Itinerary: 4日目 その1
今野はちゃんと目覚ましをかけてあった。
大音量で叩き起こされた時宗は、サイドテーブルの時計を見る。八時。けっこうちゃんと寝られたな。
起き上がって目をこする。また一日、車の中か。休憩所で何かうまいもの食えるといいな。多分今日もずっと超高で、観光気分はちょっとしか味わえないだろうから。そんなことを考えながら隣を見る。
入口側のベッドでは今野がぺたんと座り、ぼけっとした顔で時宗を見ていた。
「オレ、そっちのベッドでなかったっけ……?」
「全然覚えてないのか?」
「……うん」
困ったような今野の顔に、時宗は微笑んだ。
明け方トイレに行った今野は、寝ぼけて時宗のベッドに入ってきたのだ。驚いて飛び起きた時宗は、泡を食って逃げ出し、今野のベッドに避難したのだった。
今の様子を見る限り、どうやら純粋に寝ぼけただけのようだったし、時宗の行動には何も気づいていなかったようで安心する。
ひとりの時間が多かった今野は、おそらく無意識に一番近いベッドに潜り込んだだけだ。トイレで眠り込んでしまったのだろうか。冷えた体がするりと絡みついてきた時には心臓が止まるかと思った。ベッドから転げ落ちるように逃げ出した時宗は、床に座り込んで寝顔をしばらく眺め、それから静かに移動して寝たのだった。
気づかれたはずはない。
心の中で自分の反応と今野の様子を天秤にかける。
寝間着はちゃんとしていて、はだけてはいなかったはずだし、そもそもドア近くの小さな灯りしかつけていなかった。腹の傷跡は見られていない、それは断言してもいい。
それに、あんな突然のことだったのに、気持ちを落ち着かせてしっかり寝られた。相手が今野だったからだ。そう思うことにする。触れられた瞬間のことを思い出さない方がいい。朝っぱらからアレに引きずり込まれるのは御免だ。
忘れろ。忘れるんだ。
自分に言い聞かせようとするそばから、ぬるりと頬を撫でられる感触に襲われる。
囁き声が聞こえる。
君は悪くない。
悪くないって言うんなら、なんで俺を撃つんだよ。
だめだ。足を取られるな。過去と現在の境目が曖昧になっていく。ねっとりと赤黒い沼に体が沈む。昏い真実はいつだって世界の隅に追いやられる。
君は悪くない。ただ、私の正しさをわかってほしいだけなんだ。わかるだろう?
わかるよ。わかる。正しさはいつだって、腐臭を放つ伝言を誰かに渡したがっている。
私が君を殺すのは、正しさを彼に伝えるためなんだ。
だからなんだってんだ。正しいなら、何をやったって許されるのか? 殺される俺の身になれよ。
「おい!」
殴られるように我に返った。
今野が心配そうに顔をのぞきこんでいる。部屋は明るくなっていた。カーテンを開けにきて時宗の様子に気づいたものらしい。
「すまん」
「まだ眠いんか?」
ひらひらと顔の前で手を振られ、時宗は深く息を吐いた。
「ちゃんと起きてる。お前夕べ、トイレに行った後に寝ぼけてそっちのベッドに入り込んできたんだ。狭いから寝にくいだろうし、寝かせておいてやりたくて、俺がこっちに移った」
「あ~、そうなんか。起こして悪い」
「いや、お前だって疲れてんのに、シャワー譲ってもらったし。気にすんな」
申し訳ない顔。
今野……ほんとにお前はいい奴だよ。俺は、自分がひとりで寝られるっていう誇りを胸に生きていくことにするわ。
という考えはおくびにも出さず話題を変える。
「何時に出るんだ?」
「とりあえず、準備できたら出発する。朝飯は途中でなんか買う」
「了解。お前先にバスルーム使うか?」
「ん」
今野はぺたぺたバスルームに入っていった。
時宗は立ち上がり、窓の外を見た。外はもう動き始めている。歩いていく人々は、自分とは違って今日をきちんと始めようとしているように見えた。朝の光のおかげで空気は煌びやかで、真冬にもかかわらず快適そうだった。
生活を守る薄いシールドの中には、ささやかな日常のささやかな希望が散りばめられている。愛されていることを誇るような足取りで柴犬が歩き、リードを持った老女が目を細めてついていく。
記憶を振り払い、今日の旅のことを考える。地上の気温は低いかもしれないけれど、今野が運転しやすい路面ならいいと時宗は思った。今日一日で、今野との旅路は終わる。トウキョウに着いたら事務所で弥二郎と話し、依頼人のところに今野を案内して時宗の仕事は終わり。そうした方がいい。
意気投合して仲良く旅ができるなら、それ以上は望むべきじゃない。自分のことは話せないだろうし、今野の訳ありな生活も、おじいさんと今野が話し合ってどうにかするものだ。
自分ができることなんかない。俺には俺で、やるべきことがたくさんあるのだから。
……連絡先ぐらいは、聞いてもいいだろうか。たまに、声を聞いたりメッセージをやりとりしたりするぐらいは。それで、時々は一緒に飯を食う。
もしそうできたら、どんなにいいだろう。
時宗は窓に背を向けると、身支度の準備をするために鞄を持ち上げた。バスルームの水音が止み、今野が出てくる。
「オレ終わった」
そう言いながら、今野はバスローブ姿で自分の鞄に手を伸ばした。
腹の傷跡を見られないために、時宗はそそくさとバスルームに向かった。




