Itinerary: 2日目 その2
つくづく思う。無人売店は偉大だ。小さなスペースにあらゆる必需品が揃っている。
端末で探してたどり着いた無人売店でトイレを借り、食料と温かいお茶と晶石カイロを仕入れた時宗は、共同住宅の玄関が見える物陰に陣取った。うまい具合に静かな裏通りで、ほとんど誰も通らない。道路の縁には雪が積み上がって、いい感じに見通しも悪い。怪しまれたら移動しよう。
立ったままサンドイッチを頬張る。この仕事は「待ち」を嫌がったらやっていけない。隣の住人の言葉はともかく、時宗は今野が帰ってくるまで、少なくとも今日明日は外で粘る覚悟だった。
サンドイッチを食べ終わると、時宗は弥二郎に通話をした。気になることがあったからだ。
『おっサッポロ着いたか? 寒いか?』
人に仕事を振っておいて、開口一番これだ。
「くっそ寒い。そして俺は今、その寒い外で今野が帰ってくるのを待ってる」
『お~凍死しない程度にがんばれ』
「聞きたいことがある」
『なんだ?』
「依頼人の名前は八木沢 壮。それはわかるが、資料に今野の母親の名前がない。今野が本物だと確認する方法も書かれてない。俺は今野を見つけたら、どう確認すりゃいい。それに、依頼人の住所もない。どこに連れて行けばいいんだ? 病院か?」
資料には、トウキョウの東側にある、肺晶治療で有名な大病院の名前があった。第四層にあって警備が手厚く、適当に乗り込んでいける所じゃない。
それに肺晶は、晶石の粉末が肺に詰まる病気だ。入院まで行くと、患者は外の空気から遮断された空間で過ごすことになる。この病気は不思議なことに、同じ粉末濃度の中にいても発症する者としない者がいる。そのため晶石燃焼による空気汚染だけでなく遺伝か何かが関係していると言われていた。第四層の病院ということは研究にも協力しているのだろう。ますます会うのは難しい。
「なあ弥二郎、どうなってんだ。具体的な過去の事情の説明も乏しいし、これじゃ今野をどうやって説得すればいいのか、本物をどう確認するか、材料がない。ていうか夕べはどこに行ってたんだ。通話にもメッセージにも返事よこさねぇし」
『あ~、それね。依頼人の意向で、書けない部分が多いんだ。あと夕べはすまん、別件でちょっと手が離せなくて』
「書面に起こせないんなら、なんで自分でやらないんだ。なんにも知らない俺をサッポロに送り込んだって仕事にならないだろ」
『ん~、まぁ……そうなんだけど、寒そうだったから』
「ふざけんな、本人確認はIDで一応やるとしても、目的地は? 病院に話は通ってるのか?」
『依頼人に聞いてからじゃないとな……』
「情報が乏しい状態じゃ、こっちは信用してもらえない。なんでこんな半端な仕事してんだ」
『お前の言いたいことはわかるんだが……夜は宿泊所に泊まっていいから、見つけるまで時間かけて、じっくり話してみてくれ。お前ならできるだろ。それと今野を見つけたら、まず事務所に連れてきてくれ』
「病院に連絡するってことか」
『死にかけだしな。……まぁ説得してみるわ。とにかくその~、何日かかってもいいから、なんとか連れてきてくれ。なにせ依頼人が偏屈でな。すまん』
「すまんじゃねぇよ、大丈夫なのか? この仕事。もしかして、依頼人って有名人、とか?」
『……そういうわけじゃあないが』
なんか、変な間がなかったか? 日本中の誰もが知ってる名前なら、名乗ったら逆に詐欺っぽい。そういうことなんだろうか。あるいは犯罪者、とか?
『ま、あんまり寒かったら避難しろよ~。死なれたら困る』
そう言うと、弥二郎はさっさと通話を切った。
なんか今回の仕事、こんな適当な感じでいいのかね? 何度か手紙は送ったっていうから、「手紙を送った」っていう事実を知ってるっていうところで信用してもらうか……もらえるのか?
どうにもわからない仕事だ。弥二郎はいつも以上にのらくらした感じだし、宿泊所に泊まっていいって何言ってんだ?
