Itinerary: 5日目 その17
人々はいなくなっていた。喧騒はグラウンドに向かって遠ざかっていく。あそこはスタンド席がある。座らせておけば、ある程度の制御はきくだろう。
そして、グラウンドの真ん中には穴が掘られているそうな。おそらく、問題の装置が設置されている。
愛子。
かつて自分が呼ばれていた名が、マキに与えられている。
本物なら、と時宗は願った。
もし本物なら、自分は喜んで彼を鉱山責任者に迎え入れるだろう。
でも晶石はおそらく、彼を受け入れていない。マキがこの鉱山の鉱脈にとって害になるなら、自分は彼を排除しなければならない。
そうした決断ができる自分を時宗は哀しく思ったし、マキが自分と袂を分かつことを選んでほしくはなかった。
専門院時代。アルバイトと勉強、トレーニングに明け暮れる時宗を息抜きに誘ってくれたのは、いつもマキだった。大学時代の例の事件についても、時宗にとって印象深いのは、黙々と論文を読み続けていた時宗を見かねて散歩に誘ってくれたのがマキだった、ということだ。事件を解決できたのはもちろん良かったけれど、それだって、マキが連れ出してくれなければ関わることはなかった。
南条の名前を背負っているがゆえに、時宗はいつも周囲から遠巻きにされてきた。近づいてくる者は皆、あわよくば南条の富と権力のおこぼれに与りたいという野心をちらつかせていた。
子どもの頃からそれを当たり前だと思っていた時宗に、マキは最初からごく普通に話しかけてきた。マキのおかげで、他の学生も普通に接してくるようになった。時宗の専門院時代がそれなりに思い出深いものになったのは、間違いなくマキのおかげだったのだ。
時宗より一年早く卒業したマキは、晶石鉱山の管理部門に就職した。
すでに、鉱山がどうにもならなくなっていた時期だ。義時が当主としての実権を祖父から奪ったのは、時宗が初等三年の時だった。時頼が鉱山を任せられたのはマキが卒業する一年前。おそらく義時は鉱山がどうにもならなくなったことについて、自分の責任を軽くするために時頼に押し付けたのかもしれない。すでにそこまで義時は追い詰められていたとも言える。
マキは、鉱山が死んでいくのを見たはずだ。
装置についての情報は、いつどこで仕入れたのだろう。そこは気になる。久令会からか。あるいは別ルートからか。今後の情報管理を考えるなら、突き止めなければならない。マキはどこだ? もうグラウンドへ移動したのか?
グラウンドの方向を見つめて考え事をする時宗の横で、海斗が待っていた。
「移動すんのか?」
「ああ……行かないと。一緒に行くだろ? おそらくあそこに機械とお前のお母様の石がある」
「行く。石だけじゃなくて、お前が自分の仕事をやらんきゃならんから」
静かな声に、時宗は海斗の顔を見た。
「時宗、お前は自分が当主になったから、頑張んないとって思ってるべ? でもオレだって、時宗の友だちだ。お前は自分の父さんとか兄さんのこと、嫌いなんだろうし、実際、あれは嫌いになんのが普通だ。だから、南条ってのは別にどうでもいい。オレはお前が頑張ってる時には無理すんなって言いたいし、なんかやり遂げた時には、ラーメン奢ってやりたい。だから一緒に行く」
それを聞いた途端、時宗は自分の腹がすっと決まったのを感じた。
マキに執着する必要はない。鉱脈を守りたいという初志に寄り添ってくれる友人が隣にいるなら、やるべきことをやるだけだ。
真の友とは、己の背中が今どうなっているかを、見てくれる者なのかもしれない。
顔を上げる。
警備部隊の移動車両が、正門から来て時宗を追い越していった。弥二郎と敬樹の横で止まり、運転手が何か話しかける。二人はおとなしく車両に乗り込み、グラウンドの方へ移動して行った。
「海斗。やっぱお前の運転は完璧だわ。実際に運転してみて、実感した」
「だろ?」
ポケットから弐陸の鍵を出し、海斗に渡す。
