Itinerary: 4日目 その3
今野はアオモリを南へ抜け、再び超高幹線道に乗った。
この道は基本的に居住者がいないところを通っている。車の中から見る限り、時宗にはホッカイドウとの違いがあまりわからない。こっちの方が「山の中を通っている」という感覚が強いぐらいだろうか。
天気予報は晴れ、シールド・チューブは全線に渡って解除されているということだった。膜のない空は広い。キンと澄んだ青色は吸い込まれるような透明感があった。
後ろがいなきゃ最高の旅なんだがな。
例の車は、今度は後ろをついてきていた。ゲートを抜けた今野はミラーで後ろを確認し、溜息をついている。それでも運転にブレはなく、常にきっちりと周囲に合わせていた。
しばらく走り、状況に動きがなくなったころ、時宗は切り出した。
「なぁ、後ろからついてきてるのって、何者なんだ?」
今野は再びバックミラーをちらりと見た。
「……」
「答えないつもりか? あんなにあからさまなのに」
無言のまま真っ直ぐ前を向き、今野は唇を引き結んで黙り込んでいる。
溜息をつき、時宗は続けた。
「言っていいか?」
「……なんだ」
「ここは超高幹線道だ。管理局がどれだけ目を光らせていようが、事故の可能性はゼロじゃない。あの車にドつかれるとか……何かトラブった時、俺はお前と一緒に死ぬことになる。それに、お前が後ろの積み荷も端末も置いて、体ひとつでトンズラすれば、俺もとばっちりを食らうことになる。俺はその可能性を含めてお前に『乗った』。トウキョウまで、お前は文句つけるなと言った。でもひとつ言わせろ。俺はお前が『自分もトウキョウに行く』と言ってくれた時、嬉しかった。だから一緒に車に乗ると決めた。お前と運命共同体になる覚悟でな。なのに俺はまだ、自分がいつどんなふうにお前と運命共同体になるのかを何も知らない。それとも何か? お前は最初から、後ろの連中に俺を売るつもりで連れてきたのか?」
唇を引き結んだまま、今野はしばらく答えなかった。
白い景色は続いている。どこまでも続く道の両側は、風を避けるための林や丘で見通しは悪い。それでも、雪原の果てへ二人は一緒に走り続けている。
今野。会ったばかりだとお前は思うかもしれないけど、俺はお前に信頼してもらいたいんだ。乱暴に拒絶するんじゃなく、笑ってほしいんだ。俺は自分の事情を脇に置いて、お前のために笑う。お前が手を伸ばしたパンに、俺も手を伸ばす。小さいことだけど、そういうのがきっと人生を作っている。
時宗はじっと待った。
今野はもう一度バックミラーを見て、ぼそっと言った。
「……色々、あったんだ」
「しゃべる時間はあるだろ」
「だな」
そう返事をすると、今野は前を向いたまま力なく微笑んだ。
「でもオレ、説明下手くそなんだ」
「知ってる。お前がしゃべりやすいところから、ゆっくり始めればいい」
今野は、どこから話し始めるか考えている顔になった。時宗はその横顔を眺める。時間はあるんだ。なぁ、お前のことを教えてくれよ。俺に何かできることはあるかもしれない。
「……じいさん、トウキョウのどこに住んでんだ?」
だいぶ遠くから始めたな。時宗は笑いそうになった。いいさ。とことん付き合ってやるよ。
「俺は聞いてないんだ。肺晶が悪化して、病院にいるって資料には書いてあった。もう出られないから、会うなら病院に行くことになる」
「そうなんか」
今野はバックミラーを見ると、ぽつぽつ続けた。
「母さんがトウキョウ出身だってのは聞いてた。サッポロに仕事で来て住んでた時に、父さんと知り合ったんだって。父さんはサッポロで、車とか、晶石エンジンとかを直す仕事をしてた。趣味でいろんな機械作ったりもしてて。車が好きで、オレも子どもの頃、いっぱい教えてもらってた」
生まれた時から車と一緒だったのか。子どもの頃の今野を想像する。きっと可愛かったに違いない。車に目を輝かせる少年を思い浮かべて、時宗は微笑んだ。
「運転歴長いんだな」
「うん。初等入る前から、子供用のちっさいカート乗ってた。面白かった。学校から帰ってきたら、父さんの仕事見てたし。母さんは事務仕事したりして手伝ってた」
今野の目が暗くなる。
「でも、オレが高等の時に母さんが死んで、全部変わった。オレは高等は卒業したんだけど、金ないから専門院には行かないで、父さんのとこで車いじる仕事を始めた。
……父さんは、母さんがほんとに好きだったんだ。健康診断で、突然肺に晶石が見つかって、それから母さんはあっけなく死んじゃって。父さんはそれで精神的にまいったんだろな。気を紛らわすのに、その、建物ごと、変なもんを作り始めたんだ。ていうか前から作ってはいたんだけど、なんていうか、度を越して没頭し始めて。見たろ? 生田さんの……車んとこにあったやつ」
あれか。
奇妙な姿を思い浮かべて、時宗はうなずいた。中途半端な立体構造図が立ち上がりかけ、脳の奥に追いやる。
「あれは何だ?」
「よくわかんね。ただ、今までとは全然違う、画期的な晶石エネルギー利用ができる機械だって生田さんは言ってた。燃焼機構と違って空気が汚れねぇし、完成すれば、ものすごく少ない晶石の量で、今までと同じことができるんだって」