しょうがない。まずは今野の帰りを待つ。そこから何とかするしかない。
それにしても……。温熱線内蔵ジャケットのフードをかぶってポケットに両手を突っ込んだ時宗は、じっと考え事を始めた。
母親を十代で亡くし、父親もどこかの時点でいなくなった今野は、時宗と同じ歳で何の仕事をしてるんだろう。けっこう長期で家を空けるんだろうか。それとも毎日帰ってきてる? 運送業、建築業……。高等や専門院は出てるんだろうか。
時宗自身、まぁまぁ色々トラブルが多い人生だとは思うが、一応弥二郎に面倒を見てもらったので、孤独について文句を言うべきじゃない。この寒い土地で、今野はひとりでどうやって生きてきたのか。
白い息を吐きながら、時宗は斜め向かいに見える入口を眺め、視線を上げた。トウキョウでは考えられないほど低い建物──なんと三階建てで、一階は上下扉のついた車庫が並んでいる。雪が降るから、扉は大事なんだろうな。部屋は二階と三階に三つずつ、六世帯の小さな共同住宅だった。
入口は左隅っこにあり、右の端が二〇一、三〇一だ。真ん中の三〇二はカーテンが閉められて中は見えない。三〇一もだ。
あいつ……昼間っから自分の部屋で何してんだろな。
時宗はさっきの住人を思い浮かべた。皮肉っぽい、なのにちょっと優しい笑みを浮かべた唇。
別に自分の部屋にいるからっておかしくはない。平日が休みの仕事はたくさんあるし、在宅でできる仕事もある。もしかしたら夜勤か何かで、帰ってきて寝ていたのかも。そうなら、呼び鈴連打であんなふうにブチ切れたのも納得がいく。悪いことしたな。
あれこれ考えているうちに、時宗は通話をもう一本かけなければいけないことを思い出した。すっかり忘れてた。
『はい! もしもし』
時宗の通話に、相手は焦ったような息遣いで応答した。
「マキさんすみません、忙しかったですかね」
問いかけると、相手の男は申し訳なさそうに答えた。
『いや、そういうわけじゃないんだけど。端末が見つからなくて』
「いつも色んなところに顔を出してるから」
『それはそうなんだが、今日はあちこち出歩いていたわけじゃない。そっちこそ忙しいんじゃないか? 最近ちょっと連絡なかったから』
忙しい、といえば忙しい。ただ自分の仕事の内容を言えるわけでもない。
「ぼちぼちやってます。今日連絡したのは、例の話で一人」
『ああ』
来栖真紀、通称マキは二十代後半の男だ。専門院卒業後に鉱山の管理部に就職したのだが、半年ほど前に辞めて自分で人材派遣会社を立ち上げ、様々な人間に仕事を紹介している。専門院時代の時宗の先輩で、ちょくちょく連絡を取り合う仲だ。
彼は普段はちゃんとした人間にちゃんとした仕事を紹介しているのだが、前科持ちなどグレーな人間も見捨てず、立ち直る機会を与えている。時宗はワケありな人間を見つけると、時々マキの所へ行かせていた。
「昨日の夕方、シンジュクの第一層で俺に強盗をしてきた奴がいて」
『おいおい……』
「たぶん、元は第二層で仕事をしていたんだと思うんですよ。何があったか全然聞かなかったんですが、人生投げやりな感じで、ほっとくと俺以外にも何かやらかしそうだったんで、マキさん紹介しときました。そっち行ってます?」
『いや、まだ来てないな。すぐに来ない奴もいる。忘れた頃になって、やっと本人の決心がつくなんてこともよくあるし』
「あ~、そうですよね。行くかどうかは本人次第だし。ただ、とりあえずマキさんに話を通しておこうと思って」
『いや、ありがたいよ。こっちとしても、人を寄こしてくれっていう依頼が最近増えてて』
「そうなんですね」
専門院時代から、マキは面倒見がよかった。後輩たちが悩んでいればすぐ気づき、話を聞いてやっていたものだ。とにかく絶大な人望があった。今もマメにあちこち行っては雇い口を見つけ、職を探している人間と企業との橋渡しをしている。
『そういえば、この間寄こしてくれた奴は無事に仕事してるよ。晶石鉱山の寮管理に馴染んでくれた』
晶石鉱山ね。タイミングよく名前が出て、時宗は探りを入れた。
「それはよかった。そういえば晶石鉱山って、ストライキが起こりそうだっていう話ですよね?」
ほんのわずか、向こうにためらいがあった。
