Itinerary: 5日目 その13
幸いにも、弥二郎の怪我は命を脅かすほどではなかった。部隊が部屋から担架で弥二郎を運び出すと、時宗はそれに寄り添ってエントランスロビーに戻った。
ちょうど裏手から別働のサポート部隊が入ってくるところだった。混ざっていた敬樹が、弥二郎と時宗を見るなり駆け寄ってくる。海斗もいた。部隊員と同じジャケットを着てキャップを目深にかぶり、後ろの方に紛れているので、気づいたのは時宗だけだが。
「弥二郎さん!」
泣き出した敬樹に、時宗は優しく言った。
「命に別状はない。これから病院に送ることになるが、ちゃんと帰ってくる」
「よかった……よかった……」
敬樹がすがりつくと、弥二郎が意識を取り戻した。敬樹の頭を撫で、しゃがれた声を上げる。
「心配……かけたな。すまん」
「ぼく、ぼくほんとに、ほんとに、どうしようって、弥二郎さんが死んじゃったら」
しゃくりあげる敬樹を、弥二郎が抱き寄せ大きな手で包んだ。
「悪かった。でもお前が無事で……よかった。お前も頑張ったな」
涙を拭いながら、敬樹が言う。
「ぼく、弥二郎さんが帰ってこなかったらどうしようって、そればっかり考えて」
敬樹に付き添っていた部隊員が弥二郎に言う。
「彼は活躍しましたよ。素晴らしい才能です」
「お、何やったんだ?」
「ぼく、時宗さんと一緒にここのシステムをハッキングして、シールドを停止させるのを手伝わせてもらったんです。あと、機械類も全部ハッキングで機能停止させて」
弥二郎が、柔らかい目で敬樹を見ながら肩をぽんぽん叩いた。
「そうか」
「鮮やかな手際でした。我々のスタッフに入ってほしいものです」
敬樹は部隊員とも、一緒に行動するうちに仲良くなったものらしい。
話している弥二郎たちを置いて、時宗は広いロビーを見渡した。
立て籠もっていた連中は拘束され片側の壁に集められている。さっき弥二郎を盾にしていた男も、ロープで縛られ並べて座らされるところだ。怪我人は応急処置を受け、搬送を待たされている。
ここは元々、ホテルのロビーのようにソファーが並べられ、喫茶コーナーになっていたものらしい。だが今は、視界を遮るソファーや衝立はどんどん撤去されていた。掃除機も接客機も、すべてがポツポツと突っ立ったまま停止している。部隊員たちはそれらもロビーから運び出している最中だった。
広々した空間になりつつあるロビーだったが、そのド真ん中には二つだけ、一人掛けのソファーが残されている。そこに、義時と時頼が座らされていた。後ろ手に手錠をかけられ、それぞれに自動小銃を持った部隊員が張り付いている。そばの床にはもう一人、見知らぬ中年男が拘束され座らされていた。
立て籠もっていた連中と反対側の隅には、巻き込まれた非戦闘員が集められ、手当と聞き取りを受けている。
時宗は、義時と時頼の方に向かった。
不思議な感じだ。
長年、自分を押さえつけてきた存在が、ひどく無力な年寄りに見える。
時宗がロビーに足を踏み入れた時から、突き刺さるような視線は感じていた。だがその視線には何も力がない。幼い頃はその視線に縮みあがり、少しでもそれが和らぐことを期待して足掻いたものだった。
今は、何の恐怖もわいてこない。
二人の前で立ち止まり、冷たく見下ろす。
「貴様……この私に……」
義時が、食いしばった歯の間から声を漏らした。時頼は無言のまま不貞腐れている。
この二人は、こんなに貧相だっただろうか。
もっと体格がいいと思っていた。もっと……もっと存在感があるような気がしていた。
義時の巨大な手が風音を立てて振り上げられ、自分の頬に炸裂する瞬間を、時宗は今なお覚えている。幾度となく、ジンジンと熱く痛む頬を押さえ、味のない食事を機械的に飲み込んだ喉の詰まりを、決して忘れることはない。
