Itinerary: 5日目 その18
すぐ足元を歩行箱がついてきているのを感じながら、時宗はマキの方へ歩み寄った。
頭の中は冴えていた。
装置を挟んで、マキと時宗は向かい合う。マキの顔からは、普段の穏やかさが抜け落ちていた。焦りからか、額には汗が浮かび、今にも歯を剥き出して唸りそうな、切羽詰まった競争心と緊張が露わになっている。
「南条。石を外すように言ったのは、君か?」
「いいえ。これは海斗自身の望みでした。死んでしまった母親の形見を、あなたは奪おうとした。彼は取り戻しただけだ……海斗の父親が命を削って開発した機械も、返してもらいます」
「これは我々が使うべきものだ。権力を独占している南条家に、これは渡さない」
マキが張り上げた言葉に、群集が吠えた。そうだ! そのとおり! 支持を得て、マキは再び高揚し始める。
「見ろ! 君は、この労働者たちを見ても、機械を南条の物にすると言い張るのか? 今ここで我々の要求をのまなければ、君たちがどうなるか……」
時宗はマキを無視し、装置を観察した。
石を抜き取られた機械は、すべての機能を停止させた状態だ。工具や予備パーツらしきものが、周囲に散らばっている。太いコードが何本も機械後部から伸び、パネルにつなげられていた。
一応、すべては問題なく繋がっている。
それを確認すると、時宗は身をかがめた。予備のバッテリー・カートリッジを、傍らに置かれた箱から取り出し、グラウンドを照らす灯りの下にかざしてしげしげ眺める。
盛り上がりかけた群集とマキは、時宗の行動に意表を突かれ、スンと静かになった。
カートリッジは、機械を取り巻く穴に差し込まれているのと、同じものだ。手の平にすっぽり収まる程度の太さで、長さも時宗が親指と人差し指を広げたぐらい。下部は金属に覆われていて、上端は透明になっていた。傾けると、薄青い液体がとろりと動くのが見える。
それを持ったまま、時宗は考えこんだ。何か、思い出すべきピースがある。
「このカートリッジは、何に使うものだ?」
代表者の中で三十代の男、さっき渡辺と名乗った奴が答えた。
「そこにエネルギーを溜めて、小型掘削機に使うんだ」
「なるほど」
金属部分に手をかけて回してみるが、動かなかった。
唯は、何と言っていた?
バッテリー・カートリッジを海斗が運んだのが、四ヶ月前と二ヶ月前。「カートリッジ」と呼ばれる新しいクスリが流通し始めたのも……四ヶ月前から。
クスリかどうか、用途不明のカートリッジ。晶石の粉末がわずかに入っていて、それを均等にオイルと混ぜるために使われている物質が、中毒性のある薬物と組成が似ている。
時宗は、カートリッジを地面に落とした。
透明部分を足先で踏み、体重をかける。カートリッジを小石にこすりつけ傷をつけておいてから、足を思い切り踏み下ろす。
「何するんだ!」
マキが叫んだ。代表者たちが同調し、群集がわめく。
パキン、と割れる感覚が足裏に伝わってきた。屈み込み、地面に沁み込むオイルを観察する。その横に手をつき、時宗は待った。
深い深い底から、かすかな感情が上がってくる。
いやだ。いや。ヒトが、イシになる。これキライ。イヤ。
石の拒絶が、手の平から伝わってくる。同時に、かすかな匂いに気づく。この匂いをどこかで嗅いだことがある。これは……そうだ。サッポロで生田老人の工房に行った時だ。
配管が生き物のように脈打つ、怪物のような建造物。その周囲には薄青い煙と、この匂いが漂っていた。晶石粉末だけではない。何かのハーブのような……清涼感の奥に、思考を奪う誘惑的な香りが潜んでいる。
唯の報告を思い出せ。
謎のカートリッジ。飲料に混ぜて摂取すると軽い覚醒作用がある。ただし、継続使用すると体内に晶石粉末が蓄積し、急激に再結晶化する可能性がある。
晶石はどれだけ細かく割られても、ひとつでしかない。別な人間と心を通わせても、存在の根源、原初において晶石はひとつだった。だから人間と融合しその生命エネルギーが自分たちの存在に侵入してくることを嫌う。
薬物に考えをコントロールされ「ひとつ」の集合体として行動する人間の中に、石はいたくない。だから集まって結晶体に戻ろうとする。
「そうか」
立ち上がり、時宗はマキと見つめ合った。
「カートリッジの中身を、薬物として人々に投与したのか。自分の意志に従わせるために」
マキの目が見開かれた。
まるで命令でも受けたように、群集が一斉に叫ぶ。
そいつを追い出せ! 追い出せ! 追い出せ! 追い出せ! 追い出せ!
