Itinerary: 3日目 その11
「おい」
穏やかに揺さぶられて、時宗は目を開けた。ほんの一瞬、目をつぶっただけな気がしたのだが、きっちり寝ていたようだ。
毛布から顔を出すと、すぐ目の前に今野の顔がある。ぼけた頭で時宗はその顔を眺めた。目は切れ長で凛々しいのに頬から顎のラインは柔らかく、全体としては人がよさそうな印象を受ける。
いい顔なんだよな。
すごく味があって、性格が良さそうで。
今野は時宗の顔をのぞきこんでいたが、困ったように手の平をひらひら振った。
「もうすぐ抜けるぞ」
「あ……そうか」
のそのそ身を起こすと、今野は時宗が使っていた毛布を引っ張り、丸めて後ろに放り投げた。
「あとどのぐらいなんだ?」
「たぶんあとちょっとで案内かかる」
その言葉が終わってものの数秒、とんでもない音量の案内が操作盤から流れてきて、時宗は飛び上がった。管理局の合成音声が、あと十分でトンネルを抜けるという内容を伝えてきている。
寝ている人間が多いから叩き起こそうという意図はわかるのだが、過去に心臓発作で死んだ奴はいなかったんだろうかと思うほどの大きさだった。今野がこの案内の前に時宗を起こしてくれたのは、彼なりに気遣ってくれたものらしい。
この繊細さを見るにつけ、最初のアレは何だったんだと思わずにいられない。
「……お前、どうやって案内前に起きたんだ?」
「端末が目覚ましで振動するようにして持って寝んだ」
旅慣れしてるな。
「今野ってさ」
「?」
「いや、なんでもない。起こしてくれてありがとな」
お前ってもしかして、すごく性格がいいんじゃないか?と言いかけて、時宗は口をつぐんだ。それは言わない方がいい気がする。なんとなく、今野を馬鹿にした響きになってしまいそうだ。普通の褒め言葉ってどういうもんだっけ? 時宗はそんなことを考えながら、トンネルの先に目を向けた。
大型車両で視界は遮られている。物流用の車両が多くて、二人の車はまるで川底に沈んだ小石のようだ。
視界の中に尾行らしき車はいなかった。操作盤がチカチカ光り、今野がハンドルのテープを外す。
まばゆい誘導灯がトンネルの出口を縁取っている。その向こうの、しんと冷えた闇に雪がちらついている。
整然と並んだ車は、管理局の運行のままトンネルを抜けた。外の待機場に一旦入れられ、停止する。
管理局の運行権限が切られるという案内があり、ふっと操作盤が静かになった。
今野が運転用の手袋をし、ひとつ、息を吐く。二人は遥かなトウキョウに向け、深い海峡を越えた。夜はまだ、続いていたけれど。
意外なことに、今野はアオモリのシールド区画にあるホテルを予約していた。雪が深く、ここもサッポロ同様、街はシールドがかかった富裕層やビジネス街の区画と、一般階級の区画に分かれている。トンネルを抜けた車はそのまま、シールド・チューブのかかった道を進んでいた。
中心を外れた郊外には、シールド・ドームの下にゆったりした個人住宅が並んでいた。窓からは時折暖かそうな光が漏れてきている。住宅街に隣接する、商店や企業が並ぶ区画に入ると、そこはさらに暗くなっていた。どの店も営業を終え、街灯の他には企業用の建物や無人売店から時々灯りが道に差し込んでくるだけだ。今野はずっと黙りこくっていた。
てっきり労働者用の宿泊所に泊まるものと思っていた時宗は、街並みを眺めながら考えていた。今野が何かの裏稼業に加担しているなら、普通は荷物を持ったままシールド区画には来ないはずだ。警察が完全に機能していて、妙な行動をすれば人目につく。
入るのに身分証がいるような、たとえばトウキョウの第四層ほどではないにせよ、田舎の上層階級にもそれなりに警備の目があるはずだ。正確なことを知らないとはいえ、違和感はぬぐい切れなかった。
もしかして、何か仕事に関係あるんだろうか。会う予定の人間がいるとか? 後ろに載っている物がなんであれ、時宗は今野の行動に口を突っ込む気は、今のところない。ないのだが、考えることはできる。
時間は夜十二時を過ぎていた。道は規則正しく照らされていたが人通りはなく、車もほとんど走っていない。辺りは静まり返っていた。
あの尾行、どうしてるんだろうな。
