせり上がり、心臓が痙攣するように震えた。冷や汗が一気に噴き出してくる。涙なのか汗なのかわからない水滴が、じっとりと頬から床に広がっていく。
頭痛がパニックを煽り、時宗は高等二年の、あのコンクリートの床に戻っていた。
呼吸が浅くなり、はっはっという短い吐息に意識が追い詰められていく。喉がびくびくして、ゆっくり吐くことができない。手足が急激に冷えていく。
怖い。
怖いこわいコワイこわいコワイコワイコワイコワイ。
ひくっと息が止まる。ひゅっと吸い、またひゅっと吸う。陸に上がった魚のように、吸って、吸って、肺が、心臓が、もがいて暴れる。
空気が入ってこない。出ていかない。耳奥がドクドク鳴り、全身が硬直する。
助けて。誰か。誰か助けて!!
こわいよ。こわい。
脇腹がひきつるように痛む。
脳が感情の限界を迎える。白い稲妻が視界をよぎる。肩がびくんと震え、時宗は再び気絶した。
誰かが、時宗を撫でている。
耳元に暖かい吐息が当たり、優しい声が時宗の魂を包む。
いい子ね。いい子。あなたにはこれから、たくさん辛いことがあるでしょう。でも覚えておいて。どんな時も、お母様はあなたの幸せを願っているから。一番辛い時……誰にも「助けて」と言えない時、あなたはひとりぼっちに思うでしょう。忘れないで。そんな時、お母様は絶対にあなたの近くにいるの。距離は関係ない。たとえ地の果てにいても、たとえ……あの世とこの世に分かれていても、それでも……。
時宗を抱きしめて、お母様は頭を撫でてくださった。
歩行箱はどこだろう。
あいつを制御している晶石は、お母様がくださったものだ。歩行箱と初期コネクトの作業をした時を思い出す。お母様の優しい手に促されて、一緒に石に触れる。歩行箱が答えて、小さく鳴く。
お母様、箱がしゃべったよ。
ええ、そうね。これで大丈夫。いつも……いっしょ……。
うっすらと目を開ける。涙が頬を伝って流れ落ちる。
脳の一番奥深くにしまいこみ、意図的に閉じ込めた記憶が呼び覚まされている。どうして今? そう思った時、体の中を晶石のエネルギーが通り抜けていることに気づく。
あぁ……そうか。
歩行箱の石だ。あれが、鉱山全体の晶石を経由して時宗を探しているのだ。離れていても。鉱脈のエネルギーが伝言のように歩行箱へ時宗の存在を伝える波動を、時宗は感じ取った。
ずっと、思っていたんだ。お母様のことを思い出すのは、みっともないって。もう大人にならなくちゃいけないんだから、お母様との思い出は、閉じ込めて、しまいこんで、思い出すきっかけになる「糸」は切ってしまわないと。
なのに今、歩行箱は時宗を探し、時宗の記憶を位置情報代わりにたどっている。
みっともないなんて、思わなくていい。
お母様は言ったんだ。泣きたい時は泣いていいの。人はみんな、感情を持っているのだから。誰かと同じように感じることができるなら、あなたは大丈夫。
生きなきゃ。生きるためなら、使えるものは何でも使え。お母様の言葉だって、生きるのに使えるなら、使っていいんだ。
意識を集中させて普通の呼吸に戻し、靴の中で爪先を動かす。
そうだ。俺の人生はようやく始まったんだ。死んでる場合じゃない。
ゆっくり息を吐いて、時宗は薄く目を開いた。