こいつは、息子に死ねと宣告した瞬間のことを覚えているのだろうか。息子の絶望を、想像することはあるのだろうか。
今、父であるはずの男は安っぽい怒りの表情で、ソファーに座らされていた。金ばかりかけたチョークストライプのスーツは、品格ではなく脂ぎった強欲さだけを強調している。袖が破れ、肩口にワイシャツが見えていた。大きなペイズリー柄のネクタイは、自分の父親への反抗心でも出したものだろうか。髪は乱れ、整髪剤のテカリが残っているせいで、ハゲ隠しに失敗したような物悲しさがあった。
「なんか、太ったな」
客観的な感想に、自分でも笑いそうになる。偏った食事を伺わせる不健康な太り方だ。真っ赤になった義時を無視して、今度は時頼を眺める。
女にモテることばかり考えている男は、時宗より二歳年上だ。バえる筋肉をジム通いで手に入れ、日焼けサロンで余念なく顔を焼いてあるくせに、口はだらしなく開けたままだった。かわいそうに、子どもの頃から、こいつに口を閉じることを誰も教えなかったのだ。
幼い頃は体格に差があったが、今はほとんどない。座り方にも芯がなく、脚を組んでいるのも、それがかっこいいと思っているからだけ。蹴り上げたら椅子ごと無様にひっくり返りそうだ。しかも、鮮やかな青いスーツはこの場で浮きまくっている。ちらりと見えた裏地が真っ赤で、時宗は顔をしかめた。
しばらく親子を観察してから、視線を床に移す。引き据えられた中年男も後ろ手に手錠がかけられていて、自動小銃を持った部隊員が二人、張り付いている。
「誰だこいつ」
「こちらの二名と共にいました」
男は暴れたが、すかさず部隊員にうつぶせにされ、うなじに自動小銃を突き付けられる。
「……テメェ覚えてろよ。カイト連れてこいって言っただろうが」
その唸り声を聞いて、時宗は納得した。
「ああ、義時と話してた時にしゃしゃり出てきた奴か。俺は一言も『鍵』を連れてくるとは言ってないんだが? こんなチンケな下っ端風情が、なんでこんなにイキって口を出してきている? お前程度の者が、南条をコントロールできるとでも?」
「んだとぉ?!」
馬鹿馬鹿しい。
「薄っぺらい奴にいとも簡単に付け込まれるなんて、付け込まれた方もずいぶん薄っぺらい」
義時を見ながら呟くと、そのこめかみに青筋が浮かんだ。
「時宗、こんなことをしよって……」
「時宗様」
部隊員のひとりが来ると、義時を無視して向き直る。
「どうなりました?」
「施設内にいた全員を確保し終えました。非戦闘員の身元は確認中です。時宗様との面談を希望している者がおりますが、どうなさいますか?」
「伺います」
そう話している間にも、マキが三好に肩を貸して連れてきた。シンジュクで会った男は、時宗の顔を見て目を見開く。
「あんた……」
「お前か。強盗なんかやめとけとは言ったが、トラブル気質は変わらないと見た。あんまりやらかすなよ」
「オレのせいじゃない」
むすっとした顔だ。
「じゃあ誰のせいだ?」
「……ここにいる奴らはみんなすぐ偉そうにするから、一発かませって言われて」
けしかけた奴がいるということか。タイミングよく俺に呼び出しをかけるために、裏で何かが仕組まれていた。マキの眉が微かに動いたのがわかったが、時宗は敢えて何も言わなかった。本格的な追及は、南条側を片付けてからだ。
「あんた……何者だ?」
三好がおそるおそる聞いてきて、時宗はニヤリと笑ってみせた。
「俺が名前を聞いた時、お前は答えなかった。俺も、名乗る義理はないな」
「すんません。三好です」
「そうか。南条時宗だ」
ぎょっとした顔。トウキョウの底辺で出会うなんて、思いもよらない名前だろう。
「で? 権力に盾突いた怪我はどんな感じだ?」
「あ、その、殴られて」