意識の片隅には、常に警戒心があった。ただ、ここも相変わらず、尾行がいれば丸わかりの状況だ。確実に何かの試合に出なければならないのに、その試合がいつ始まるのか、どこで始まるのか、さっぱりわからない心境だった。
やがてホテルに到着し、駐車場から十階程度の建物の入口を見た時宗は固まった。う~わ、見覚えありすぎるロゴ。
「……このホテル、取ったんだ?」
「? あぁ、南条グループはベッドがいいんだ。あと、夜中の三時頃までチェックインできるし」
それだけ言うと、今野は車の後部を開けた。警備箱を下ろすつもりらしい。時宗も無言で手伝う。まさか知っててここを予約したんじゃないだろうな。いや、そんなわけない。思い返しても、大きなヘマをやらかした記憶はない。
自分に関係のある場所が唐突に出てきたことに内心冷や汗をかく思いで、時宗は努めて無表情を作った。ここはアオモリ、時宗の顔を知ってる者なんかいないはず。
今野に並んで警備箱を慎重に引きながら玄関をくぐる。ロビーはすっきりしたデザインだが、それほど広いわけではない。中流の者が仕事で使うためのホテルだった。
型落ちの接客機が、視界の隅を進んでいく。きれいな流線形の背中……あれは旧陸型だ。会話に特化しているが、荷物も丁寧に運んでくれる。
今野はすたすたと奥のフロントへ行くと、慣れた様子で宿帳を書き始めた。時宗が渡した名刺をちゃんと出して名前を書いている。よかった、本名じゃない方を渡しておいて。
時宗は財布から現金を出して今野の脇に置き、手続きを待つふりでカウンターに寄りかかり、周囲を見渡した。防犯カメラの位置を把握して顔をそらす。
う~ん……なんていうか……。
ロビーの隅の電球が切れているのに気づいて、時宗は溜息をついた。トウキョウに戻ってこの案件を処理したら、やることが山ほどある。情報チップの中身も分析しなきゃいけないし。
「部屋行くぞ」
今野に声をかけられ、時宗は警備箱を引いて昇降機に向かった。スタイリッシュな内装だが、全体的にどんよりした印象なのは、田舎だからか? そんなわけない。
昇降機に乗り込むと、時宗はさりげなく今野に聞いた。
「このホテル、気に入ってるのか?」
「うん。グループ全体の評判は落ちてきてるけど、オレは使いやすい。南条グループって、いろんなとこにあるから、会員になっとくとあっちこっちで割引使える。それに……今夜はちょっといいとこ、泊まりたかった」
「そうか……プリンセス・ホテルは使うのか?」
「あっちは南条グループでも高級だから使わね。真ん中か、下のチェーンだけ」
「あ~、なるほど」
まぁそうだよな。上層階級向けは金がかかるし身元確認も厳しい。シールドの性質もセキュリティ特化になるので、雪除け目的のものより入るのは面倒だ。
今野は昇降機の表示を見上げていた。少し眠そうだ。眠気覚ましのつもりなのか、今野はこの話題を続けた。
「南条ってあれだべ、ホテルだけでなくて、他もうまくいってないって、こないだネットのニュースで見た」
「……お前ニュース見るんだ」
むっとした顔で今野が視線を下ろした。
「オレだって一応見る」
「すまん。そうだよな」
謝ってから、時宗は考え事に戻った。ニュースになるほど、累積赤字は増え続けている。そりゃそうだ、あんなやり方じゃ。
トウキョウを網羅する列車の路線経営はなんとかなっているが、晶石鉱山は一触即発。出張前に情報チップを受け取った時の、唯の顔を思い出す。
自嘲気味に、時宗は考えを続けた。
俺には何の権限もない。トウキョウ全体の、あるいはこの国全体の生命線を握っている一族の一員でありながら、自分は大喧嘩の末に家を飛び出し、最下層に近い場所で、ちまちまと誰かの秘密を覗き回っている。
ふと思った。
今回の依頼人、弥二郎は「昔馴染み」と言った。まさか、グループの権力争いに関係あるんじゃないだろうな? だが親族・姻族だけでなく、グループ内の関係者全体を見渡しても依頼人の名前に心当たりはないし、今現在、病気で死にそうで、なおかつ巨額の遺産で争いになりそうな、つまり両方の条件を同時に満たす者はいない。
どいつもこいつも、殺しても死ななそうなんだよだな……。
誰が何を隠している?
どこを突けば、必要な情報が手に入る?
