Itinerary: 1日目 その2
天をつく高層建築の五階から第二層空中道路に上がると、時宗は息を吸い込んだ。埃っぽい上に、晶石の燃える匂いが常に漂っている。でも、体に馴染んだ空気だ。四輪移動車が行き交う道をちらりと見ると、時宗は薄暗い歩道を歩いて行った。後ろから歩行箱がカタカタついてくる。
この街は、今も拡大を止めていない。建物は義務のように隙間という隙間を埋めながら上へ伸びていく。空は遠くなり続け、歩道に陽の光が当たる時間は少ない。晶石の利用法が確立してから百五十年、物を動かすエネルギーを持ち、しかも人の意志や生命エネルギーに感応する不思議な石のおかげで、人々の生活は便利になった。あらゆるカラクリが社会にあふれ、おかげさまで、金さえあれば不自由はない。
金さえあれば。
あらゆる物の製造工程に晶石回路を利用した機械が使われている。人間の移動、物流、室内温度調整、上下水道、通信。インフラのすべてに晶石燃焼機構からエネルギーが供給されている。
いいか悪いか、そんなことを考える以前に、人間の生き方はそうした社会の仕組みの一部になっていて、自分で抜け出すことなんか、誰も思い付きもしない。
そう、強引に外へ放り出されない限り、人間は自分がいる場所の基盤が何であるのかを考えたりはしないものだ。
しばらく歩くと、時宗は駅に入った。改札を抜け、せわしなく動く人の群れに交じって移動階段に乗る。一分はたっぷりかかって第三層まで上がると、そこは空中列車のホームになっている。
列に並ぶと時宗は身を屈め、歩行箱の操作盤に埋め込まれた、小さな晶石に人差し指を当てた。パカンと小さい方の蓋が開き、水筒が突き出る。列車を待ちながらそれを飲み、時宗は考える。
一体、なぜ弥二郎は出張仕事を突然ブッ込んできたんだろう。こっちの動きは知られていないはずだが、もしかして……という懸念は頭の隅に置いておくべきだ。
油断しないこと。それは時宗に叩き込まれた「歩き方」だった。たとえ最も信頼できる叔父であっても、情報共有は最低限に。
晶石が燃える薄青い煙をあげて列車がホームに入ってくると、時宗は水筒を戻し、歩行箱と一緒に乗り込んだ。自動追尾してくるこの荷物入れは、膝の高さ程度のちんまりした大きさだが、十五年来の相棒だ。だいぶガタは来ているが、まだまだ動きはしっかりしている。混んだ列車の中では、自分で判断して移動し、上の荷棚によじ登って時宗の視界の中に入ってくる。
他の乗客のと並んで棚に収まった自分の歩行箱を確認すると、時宗は外を眺めた。高層住宅の窓がどんどん過ぎていく。第三層は、中流の上の方の人達が住んでいる。第二層に比べれば、壁の外をうねり回る配管や排気管は整理され美観は保たれているし、射し込む日光は多い。
多いといっても、せいぜい、一時間が三時間になったぐらいではあるのだが。それでも、窓の外にプランターを出して植物を育てている家もあって、時宗はそういう、生活の中に楽しみを見出そうとする人間の、ささやかな努力を見るのが好きだった。
カタカタという音が列車の中に響いている。誰かの歩行箱が、隙間を見つけられずに時宗の歩行箱の上でわたわたしていた。横目でそれを見ている間に、列車はスピードを落とす。ドアが開くと、人々が一斉に降りていく。かわいそうな歩行箱は、落ち着く間もなく必死で持ち主の元へ戻っていった。
それを見届けたように、時宗の歩行箱がおもむろに脚を伸ばす。大きな乗り換え駅──シンジュクだ。時宗は人の流れの最後に降りた。巨大な移動階段が何本も行き交う空間を慣れた足取りで渡り、改札を抜ける。
駅の外には、探偵事務所があるシブヤとは明らかに違う雰囲気の場所が広がっている。建物はより高くまでそびえ、上部はエネルギー・シールドの膜に守られている。一方で建物の間には広い空間がある。整然と並ぶ超高層建築同士は、下層に降りる必要がないように空中回廊で縦横無尽につながっていた。
時宗は改札を出たところで通路の端に寄り、立ち止まった。携帯端末を出し、メッセージを確認する。それが終わると外には出ずに近くの垂直昇降機に乗り込む。
高速降下の嫌な浮遊感に数十秒耐え、第一層に降り立つ。