唇の端が内出血で腫れているし、腹を押さえている。
「病院に行けるよう手配する。ひとつ聞くが、このゲストハウスで、お前に対して偉そうな態度をとったのは誰だった?」
時頼を横目で見ながら聞くと、三好は振り向き、集められていた女性の一人を指差した。ものすごく化粧がケバい上に、上から下までブランド物でかためた嬢が、こちらを睨んで座っている。
「あの女性は?」
時頼がそっぽを向いた。
「お前のツレだろ。責任持てよ」
「知らない」
「ていうか、なんであんなに女性がいるんだ。労働者側とコトを構えて籠城しようって時に、無関係な者を解放するっていうアタマはなかったのか?」
「……」
「都合が悪くなるとダンマリになるのは変わってないな」
時宗は女性たちの方へ足を運んだ。女性は五人、二人はツンと鼻をあげ不満そうだが、三人は薄着に大きな毛布をかけられ、はるかに離れた一番隅っこで身を寄せ合って震えている。警備の数人が目隠し用の大きなブルーシートを持って来るところだった。
近くの部隊員に、時宗は聞いた。
「どういう状況だったんです?」
「こちらの二人はそれぞれ個室にいました。あちらの三人は、その……ベッドに手錠で拘束されておりまして」
部隊員の説明に、時宗は瞬時にブチ切れた。
「まさか、同意なしで無理やりやってたのか?!」
三人が怯えた顔でこちらを見上げる。
反対側をさっと見た。拘束されている男どもは四十人近い。信じられない。時宗はずかずか戻り、時頼の腹を力一杯蹴り込んだ。ソファーが後ろにひっくり返り、無様な悲鳴がロビーに響く。全員が動きを止め、唖然とこちらを見ていた。
「このクズが。恥を知れ!」
「なんで蹴るんだよ?! お前なんか、お、弟のくせに!」
「兄だなんて、思いたくもねぇ!! やっていいことと悪いことがあるだろうが!」
「偉そうな口きくな!」
「はぁ?! 誰のおかげで専門院まで出られたと思ってる? 初等の頃から全部俺に宿題やらせて。おかげでこっちは高等一年の時には高等三年の勉強を終わらせたけどな。テストの果てまで体調不良のふりして、先生を言いくるめてうちで俺にやらせて。頭の悪さは底なしだと思ってたが、まさか人間としてもここまでクズだとは思わなかった!」
大勢の人間の前で過去をさらされ、時頼の顔は赤黒くなっている。
「う、う、うるさい! いいだろ、どのコも金払ってんだし」
「バカが! 何億払ったって、お前がやったことには見合わねぇ! クソ野郎が、絶対に刑務所に送り込んでやるから覚悟しとけ!」
「なんだよ! お前なんか、俺の言うこと聞いてればいいのに。専門院だって、お前のせいで卒業するの大変だったんだ!」
「金とコネで卒業させてもらったんだろどうせ。いいよなバカは。自分で勉強もしないで。義時。お前も反省しろ。こんなクズを世の中に出しやがって」
「なんだと? 黙っていれば、目上の者に向かって何という口をきく!」
「あんたはそればっかりだ。仕事なんかマトモにしてないっての、こっちは知ってるんだぞ。今までにひとつでも成し遂げた実績を挙げてみろ! ギンザでもゴルフのスコアしか自慢できることはないくせに。
あんたが人生で一番頭を使ったのは、おじい様から実権の上澄みを掠め取った時だけだろうが。おじい様が築き上げたものを使い潰すしか能がない奴が、中身のない権力なんかで俺を押さえられると思ってんのか!」
「子供の頃から、貴様は何も変わっておらんな! 目上の人間に従う気もない生意気な奴が、知ったようなことを言って足を掬いよって。鉱山を処理させようと弥二郎に何度も連絡していたのに、ことごとく無視した挙句、よりによって父親と兄に襲撃をかけるとは何事だ! 鉱山全体を立て直さなければならん時に、家族に協力しようともしない、甘ったれた我が儘が!!」