足が踏み鳴らされ、山に敵意の叫びが轟いていた。マキ以外の代表者まで全員が声を限りに叫び出す。
時宗は動じなかった。
「こんなものを人間に投与すれば、遠からず死ぬ。肺晶か、あるいは急激な結晶形成か。いずれにしても、いい結果にはならない。それを……人望を買うために使ったのか」
「し、しかたなかった。俺は主張したんだ。南条家を追い出して自主採掘権を取らなければ、労働環境の改善は見込めないと。それが一番いい方法だと言ったのに、組合は南条と平和的な交渉をまず試みるべきだと」
「俺に相談してくれれば」
遮るように吐き出した時宗の言葉に、マキは黙り込んだ。
こんなにヤマに敵意と暴力が満ちる前に、自分は行動を起こすべきだったのだ。悠長に証拠集めをしていないで、さっさと祖父と直談判でもすればよかった。
追い込んだのは自分だ。ヤマをこんなふうにしたのは俺だ。俺なんだ。
じっと、地面を見つめながら時宗は言った。
「なぜ、こんなことをしたんです。労働者のために行動していたあなたを、俺は尊敬していた。……南条が富を独占するより、あなたの考えの方が、よほど正当だった。相談してくれれば協力できた可能性はあったのに。なぜ俺に言わずに、薬物でこの人たちを操ろうなんて」
絞り出した声につられるように、周囲の声が静まっていく。
やがて、グラウンドは完全な静寂に包まれた。
「ヤマは……鉱脈はマキさん、あなたを歓迎していない。その理由がやっとわかった。石は、人と話すことが好きなんです。ほんのささやかな幸せを教えれば、石は心を開いてくれる。かすかな風の匂いや、蝶の美しい羽ばたきを教えれば、石は、喜ぶ。
でも、人間の感覚を意図的に鈍らせることを、石は望まない。まして、自分の『正しさ』を押し通すために、目的に嵌め込んだ感情を人々に植えつけることを、石は喜ばない。
そして石は、人間と同化することを嫌がっている。自分の存在に強い価値観が侵食してくることを何よりも嫌う。
あなたが純粋に労働者のためを思って、彼らの幸福を願って行動していれば、ヤマは……こんな状態には……」
マキの唇が震えた。関節が白くなるほど、拳が硬く握られる。やがてそれは弛緩し、力なく垂れた。
「……君に、何がわかるっていうんだ」
すべての感情が抜け落ちた声に、時宗は顔を上げた。
今までの人生で、これほど無機質な顔を見るのは初めてだった。
誰かに理解されることをすべて諦めてしまった顔。底なしの沼でもがいて、もがいて、自分の持っているすべての力を使い果たした後に、誰一人、自分の努力どころか自分の存在さえ誰にも知られていないことを理解した時の、孤独。
「南条。君は専門院で初めて俺に会ったと思っている。だが違う。初めて会ったのは、ここ……このグラウンドの、あの端だった」
マキの視線の先を見る。グラウンドは森に接していた。今はすでに闇の中に黙り込んだ森。あそこには、山頂に至る小道の入口がある。
忘れたことがない、あの出来事。
そうか。そうだったのか。マキはあの時の──。