『なんでその噂を知ってるんだ? いつも思うが、お前の情報収集能力はさすがだな。まぁ……経営者側と労働者側の対立なんて、いつの時代にもあったことだ。組合は待遇改善のために頑張ってる状況だが、経営者側が強硬姿勢を崩していないんでな。場合によっては、そういうのもあるかもしれない』
「そうなると、鉱山で働いている人全体に影響があると思うんですが」
実際には、鉱山どころではない話なのだが。
『組合の代表者は、そういうのは避けたいっていうんで、連日話し合いに行ってる。なんとかするだろう。コトが大きくなれば、生きていけなくなるのは労働者側だからな』
実際に今の労働環境を見ていないので何とも言えないが、聞く限りでは、本当に過酷な状況だ。それなのに労働者側が折れなければならないというのも納得がいかない話ではある。
時宗が鉱山のことを考え始めたのをよそに、マキは明るく言った。
『そんなわけで、今のところは可能性は低いとみて大丈夫だ。それより君、まだ叔父さんのとこか? いつになったら、うちに来てくれるんだ』
何度も誘われた話が再び持ち出され、時宗は苦笑いした。
「それは、まぁそのうち。マキさんなら俺以外にも、賛同してくれる人はいるでしょうに」
『俺は、君に来てほしいんだよ。昔っから君は真面目だし、こうやって常に協力してくれるし』
話が面倒な方向に行きそうなので、時宗は通話を終わらせにかかった。
「買い被られても、俺はそこまで有能じゃない。とりあえず仕事に戻らなきゃいけないんで、また後で」
『逃げたか。いつか必ず、君には仕事仲間になってもらうからな。それじゃ』
「じゃあ」
通話を切り、端末をポケットに入れる。
人材派遣というのは、正直、難しい仕事だと時宗は思っていた。政府などが主導するまっとうな仕事、まっとうな人間なら少しは楽かもしれないが、グレーゾーンや刑務所上がりの人間の受け皿になるなら、相当な覚悟が必要だ。自分にはその覚悟が足りないと時宗は思う。
結局、何やっても俺はまだまだなんだよな。
マキのように熱意をもって誰かのために働く人間を尊敬してはいても、実際に自分がやるとなると、どこまでできるのだろうか。
あれこれ考えているうち、足元が冷えてきているのに気づき、時宗は足踏みした。今いる場所に意識が戻ると、とたんに冷えが体の芯に沁み込んでくる。
無人売店に行ってくるか。トイレを借りて温かい物を仕入れる必要がある。寒さに耐性がない時宗は、自分に言い訳をしながら歩き始めた。
買い物から戻ってきて、時宗は黙々と待った。気晴らしに仕入れた小さなチョコは寒さで硬くなっていたが、時宗は口の中で溶かすのを楽しんだ。
一時間、二時間。三時を過ぎると、とにかく寒くなった。日はもう傾き始め、気温は容赦なく下がってきている。鼻をすすると奥の方がキンと凍った。自分でも意識しないうちに足踏みをしている。
これは……まずいかもしれないな。
時宗はぼんやり思った。夜も張り込みしたら凍死すんじゃね?
割と冗談じゃなくそう思えた。
ここを離れるわけにはいかないし、交代要員はいない。歩行箱を連れて来ればよかった。あいつはカメラを内蔵してるし、最悪、しんどくなったら椅子にできるし。
子供の頃はよく踏み台にしたり椅子にしたりと、けっこう容赦のない使い方をしたことを思い出す。あいつは不満そうに唸りながら、結局、時宗のために脚を伸ばして手伝ってくれたものだ。
薄青く光る晶石は、人の意志を理解できる。燃焼機構に使う場合は粉末にされてしまうのだが、天然結晶のままの場合は、歩行箱や接客機など、色々な物の中枢回路に使われることが多い。音声回路をつなぐと、ある程度『しゃべる』。しゃべると言っても、決まった文を晶石が選択する形ではあるが。
あいつがいたら。
とはいえ、大事な相棒だからこそ連れてこなかったわけだから、困るなんて言うわけにもいかない。歩行箱がない今、やれることは何だろう。暗視できる監視カメラは持ってきてるから、夜中はそれをどこかに仕掛けて、宿泊所を見つけるべきか……。ただこの気温だと、そっちも動かなくなる可能性があった。
靴裏を通して足元もガンガン冷えてきているし、温熱線内蔵ジャケットはまったく足りない。気が付けば、歯がカチカチ鳴っていた。
諦めて引き上げるか……。でもたった数時間で?