一緒に降りた人々の中に、高級な服を着た者はいない。歩行箱も珍しい。人々は自分で鞄を持ち、古着屋で買った服を着ていて、歩き方もせかせかしている。
陽が射し込むことのない道を横切ると、時宗は超高層建築の足元に入っていった。
そこは広い通路になっていた。両脇には安い古着屋や無人売店、屋台が雑多に並び、思い思いに買い物をする人々のざわめきが満ちている。店員の活気ある声を聞きながら、時宗はしばらく進んでいく。
ごちゃごちゃと積み上げられた雑貨の横を抜け、古着を漁る人混みをかき分け、やがて行きついたのは、店と店の間の黒い隙間だ。
古い古い時代に人々が自分のオフィスに行くために使っていた通路は、今は第一層の生活のすぐそばで、あくびをしながら横たわっている。
ざわめきを背後に残して足を踏み入れ、時宗は慣れた様子で歩き続けた。角を曲がり、人々の声がくぐもった響きに変わると、歩行箱の灯りをつける。
目的地は、居住区域から少し離れた、使われていない──かつて喫茶店だった──部屋だ。
「機械ができることを、人間に割り振ることで仕事を作ってやっている」と思っている上層階級の連中は、第一層になんか降りたことはない。機械じゃできない細かい作業をどれだけ人に依存しているかを、彼らは考えないのだ。
結果、第一層に住む人間は、過労死しようと代えがきく、機械とたいして変わらない社会の部品扱い。目指す部屋にコーヒーの香りが漂うことはなく、埃まみれのまま、この世の終わりまで闇に沈み続ける。貧乏な人間は、やっと見つけた休憩時間に端末からネットに潜り、束の間「他人」になる体験をゲームの中で楽しんでいる。コーヒー一杯だって、出かけて飲む金は惜しい。
その部屋を活用している自分もどうなんだ、とは思うが。
鍵のかかっていないドアを開け、時宗は歩行箱と一緒に入っていった。
「状況を確認する。コード十五 探索」
時宗の声に反応して、歩行箱が部屋全体に灯りを走らせた。部屋はそこそこ広く、隅に椅子やテーブルが積み上げられているだけで、がらんとしている。
『安全と思われます』
歩行箱の操作盤から合成音声が流れ、灯りが消える。それきり、部屋には闇が広がり、静かになった。
待つこと数分。
足音が近づき、ドアが開く。相手は小さな晶石トーチを持っていて、さっと照らし時宗を見つけた。やってきた男は三十代後半、高いスーツを着てネクタイをぴしっと締めており、時宗の、安いワイシャツに適当なジャケットとジーンズという恰好とは対照的だった。
きびきびと時宗に近づきながら、男は事務的に呼びかけてきた。
「すみません。お待たせしましたか?」
「いえ。俺もさっき来たところです」
時宗が答えると、男はポケットからケース入りの情報チップを出した。親指の爪ほどの大きさだ。それを時宗の手の平に落とす。
「状況は?」
時宗が問うと、男の切れ長の目がさらに細くなった。
「いいわけないでしょう。晶石鉱山は、もうストライキが避けられないところまで来てしまっている。一触即発と言ってもいい。それも、かつてない大規模なものになると私は思っています。相も変わらず経営陣は仕事をせずギンザに出かけていますが」
時宗は眉を上げた。
「二ヶ月前は、唯さんもストライキの可能性について楽観的だったように思うんですが。状況が変わった?」
唯と呼ばれた男の口元が不満そうに引き結ばれる。
「あの時は私も情報を集めきれていなかった。鉱山というのは性質上、石さえ掘り出していれば問題点は見えにくい。ですが……鉱脈の後退速度が、この数ヶ月でとんでもないことになってるんです。」
晶石はエネルギー体だ。そして人間の意識に感応する。基本的には人間の役に立つことを喜ぶ性質を持っているのだが、安定加工を行う前に敵意を直接感じると、エネルギーの放出をやめてしまう。結果、鉱脈は奥へ『引っ込み』、深く掘ってエネルギー放出部分を探し直す羽目になる。
「最近の後退は、以前とは比べ物にならないんですよ。毎日、採掘人たちは半日かけて放出部分を探している。なのにノルマは変わっていないどころか、むしろ増えている」