時宗は驚いた。そんな、世界経済が変わりそうな発明品の報告は聞いていない。もし本当なら……。しかも現在、都市部の人間の死因で一番多いのは肺晶だ。その病自体が消滅する可能性がある。愛する人の命を奪った病を追い払うために、今野の父親は世界さえ変える闘いへ身を投じたのか。
「今の晶石エンジンとはどこが違うんだ?」
「知らね。それに、完成するかどうかもわかんねんだ。父さんは、頭がおかしくなったみたいに、寝ないでずっとあれをいじってた。部品とか、めちゃくちゃ金がかかって、でも仕事はなんにもしなくなってたから金はなくて。
オレが気がついた時には、取り返しがつかないことになってた。あの土地も建物も、何もかも抵当に入ってて、父さんはヤバい組織にまで金を借りてて……」
最後の方は、喉に引っかかったような声になっていた。しばらく黙ってから、今野は続けた。
「オレが二十歳になる少し前に、父さんは死んだ。組織の連中に、酒と一緒に風邪薬かなんか、変なのをいっぱい飲まされて、道端に転がってた。病気なのか転んだのか、さっぱりわかんない理由で死んだんだ。すごい額の生命保険がかけられてたけど、受取人はオレじゃなかった。オレは……保険がかけられてることも知らんかった。金がどこに行ったのかも知らね。
父さんが死んだ後、あいつらは、あの機械を金にできねぇかって、やってきた。解体を止めたのは生田さんだった。生田さんは父さんの助手だったから、あの機械のことを説明できるのは、あの人だけだった。命がけで生田さんは奴らと渡り合った。足を折られて、それでも、機械を解体するより完成させた方が金になるって、組織を言いくるめた。
連中は色々調べて、結局、機械を解体しないで自分たちの物にして、完成まで続きやれって生田さんに言ったんだ。
でもあいつら、がめついんだ。父さんの命を絞って金をふんだくったくせに、借金がまだあるって、オレんとこに来た。あの機械に金かかるから、借金返したことにはなんねって」
「いくらぐらいだ?」
「あん時言われたのは、三千万だった。バカじゃねぇのか。父さんの機械まで手に入れたくせに、まだ足りないなんて。嘘だと思った」
闇金か。十日で一割、十日で五割などという、とんでもない利息で貸し出し、悪魔のように人の命を吸い尽くす連中は存在する。
「それでオレ頭にきて、車で逃げた」
「おいおい」
すげぇな。今野ってもしかして、本当はけっこう強気の性格なんじゃねぇのか?
「農業幹線道とか、いろんな道通ってぶっ飛ばして、サッポロからスナガワあたりまで逃げたんだけど」
バックミラーを見て、今野は顔をしかめた。その時のことを思い出したらしい。スナガワがどの辺だか知らんが、だいぶ粘ったということか。
「あとちょっとで完全にまけるってとこでバッテリー切れて、捕まった」
その硬い声音に、時宗はぞっとした。逃亡に失敗して反社会組織に捕まるなんて、半端な恐怖じゃない。それが二十歳の頃だって?
「タコ殴りにされて、殺されるって時に、あいつらの上の方の奴がオレに話を持ち掛けてきた。運転がうまいし、人質にして、例の機械を生田さんに完成させるのに使えるかもしれない。殺すのはもったいない。借金返せるように金を出すから、運び屋やれって。俺が逃げたら逆に生田さんを殺してやるって」
そういう経緯ね。時宗は納得がいった。
「それから、あの共同住宅に住めって言われて、あそこにいる。あいつらが使ってる不動産屋があって、管理されてんだ。それまで持ってた物は全部取り上げられて、なんにもなくなった。仕事ない時はなんもすることないって言ったら、ゲーム用の端末は買っていいって金渡された。あと、車は仕事道具だから、ちゃんとした車じゃないと嫌だってオレが言ったんだ。どうせならと思って乗りたい車言ったら、買っていいって。そんで生田さんがくれた石を組み込んで、色々一緒に改造した。
オレは一応、あの共同住宅扱ってる不動産屋の社員ってことになってる。でも仕事は……あっちこっちに、言われた物を運ぶこと。生田さんは、関わらせたくないって言って、あの機械の手伝いをさせてくんねぇし」
「何運んでるんだ?」
「警備箱は鍵かってて開かさんないから知らね。今、後ろに乗っかってんのも全然わかんね。あいつらに言われた。警察には絶対に捕まるな。捕まっても雇い主のことは絶対に吐くな」
だから足抜けができないのか。やめると言えば自分が殺されるか、生田老人が殺される。
今野は静かな声で言った。
「オレは、もうダメなんだ。この先はなんもない。あいつらに殺されるか、警察に捕まるか、それとも、どっかで事故るか。今までは……連中は生田さんに機械を完成させるためにオレを生かしてた。でも最近は、前と違うんだ。監視が厳しくなってて……たぶん、ホントに完成すんのか、奴らは疑い始めてるんだと思う。奴らが見切りをつけたら最初に殺されんのは、オレだ。
だから帰れって言った。誰か来たって、オレは乱暴に追い返すしかねぇ。あの共同住宅だって、あいつらが時々見に来る。仲良くしたら、そいつに悪いことが起こる」
それで最初に、こいつは俺の顔をドアでブン殴ったんだ。あの乱暴な出会いは、今野の精一杯の優しさだったんだな。……で?