そう思っていた時、見張っていた共同住宅の入口が開いた。中から因縁の住人がひょいと顔をのぞかせる。時宗は咄嗟に身を引き死角に入った。
息を殺して待つ。一分……二分……。近づいてくる足音や気配はない。
そろそろ大丈夫かと思ってから、さらに数分待ち、時宗はゆっくりと顔を出した。
「うわっ」
目の前にアップで奴の顔が迫り、驚いてバランスを崩す。咄嗟に伸ばされた手が時宗の腕を掴んだ。
「あの、どうも」
恐る恐る相手の顔を見上げる。怒ったような、呆れたような顔で、奴は時宗を見下ろしている。出かけようとしていたらしく、タートルネックの上に毛糸のセーター、さらに羊毛のコートを着ていた。
「……ここで待ってんのか?」
ぶっきらぼうな口調の質問に、時宗は仕方なく頷いた。なにせ、向こうはまだこっちの腕を掴んだままだ。そしてそれを離されたら、時宗は確実にスッ転ぶ。
斜めの体勢のまま、奴の顔を見上げる。背の高さは同じぐらい。いや、ほんの少し向こうが高いか?
「ふ~ん。天気予報確認したんか?」
「あ~、そういや」
助けてもらいながら、時宗はようやく真っ直ぐに立ち直った。ポケットから端末を取り出し、ボタンを押す。ふっと顔に淡い陽射しが当たる。顔を上げると、奴は立ち去るところだった。丸めた背中はさっさと遠ざかり、交差点を左に曲がって消えた。
なんなんだよあいつ。
どこに行くのか知らないが、サッポロはあのぐらいの重装備じゃないとダメなんだな、と時宗は察した。履いてる靴までモコモコしてたしな。うらやましい。
時宗は端末に目を落とした。手袋を脱がないと細かい操作ができない……。諦め、決死の覚悟で手袋を外すと、震える指で端末を動かす。ポケットの中で握っていたおかげで、端末自体はまだ正常に作動している。
天気予報を開き、『寒波』の二文字を見て時宗は絶望した。今夜の最低気温がマイナス三十度? やめてくれよ……。
これはもう諦めた方がいい。宿泊所に避難して、明日出直しだ。
マジか、こんな……サッポロに着いてから三時間ちょいしか経ってないんだぞ……。
呆然と共同住宅を見上げる。ついでに日の入りを確認したら、四時過ぎには太陽が沈んでしまうらしい。もうあと三十分ないぞ。
体感としてヤバイのはわかってきていた。歯の根が合わず、足の指は常に動かしていないと耐えられない。一刻も早く逃げ出したい。でも……。
時宗の悪いところはこういうところだ。なんだかんだ、途中で逃げ出すのは嫌だった。自分の負けを認めたような気分にさせられて、抵抗せずにいられなくなる。
いや、考えるのはやめよう。
思考を切り替え、時宗は携帯端末を操作し、暖かい避難場所を検索する。体を温めながら一時間おきぐらいに来る形をとれば、あるいはうまくいくかもしれない。
「おい」
ふと気づくと、目の前に、さっきの男が再び立っていた。右手に少し大きい袋をぶら下げている。買い物に行ってきたのか。
黙って見返してやると、奴はむすっとした顔のまま時宗に言った。
「今夜ここで粘るつもりなんか?」
「まぁ……しょうがないですよ。会わないといけないから来たわけで。適当でいいなら、手紙の返事がない時点でおじいさんも諦めてるでしょ」
「ふ~ん」
相変わらず、どうでもいいって感じの反応だ。
「でもお前、ここに一晩立ってたら確実に死ぬけど」
うん俺もそう思う。
「仕事だし……。逃げたら報酬ももらえないし、おじいさんがなんか、かわいそうだなって」
「ふ~ん」
男は時宗をしげしげ眺め、しばらく考えている様子だった。自分の部屋を見上げ、隣の部屋を見る。口をきゅっと引き結んだ横顔がちょっと凛々しくて、時宗は心中密かに溜息をついた。やっぱりお近づきにはなれないのか。
「あのさ」
男は突然こっちを向いた。時宗の靴を見下ろし、目を合わせずに男はもそもそ口を動かす。
「その、もしあれだったら、オレの部屋で待っても構わねぇが」
「は?」
「だからその……凍死されるのも寝覚めが悪いっちゅうか」
「……本気で言ってます?」
さっきはドアでしたたかに殴ったくせに、どういう風の吹き回しだ?
「疑うんならいい。勝手に死ねや。ただその、なんか、乱暴して悪かったっていうか、明日の朝、お前のカチコチの死体見るのは、その、かなりイヤっていうか」
それは俺も嫌だが、隣の部屋で待たせてもらうなんて、こんな幸運ありかよ。マイナス三十度だぞ? 控えめに言って……。
「ぜひお願いします」
「あっそ」
くるりと向きを変え、男は共同住宅にさっさと入っていく。時宗はさっきからジンジンしている足の指を踏みしめ、コケないように慎重に男の後をついて行った。