チン、と軽やかな音がして昇降機が開き、今野が廊下に足を踏み出す。考え事を続けながら、一緒に降りる。
大体、無駄遣いが過ぎるんだ。晶石鉱山の経営可視化、観光化なんて建前をつけようが、普通、あんなゲストハウスなんか鉱山に新設するか? どう考えたってクソ兄貴が女連れ込むためのプライベート・ラブホじゃねぇか。
今野は無言のまま廊下を進み、一番奥のドアにカードキーを差し込んで開けた。時宗も警備箱を引いたまま、くっついて入る。中はあまり広くないツインだった。暖房が効いていて、ベッドの寝心地は確かによさそうだ。
それにしても……この警備箱、マジで重いんだが。ほんっと、何が入ってんのか問い詰めたい。なんで歩行箱じゃないんだよ。一番奥まで行き床に箱を置くと、時宗はほっと息を吐いた。
「運んでもらってすまね。シャワー浴びるか?」
靴を脱ぎ捨てながら今野が聞く。
「あ~、浴びる……」
「んじゃお前先に浴びれ。オレ後でいい」
「いいのか?」
今野は奥のベッドに鞄を置き、コートを脱いだ。どうやら時宗は入り口側のベッドということらしい。
鞄の中身を出して寝る支度を始めた今野をぼんやり見ながら、時宗は自分も鞄を下ろし、ジャケットを脱いだ。
必要な物を鞄から出すと、時宗はシャワーに向かう。バスルームはひんやりしていたものの、清掃自体は行き届いていて清潔だった。まぁ……そりゃそうか。ここがダメならおしまいだ。
洗面台のアメニティをざっと見てから、時宗はシャワーを浴び始めた。
なんつうか、全体に貧乏くさいんだよな。
予算が足りていない感じがする。食事がどんなふうなのかも確認したかったが、今野はおそらく素泊まりで予約したはず。明日の朝は出発してから適当に食べるつもりだろう。
アメニティのシャンプーを泡立てて髪を洗いながら、時宗は舌打ちした。やっすいシャンプー使ってんな。ギシギシじゃねぇか。
イライラと、再び例のゲストハウスを思い出す。
ネットの紹介動画で、晶石鉱山の見学ツアーとゲストハウスの広告を最初に見た時には呆れかえった。
そもそもあのバカ兄貴は女にいくら注ぎ込んでんだ。志緒里さんも苦労してんだろな。
志緒里さんというのは、時宗の兄、時頼の妻だ。
この、出来損ないの歴史オタクがつけたような兄弟の名前は、時宗の曽祖父が始めた。曽祖父は中等学校までしか出ておらず、祖父も専門院を出たとはいえ歴史に興味はない。南条という名字から連想して、適当に過去の偉人の名前を探して子供の名前にしたそうな。
二歳上の兄、時頼は名前は立派だが、幼い頃からしょうもない性格だった。常に素行が悪く、高等三年にしてすでに後輩を妊娠させ、金でもみ消した過去がある。専門院卒業後に家同士の政略で、建設企業の社長の娘である志緒里と結婚したのだが、時頼がそんなことでおとなしくなるはずもなく、周囲には常に複数の女がいた。本人は取り立てて能力があるわけではなく、ただ現当主である父親の威を借りて女を口説く以外、ほぼ何もしていない。父親は時頼が専門院を卒業すると同時に晶石鉱山の全体管理をやらせているが、結果は誰が見てもお粗末なものだ。
志緒里さん、離婚する気はないんだろうか。いや……できないわな。会社ごと放り出されたら両親の人生が詰む。優香里ちゃん何歳になったんだっけ。
確か二歳だ。
時頼と志緒里との間には優香理という娘がいる。可愛い盛りだろうとは思うが、いかんせん時宗はその姪に一度も会ったことがない。
なんつうか、あいつら他人の人生を何とも思ってねぇんだよ。
父も兄も、常に他人を蹴散らして生きている。
このままだと、嫌なことを際限なく思い出しそうだ。感情を振り払うように体を洗い、残りの作業を終え、時宗はさっさとバスルームを後にした。
部屋の中は静まり返っていた。電気は穏やかな暗さに落とされ、今野は自分のベッドに寝転がり、うつらうつらしている。
「終わったぞ~。先に使わせてもらって悪いな」
「ん」
今野は短く言うと、のっそり起き上がった。すでに裸足だ。眠気で目がとろんとしていて、背中が丸まっている。その姿を見ると、我知らず心がほぐれる気がした。
ぺたぺたと今野がバスルームに向かうのを見送って、時宗はベッドに横たわった。
いくら運転が好きって言っても、長時間は疲れるだろうに。先にシャワーを使わせてくれた今野は、父や兄とは違って、無言の思いやりをもっている。
俺が後にすればよかった。悪いことしたな。
そうは言っても、時宗も疲れていた。夕べは熟睡しないように壁に寄りかかり、ほとんど寝ていない。さらに、何もせず助手席に座りっぱなしというのも、運転とはまた違った気疲れがある。トンネルの中でも座ったまま寝たので、体から緊張感が抜けていない。
要するに、時宗も眠かったのだ。
一族の問題はこの際どうでもいい。
今野は明日何時に起きるんだろう? 手を伸ばして端末をいじる。朝……七時に目覚ましをかけておけばいいだろうか。今野がシャワーから戻ってきたら、明日起きる時間を聞いて……俺も、ちゃんと起きられるように……。