「グラウンドまで、歩いて二十分かかる。……歩くのは面倒だ」
「んじゃ、オレ運転する。おとなしく助手席座ってれ」
「だな」
海斗に肩を叩かれ、時宗は振り向き、歩き始めた。正門のすぐそばに駐車された弐陸は、灯りの下で待っていた。夜は進む。二人は追いつくために、青い車に乗り込んだ。
グラウンドには人があふれていた。寮の方からも人が次々出てきて、スタンド席に入りきらない人は陸上トラックの方まではみ出て座り込んでいる。
真ん中に、およそグラウンドに似つかわしくないものがそびえていた。黒い巨大なパネルだ。その横には十人ほどの人間が固まって立っていた。労働者側の代表として、ゲストハウスに向かう前に時宗とやりあった者たちの顔もある。傍らには数台の車両も止まっている。時宗は何も言わなかったが、海斗は迷わずグラウンドを突っ切って真ん中に向かい、止まっていた車両に並べて駐車した。
車を降りるなり、喧騒が体を包む。先に到着した弥二郎と敬樹が近づいてきて、四人は唖然と、異次元の入口のようなパネルを見つめた。
数人が調整に駆け回っているそれは、組み上げられた鉄骨の足場に取り付けられ、黒い壁のようにせり立っていた。分解して持ち込み、この場で繋げたようだ。三十枚ほどが一枚にされ、ゆうに二階を越える高さまである。横から太いコードが何本も伸び、問題の機械に繋げられていた。
ただし……。パネルを見た途端、時宗はその『間違い』に気づいた。となりであんぐり口を開けている海斗に、試しに聞いてみる。
「どう思う?」
「どう思うって……あれ……なんか違わねぇか?」
弥二郎が興味津々といった顔で海斗に聞く。
「どこが違うんだ?」
「なんか……わかんねぇけど……たぶんあれ、タテじゃなくてヨコ……」
やっぱりな。装置に嵌め込まれた石に触れた時、無意識にでも海斗はその機能を『読んだ』。時宗と同じ能力を、弱いながらも持っているのだ。ニヤリと笑って、時宗はすでに装置の横にいたマキを手招きした。
マキは走るようにやって来ると、時宗と並んで澄まして立っている海斗に向かって、何か言いたそうに手を振り回した。弐陸の運転席から降りてきたのを見ていたのだ。しかも海斗は降りる時に警備部隊のジャケットを脱ぎ、祖父を訪問した時のスーツ姿に戻っていた。
「失礼、君は誰なのか、聞いてもいいだろうか?」
せかせかした質問にどう答えるのだろう。時宗は待った。海斗はのんびりした口調で言った。
「さぁね。オレも知りてぇんだよ、そこのとこ」
戸惑ったようにマキの視線が時宗にすがる。
「だ、そうです」
「……その……あの青い車は君の、なのかな」
「ん~、そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな」
「南条、彼は?」
肩をすくめて、巨大なパネルを見る。
「そんなことより、あれ、マキさんはあれで合ってるって思ってるんですかね?」
「え?」
振り向き、パネルを見る。時宗は説明してやった。
「わざわざ足場まで組んでパフォーマンスを考えたって、あれは使えない。あれは……平面スクリーンじゃない。地面に置く立体スクリーンだ」
ぎょっとして、マキが時宗の顔を見る。その顔を正面から見返し、静かに諭す。
「……どうして、こんなものを買って使おうと思ったんです?」
マキの顔がこわばった。弥二郎が口を挟む。
「なるほど。君は一体、誰だ?」
「……弥二郎、海斗、紹介する。俺の専門院時代の一年先輩で、ゼミで世話になった、来栖真紀さんだ。卒業と同時にこの鉱山の管理部に就職したが、今から半年……いや、もう少し前に仕事をやめ、人材派遣会社を立ち上げた。ホームレスや職のない人たちに、色々な仕事を紹介している。主な仕事の紹介先は……この、鉱山だ。この鉱山に、様々な人を送り込んでいた」
理解した顔をする弥二郎に向かって続ける。
「労働者のために動く人だ。俺はそういう認識でいたし、今も、そう思っている」