発見された時点から、掘り出されるストレスで鉱脈は常に後退していくのが常だが、現在はその許容範囲を遥かに超えているということだ。
「採掘量を増やすには、労働者のストレス軽減は絶対条件。逆効果では?」
「ええ。その単純な事実を、経営陣は理解していない」
以前は、坑道に入るのは一人最長五、六時間、採掘人のカウンセリングと福利厚生は充実していた。給料は破格。採掘人が生き埋めにでもなれば鉱脈自体が枯れかねないので、どんな時も安全が最優先。そもそも鉱脈が存在する場所は不思議なほど落盤が少ない。はっきり言って、他の仕事と比べて圧倒的にいい仕事だったのだ。
それなのに、経営が代替わりしてからすべてが悪化した。六時間が八時間になり、ノルマが課され、鉱脈の露出を見つけるまでは勤務時間に入らないと規則が変更され、落盤事故が続き……鉱山はいっぱしのブラック企業へと順調に変貌してきた。
「正直、暴動一歩手前です。労働環境の悪化に伴って、例のカートリッジの流通も増えた。以前はヤマの中だけだったものが、街にもじわじわ広がっている。死者も出ています」
視線が合い、互いの眉間に皺が寄る。
「新しいクスリって話でしたっけ?」
「クスリかどうかも、よく分からない話です。晶石の非常に微細な粉末がほんのわずか入っていて、それを均等にオイルと混ぜるために使われている物質が、中毒性のある薬物と組成が似ている。つまり、クスリとしての使用が本来の目的ではないことは明らかなんですが……何らかのバッテリー装置ではないかという解析結果は得られました。ただ、使用方法は依然不明です。
こちらも、最初の報告が上がってから半年も経っていないというのに、鉱山周辺ではすでに看過できないところまで薬物としての使用が広まりつつある。飲料に混ぜて摂取すると軽い覚醒作用があるというのは前回報告しましたが、今回、新しくわかったこととして、継続して摂取すると内蔵に晶石粉末が蓄積し、再結晶化することがわかりました。なぜなのかは、まだわかっていません。
出どころを早急に見つけなければならないのですが……」
「肺晶とは違うんですか?」
「少し違いますね。肺晶はあくまでも肺胞に微細な粉末が詰まってしまうものですが、今回分かったのは、カートリッジ内の薬物の影響か、胃や腸内で粉末が集まり、急激に大きな結晶になってしまうんです。晶石エネルギーの共鳴を外から起こして、結晶を破壊し排出させれば、比較的安全に治すことはできます。ただ労働者階級にとっては治療費がバカにならない。金を貯めようと思った次の日には親指ほどになっている」
溜息をついて、時宗は寄りかかっていた壁から体を起こした。
「現状、そっちはまだどうにもできないか……。で、唯さん、あなたの状況は安全なんですか?」
唯の目が、意外そうに見開かれた。
「ご心配どうも。なんとかしますよ……あと二十分で会議なので、バレずに戻らなければならないという点では、私の状況もよくはない」
「申し訳ない」
「いえ。ではまた」
男は無表情に頷くと、さっと部屋を出ていった。足音が充分遠ざかるのを待って、時宗も身を起こす。
歩行箱の小さな灯りを頼りに来た道を戻りながら、出張のことをうんざり考える。状況はギリギリなのに、この段階でトウキョウを離れるなんて。
何年もかけてコツコツ積み上げてきたものが無駄になったら。それを考えると焦りに心臓を掴まれそうな気分だ。
今すぐにでも情報チップの中身を確認したい。でもサッポロに行く準備をしなければならないし、昨日までやっていた素行調査の報告書は、今夜中に突貫で上げなければならなくなった。
いや、落ち着け。時宗は呼吸に意識を向ける。サッポロなんて、弥二郎の口ぶりなら一日か二日で終わる仕事だ。帰ってきてから行動を起こしても大丈夫なはず。今更焦らなくても、情報は逃げていかない。
準備に集中しないと。服と靴。予備の晶石バッテリー。他に何が必要なんだ? というか、果たしてこの街で、極寒に対処できる装備が手に入るのか? もうちょっと早く言ってくれよ。そうすればネットで注文したのに。
角を曲がった時、時宗はふと立ち止まった。通路の先に目を凝らす。
「照らせ」