「じゃあ、なんで俺を部屋に入れた?」
「今まで、なんかの用事で来た奴は何人かいた。でも、寒い外で何時間もオレを待ってたアホタレはお前だけだ」
「……アホタレって」
「あんなとこに立ってて、あいつら来たらヤバいことになる。夜中に凍死して警察に来られても困る。だから一晩泊めて、うまいこと言ってトウキョウに帰そうと思ったんだ」
今野お前、俺のことをアホタレって言ったか?
「そしたら仕事入って」
「で、アホタレの俺をトウキョウまで連れて行こうと思ったわけだ。……いつも今後ろにいるみたいに、お前が逃げないように見張ってるのか?」
今野は、少し遅い重量物輸送車両を追い越すために車線を変えた。危なげなくスピードを上げて車両を抜くと、滑らかに元の車線に戻る。
「いつもはいない。今回はきっとオレが……ヘマしたから」
「ヘマ?」
今野は、ひどく寂しそうな顔をした。
「うん。ヘマした。お前のせいだ。お前が……」
視線がこちらを向く。一瞬時宗を見据え、また車の進行方向に戻る。
「夢なんか持ってくるから」
夢。
「オレはバカだ。一瞬でも、もしかしたらって思った。午前中に仕事の話をしに行った時に、オレは言っちゃったんだ」
「何を?」
「『もしもの話だけど、もし足抜けするとしたら、いくら金が必要なんだ』って」
あぁ……。
時宗は目をつぶった。
今野。お前はそれを夢って言うのか。
「どうしてオレは口に出したんだろ。あいつらは、オレが逃げる気だって思ったんだ。連中の事務所を出たところから、もうあいつらはオレの後をああやってつけだした。だから思ったんだ。お前を連れて行こうって」
どうつながる?
今野は静かだった。どこまでも静かだった。足跡のない雪原を見つめる、あの目だ。
「この仕事が最後だ。多分、今回の荷物を届け終わったら、オレは……殺される。だったら、せめて……ひとりじゃない方がいい。父さんが死んでから、オレには誰もいなかった。生田さんはずっと機械にかかりっきりで邪魔はできね。
仲良くなった奴はお前だけで、オレに夢なんか持ってきた一番嫌いな奴も、お前だ。道連れにすんのにちょうどいい」
「それは……どうも」
今野を見る。泣きそうな顔で、今野はバックミラーに目をやった。唇を噛みしめ、必死で何でもない顔を装っている。でも、途中で時宗の視線に耐え切れなくなったように、むこうを向いた。
「今野。お前は俺が嫌いなのか?」
ぐす、と鼻をすすり、今野は正面を見た。運転だけは丁寧なままだ。
「知らね。一緒にいたら楽しくて、友だちだったらよかったのにって思う。でもお前は、オレの人生を終わりにした。だから嫌いだ。好きな奴も嫌いな奴も、お前しかいねぇ」
「そりゃ……人手不足になると、友人も一人二役か。忙しいな」
時宗はしばらく考えていた。
過酷な人生に、適当な言葉は言えない。今野はずっと耐えてきたのだ。孤独に、恐怖に、人生に。
「今野」
「なんだ」
「人生が終わりにならなかったら、俺はお前の友だちになれるか?」
この際だ。俺のことはひとまず、どうでもいい。お前が生き延びてくれれば、俺の人生は大成功だ。
「……終わりにならない方法なんかない」
「あるかもしれないぞ? アホタレの俺でも、まぁ頑張って知恵を絞ってみるからさ。ダメなら一緒に逃げようぜ」
軽い調子で言ってやると、今野は弱弱しく微笑んだ。
「生田さん置いて、どこに逃げんだ」
「俺んち。正確には、俺の叔父のうちだけど。生田さんのこともなんとかする」
「お前、ほんとにアホタレだな」
今野はぐすんと鼻を鳴らした。時宗は励ますように笑って見せる。
「言ったな。約束しろ。俺も一緒に考えるから。人生がこれで終わりにならなかったら、ちゃんと俺を友だち認定しろよ?」
かなり長いこと鼻をすすりながら運転していた今野は、三十分近く経った頃、やっとティッシュで鼻をかみ、「わかった」と小さく答えた。