マキの顔に、苦しそうな表情がよぎった。
「南条、君は俺の理念を理解してくれているんだろう? ずっと協力してくれていたし。この鉱山における労働者の現状もわかっているわけだし」
「ええ。俺はずっと、あなたを尊敬してきた。専門院時代から、ずっと」
マキは少し迷ってから、装置をのぞきこんでいる者数人のところへ走っていった。何かを指示すると、連中の顔が青ざめ、こちらを見る。一人が群集の方へ、作業員を集めに向かった。
パネル組み換えの段取りをすると、マキはこちらへ戻ってきた。
「マキさん。パネルを直すつもりなんですか? ……使うことはできないのに」
「できるかできないかは問題じゃない。俺は、やらなくちゃいけないんだ」
自分に言い聞かせるような声。
「南条。君だってわかってるんだろう? ここの鉱脈は死にかけてる。蘇らせてやらないと。君もそう思ったから、俺の考えのために彼を連れてきてくれた。だろ?」
マキは海斗を見つめ、媚びるような笑顔を浮かべた。
「君も、我々の理念を理解してくれると思う。ここの現状について、君は聞いているかい?」
「まぁ……ちらほら聞いてはいますけど?」
「それなら、話は早い。鉱脈を見つけるこの装置を使えば、採掘人たちはこれ以上、苦労して鉱脈を探さなくてもいい。昔は平和的な場所だった。そういう時代に戻せるんだ。協力して、あの装置を起動させてくれたらありがたい」
海斗は考え込んでいた。時宗には、その思考がわかった。あの装置が人々のために役立つものだということは、事実かもしれない。だが、引っかかる。父親の命を食った機械。それは海斗自身の自由を奪い、命がけの危険にさらした物だ。そして、所有者の許可なく使われた、母の形見。
『正しさ』を主張するマキの言葉は、果たして受け入れていいものか。
「あんたの言うことは、わかると、思う」
用心深く、海斗は言った。冷静な口調だ。
「そうか! じゃあ……」
「ただ、聞きたいことがある」
感情を削ぎ落した話し方には馴染があった。祖父に似ているのだ。誰かを詰問しようとする前の、事実を確認する時の話し方。
「組織の手を借りたのは、なんでだ?」
マキが口を閉じた。視界の奥では、労働者たちが作業を進めていた。人手はいくらでもある。パネルが足場から外され、慎重に地面に下ろされる。足場が解体され、どんどん運び出されていく。
動き回る人々の中心に、海斗と時宗の人生にかかわる機械は佇んでいた。決して大きくないけれど、存在感のある機械だ。
美しい機械だった。
灯りに微かな光で応える、高純度の結晶体。規則正しく円筒の側面をうねる配管。
ああ、そうか。
機械の下部をぐるりと取り巻くように、小さな穴が開いていたのを覚えている。そこに今はシリンダー型の液体カートリッジが並んで差し込まれていた。あれがバッテリーだ。機械との接続部分は金属だが上部は透明になっていて、そこから、中を満たしている液体が見える。青みがかった液体は、アイスクリームにでもかけたら美味しそうだと、時宗は思った。
海斗はぽつぽつと話していた。
「目的は、わかった。で、オレはそのために、ずっと……ちっちゃいとこに閉じ込められて、働かされてた。生田さんもだ。あの機械を完成させたのは生田さんだけど、あの人だって、脅されてた。ヨツヤに機械を届けた時には、時宗は銃を突きつけられて、オレは、起動させないと時宗を殺すって言われた」
片足に重心を預けてはいたが、海斗の立ち姿は綺麗だった。切れ長の目が、マキをじっと見る。
「いいことに使いたいんなら、なんで、オレか生田さんに直接言いに来なかった?」
「それは……」
言い淀むマキに、海斗は言った。
「ここの人たちは、大変かもしれね。それに、ヤな奴に雇われたら、足抜けすんのがまず無理なんだってのも、わかる。でも、それでも……せめて、母さんの石と、父さんの機械を使うための許可ぐらいは、オレに言いに来んのが筋じゃねぇか?」