歩行箱の灯りが上がった。闇が揺らぎ、男が一人現れる。手には護身用の小さな晶石銃を構えていた。微かな酒の臭いに、時宗は眉を顰めた。
黙ったまま、男を観察する。防寒用ジャケットのサイズは体に合っているが、手首の辺りがすり切れている。脂ぎった髪は長く櫛を入れていないようで、糸くずが絡みついたままだった。
時宗を睨みつける目の奥には、投げやりな色がある。人生を捨てる前に、せめて一度だけでも、かつての自分が考えもしなかったバカをやってみよう。そんな色だ。
「動くな。手を挙げろ」
男の硬い声に、時宗はひょいと肩をすくめた。
「最初っから動いてないんだけど? 『上』で人生失敗したからって、最後の金を銃につぎこむなんて、アホなのか? 選ぶ相手も適当だし。暗いとこに入ってくのを見かけたぐらいでカモにすんな」
へらず口を叩かれるとは思っていなかったようで、男はしばらく唖然と時宗の顔を眺め、それから、はっと気づいて銃口を向け直した。
「だ、黙れ。その歩行箱を寄こせ」
「無理だろ。こいつには俺の全財産が入ってる」
「で、で、でも、現金とか入ってるんだろ」
「現金? いや? 着替えと水ぐらいしか入ってない。それにこいつは俺にしか反応しない。持ち主とのコネクトを切らないままの歩行箱なんて、売り飛ばしたって誰も買わないぞ? 晶石は、ちゃんと持ち主の意志を理解してるんだから。ていうか、お前『ここ』に来てからまだそんなに経ってないだろ」
焦ったように、男の口が閉じ、開いた。
「そんなこと、どうだって」
「よくはない。『ここ』に住んでる連中は、同じ階層の人間を襲ったって意味ないって知ってる。それを知らないってことは、お前はまだ、『ここ』に馴染んでない。馴染めばわかるはずだ。同じ階層にいる奴は、お前の銃についてる、その石より高い物なんか持ってないってな。
知らないのかよ? トウキョウで一番犯罪率が高いのは第二層から第三層で、検挙率が一番低いのは、第三層──」
「黙れってば!」
男が一歩踏み出し、時宗の額に銃口を当てた。
瞬間、時宗はその手を蹴り上げた。銃が吹っ飛ぶ。それは最初から決まっていたように時宗の手の中に落ちてきた。
「バッカ、お前、安全装置も外してねぇじゃねぇか」
その場で銃を分解してバラバラと床に落としてやると、男は悲壮な顔でしゃがみ込み、それをかき集めだした。
「どこで手に入れたかしれねぇが、慣れないことやるより、安い酒でも飲んで寝てた方が人生マシだろ」
指先に残した小指の先ほどの薄青い石をクルリと回して、目の前にかざす。
「たいして純度も高くないな。コネクトをかけて可愛がれば、護身用に一年ぐらいは『削らせて』くれるが……コネクトのかけ方も知らないまま売りつけられたのか? ほんと、しょうもない。これじゃ一発撃っただけで、石はやる気なくして使い物にならなくなる。安定加工がきっちりしてないところを見ると、その前……鉱山の選鉱場ではねられた石っぽいな。寂しがってるから、本来ならヤマに返してやるべきものを横流しされたか」
時宗の分析を、男はしゃがんだまま茫然と聞いていた。
「あんた……何者だ……」
時宗は男のそばにしゃがみこんだ。
「正直、粉末火薬を使う一般用の銃の方がまだ脅威だったろうが。金が欲しかったら、まともに働けよ……お前、名前は?」
「は? 言うわけねぇだろ!」
「それもそうか。すまんつい癖で」
歩行箱を呼び寄せてメモ帳を出すと、時宗はさらさらと通話用のIDを書く。
「ここに通話しろ。そこそこマトモな仕事を紹介してもらえるはずだ」
「仕事?」
「マキって人だ」
「あ、あんたは……」
「俺の名前を言わなくても、マキさんですかって一言聞けば向こうはわかる。あとはお前次第だ」
書き終えた紙に石を包んで折りたたむ。男のポケットにそれを突っ込むと、時宗は立ち上がった。それきり、後ろも見ずに歩き出す。
まったく、サッポロなんて面倒くさい。何日で帰ってこられるのだろう。とにかく早く終わらせたい。ついさっき手に入れたこのチップの中身が、降ってわいた出張のせいで無駄にならないことを願うばかりだ。
溜息をつくと、時宗は歩行箱を引き連れて駅へと戻っていった。