「お前らが鉱脈を枯らしたんだろうが。よりによって、石が聞き耳立ててる真上でこんなことしやがって、なんでこんなに後退が加速してんのかと思えば、お前らの仕業だったとはな! 一族の恥さらしが。鉱脈は人間の感情を読みとるっていう基本中の基本も学習できないなら、そもそも手を出すなよ」
「私の言うことも聞かずにフラフラ遊び歩いていたくせに、知った口を! 親に対する尊敬もないのか!!」
「尊敬されたきゃ、尊敬されるだけのことやれよ! 最初っから最後まで自分のことしか考えてないクズ親子が、誰かに偉そうな口きける立場かよ」
「なんだと?! 育ててやった恩も忘れて」
「育てられた覚えはないな。何が『犬は三日飼えば恩を忘れない』だ。俺に言わせりゃ、犬猫だって自分の子供は大事に育てるんだよ! テメェと違ってな!」
自分でも止められなくなっていた。溜まりに溜まった憎しみと怒りで目眩がする。この親子だけは、たとえ世界が滅ぶと言われても自分の手で首を絞めたい。煮えたぎる感情が爆発しそうだ。義時に向かって拳を振り上げかけたその瞬間、弥二郎の静かな声がした。
「時宗」
はっと我に返り、手を下げる。
担架から、辛そうに弥二郎が身を起こしていた。敬樹がその体を支えている。ロビー全体が静まり返り、激しい親子喧嘩に釘付けになっていた。
「論点がズレてる。感情の発散は帰ってからにしろ。南条時宗」
普段とは打って変わって厳しい目だった。その目に、時宗はすっと冷静さを取り戻した。そうだ。当主たるもの、人前で激昂するなどあってはならない。数回、深呼吸して平常心を取り戻す。
「……すまん、弥二郎。手間をかけさせた」
「手間ってほどじゃない。それに……お前が冷静になってくれないと、俺がそいつらを殴れない」
視線が合うと、弥二郎は微笑んだ。苦労して立ち上がり、体を引きずるようにしてこちらへ来る。
「寝ててくれ。敬樹も心配する」
おろおろする敬樹を尻目に、弥二郎は義時の近くまでやってくると、痛そうに顔をしかめながらゆっくり座りこんだ。
「当主交代なんて、一世一代の見世物を見逃す気はないな。続けろよ」
つまり、時宗の暴走のお目付け役をしてやるということだ。部隊員が弥二郎のためにソファーを運んでくる。
時宗はもう一度、大きく深呼吸をして仕事に戻った。まずは三人の女性の元へ行って頭を下げる。
「大変申し訳ありません。あなた方を守るのが先でした」
彼女たちを先にゲストハウスから出すよう指示を出し、自家用飛行艇の手配を命じる。ふもとの街も鉱山に付随していて、大病院はそちらにあった。ヤマから直接搬送すれば、数分で送り込める。打ち合わせの時点で病院はフルで稼働できるようにしてあった。
「俺もまだまだだな」
女性たちが出ていくのを見送りながら戻ると、時宗の呟きにマキが微笑む。
「君でも、人前で激怒することってあるんだな」
「そりゃ、まぁ……人間なんで」
咳払いをして気を取り直す。
「マキさん。中央の道に飛行艇を下ろします。怪我人を載せて病院へ運びますので、そちらの指揮をお願いできますか?」
「わかった。三好。一緒に行こう」
「はい……」
三好や監禁されていた者を連れ、マキが正面の扉から出ていく。ゲストハウスに元々いた料理人や従業員も、部隊員に付き添われて後に続く。被害者女性のために激昂した時宗を見ていたからか、全員が時宗に会釈して行った。
労働者側の人間がすべていなくなったのを確認してから、時宗はようやく本題に戻った。床でじたばたしている時頼をそのままにしておいて、義時と、床に引き据えられた男を眺める。
「やっと落ち着いて話せるな。さて。問題の『取引』と機械について、あんたらが知ってることを話してもらおうか」