作業員の一人が走ってきてマキに囁いた。パネルは地面に広げられ、繋げられていく。昔何かの映画で見たダンスフロアのようだ。誰があの上で踊るのかは知らないが。
「その点については謝罪するよ。申し訳なかった。だが、この機械は数万人に及ぶこの鉱山の職員の生活を救い、ひいてはこの国における晶石利用にも寄与するものだ。いや、それどころか……世界のエネルギー利用を、この機械ひとつで変えられるわけだから……」
「そんなこと、知ってる」
「じゃあそんな個人的な事情に目を向けている場合ではないことは、理解してほしい。いいかい? え~と、カイト君と呼んでもいいかな?」
「オレは『鍵』じゃない。今野って呼んでください」
「……今野君。世界を救うために君が『鍵』となってくれることを、ここにいる全員が望んでいる。燃焼機構を使わない、環境に良いエネルギーシステムを構築し、晶石利用に革命をもたらし、すべての労働者の労働環境を改善する。これらの実現が必要なことを、君はわかってくれるものと思うんだ」
マキは声を張り、海斗だけではなく群集にも聞こえるように話している。
集団の目が、海斗に注がれていた。気づけば全員が最初と同じように黙り込み、じっとマキの声に聞き入っている。マキの言葉が全員に行き渡り、ひとつの意志となる。我々の理想。私たちのより良い生活。たくさんの人たちのために、我が儘は許さない。
マキは話しながら人々の視線を操っている。群集の視線を。それが海斗への圧力となり、海斗の意志を押し潰すための力となるように。
違和感が形になっていく。この異様な統率。全員がひとつの意志に従う、均一な顔。
石は嫌がっている。人間から自在な動きが失われることを。好きなものを好きといい、行きたいところに行く、そういう普通のことを人間ができていないのを、石は感じとっている。
マキは何をした? 何を隠している?
にっこり海斗に笑いかけると、マキは機械を指した。酔ったように両手が開かれる。
「見てくれ。あれは世界を救うものだ。カイト君。あえて、カイト君と呼ばせてくれ。あれを起動させることこそ、君の使命と言っていいだろう。過去を乗り越え、君はこの鉱山のすべての人を救い、世界を変える英雄となれる」
期待の眼差しが海斗に注がれる。海斗は居心地が悪そうに片足から片足へと重心を揺らしながら、しばらく黙って機械を見つめ、それからマキの目を見た。
「わかった。ちょっと……時宗と話していいか?」
「いや、もう準備は」
「時宗と話す。じゃなきゃオレ帰る」
突然、有無を言わさぬ調子で言った海斗に、マキはひるんだ。
「わかった。待っているから、来てくれ」
そう言って、マキは機械の方へ歩いて行った。
海斗が、黙ったまま時宗の袖を引っ張る。群集からも、マキたちからも離れると、海斗は弥二郎と敬樹も手招きした。
四人は全員の注目を浴びたまま、小声で話した。
「時宗。なんちゅうか……気に食わねんだ。あいつ、オレがヤだって言ったのにカイトって呼ぶし。お前どう思う?」
「奇遇だな。俺も気に食わない」
「そっか」
嬉しそうな顔をすると、海斗は自分の考えを話し始めた。
「一番ヤなのは、あいつの態度なんだ。時宗には悪いけど、オレあの人あんま好きじゃない。自分の理想のためなら、オレの人生はどうでもいいって思ってるし、母さんの石も父さんの機械も大事にしてない感じ」
「うん。まぁ俺もそんな気がする」
ふと、弥二郎が言う。
「時宗お前、いつあいつが黒幕って気づいたんだ?」
「今朝、あの人から通話を受けた時だ。ゲストハウス襲撃のきっかけが、俺が紹介した男だと言われた。妙なタイミングで俺を鉱山に呼び寄せようとしていて」
「なるほどね」
しばらく考えていた海斗が、時宗に尋ねる。
「母さんの石って、もう、取り戻せないんか?」
「いや? お前次第だ」
「どうすればいい?」
「あの石はお前とのコネクトができてる。石に触れてお前が望めば、石は機械から外れてお前の手の中に来る」
「そうなんか。わかった」
覚悟を決めたように、海斗が身を起こした。機械とマキたちの方へ、すたすた歩き始める。
なんていうか。あの度胸というか、他人に左右されない部分。まさしく南条一族だな。これだけ人間の『意志』に圧迫されていながら、海斗はまったく怖気づいていない。
時宗が海斗の背中を見ていると、横で弥二郎が呟く。
「すげぇ……政子姉にそっくりだな」
「そうなのか?」
「ああ。歩き方が同じだ。それに、『わかった』って言っときながら、即座に自分の考えで行動し始めるあたり」
「へぇ」
三人が見守る中、海斗はマキたちに歓迎されていた。肩を抱かれ、他の連中に紹介されている。群集たちは目を輝かせて海斗を見ていた。いよいよ、あの機械が輝かしい未来を自分たちに与えてくれる。その瞬間を目に焼き付けておこうというのだ。
海斗は無表情なまま、機械に手を伸ばした。
指先が石に触れる。眠っていた石が目覚め、青い光がほのかに生まれる。
前回と同じように、キーボードがせり出す。海斗はそれを無視し、石を覆う透明なカバーを撫でた。目をつぶり、手の平をカバーに重ねる。
人々が固唾を飲んで見つめるその中心で、海斗はじっと石に語り掛けていた。
ふわりと、まぶたが上がる。その目元に柔らかい笑みが浮かぶ。
カバーがするりと開いた。石を押さえていた爪が引っ込むと、海斗は迷わず石を持ち上げ、手の平で包み込んで頬を寄せた。
誰一人、何が起こったのかわからないまま、海斗を眺めている。
海斗はあらゆる視線を無視し、その石を両手で包み込んだまま、再びすたすた歩いて時宗のところへ戻ってきた。
「時宗! 母さんの石だ! やっと、戻ってきた」
心の底から嬉しそうな顔。
「よかったな」
笑いかけると、海斗は涙を浮かべて石に頬ずりする。
「見せてくれ」
弥二郎が話しかける。海斗は石を包んだ両手を差し出し、隙間を作るようにして弥二郎に見せた。弥二郎はそれを覗き込み、穏やかな声を出す。
「ああ……これだ。親父が政子姉に渡した石だ。戻って……きたんだな」
「うん」
「ちゃんと、政子姉の気配が残ってる。海斗。後で親父に見せてやってくれ。きっと、泣いて喜ぶ」
「うん」
「きれいですね。優しい色」
敬樹が感想を漏らすのにも、海斗は嬉しそうに笑って答える。
「あったかい。母さんの感じする。よかった……ほんとに、よかった……」
海斗は堰を切ったように泣き出した。
失った母親の形見を取り戻し、幸せな家族だった頃を思い出し、海斗は石を包み込んだまま、その石を涙で濡らしながら、しゃくりあげて泣く。
時宗は不意に、サッポロのあの部屋で見た空っぽの写真立てを思い出した。あそこにはかつて、温かい家族の写真が確かに入っていたのだ。
弥二郎が、そっと海斗の肩を抱きしめた。
「がんばったな。海斗。あとで政子姉のこと、いっぱい話そう」
「うん……うん」
泣きじゃくる海斗を守るように、弥二郎が群集に背を向け、海斗へ注がれる視線を遮る。敬樹がさらにそれに寄り添う。
一瞬、冷静な顔で弥二郎が時宗を見た。
海斗を守れ。
その、一族の命運をかけた指示を、時宗は確かに受け取った。
三人の家族を守るように、時宗はマキと群集に向き合う。
怒りが、急激に空間を満たそうとしていた。マキの顔が見たこともないような憎しみを湛えて時宗を睨んでいる。
時宗は、あらゆる感情、あらゆる敵意にも、ひるまなかった。
受けて立つ。
この事態に収拾をつけること。この鉱山に平穏を取り戻すこと。それこそ、時宗がずっと望んできたことであり、当主としての最初の仕事であることを、時宗は鮮やかに自覚していた。
マキさん。あんたは、この場の主導権を自分が握っていると思っている。だが違う。今こそ決着をつけよう。誰が、この山を統べる者なのか。誰が、この山の真実を暴く者なのか。
今夜。
俺はこの山の王として帰還する。




