Itinerary: 3日目 その4
車でトウキョウまで行くというのは、時宗にはよくわからない方法だった。途中には深い海峡がある。それを車で越えるのか? 冬の凍結路面での長距離運転も想像がつかない。さらにいえば、車でこの国を縦断するなんて、よほどの物好きだ。
四輪移動車には自動航行機能が標準装備されている以上、運転する楽しさなんてないのが当たり前なのだ。硬い座席で腰をいためるのがせいぜいで、はっきり言って、運送業以外の人間が選ぶ手段じゃない。それが時宗にとっての「常識」だった。いったいどうして、わざわざ地表を移動しなきゃいけないんだ。
今野は例の黒い小さい移動車に時宗を乗せ、サッポロの郊外へ向かっているようだった。驚くことに、自動航行機能を切って自分で運転している。それなのに、車の動きは周囲に溶け込んでいた。信号無視どころか黄色信号も無理に突っ切ることはない。速度はぴたりと流れにシンクロしていた。
しかも、当たり前なのかもしれないが凍結路面には慣れていて、タイヤが空転することもなく、ブレーキングも丁寧。綺麗に緩やかに停止線でぴたりと止まる。まぁ……道路が真っ白で時宗にはどこに停止線があるのかわからなかったのだが。
仕事って何だろうな。
そう思いながら、時宗はサッポロの地表の街並みを見ていた。地元民らしき人たちはぐらつくこともなく、目的地に向かってさくさく歩いている。誰もがしっかり着込んでいて、顔がほとんど見えなかった。
車の量はトウキョウの第二層より少し少ない程度だった。周囲の車の自動航行機能は雪道での設定が完璧にされていて、トラブルはまったくない。シールドなんかなくても、人はちゃんと生きているんだと時宗は感心した。
今野は白い道を、車の流れに乗って進んでいく。一体なぜ、何の仕事でトウキョウに行かなければならないのか、仕事の合間に依頼人に会う気はあるのか、時宗に事情を話す気はあるのか、すべてがわからないままだった。
「……腹減ったか」
今野は不意にぼそりと言った。
「まぁ、減ってるな」
ぼんやり答えると、今野は慎重に右折しながら言った。
「約束あるから、先にそっちだ。それ終わったら昼飯食べる」
「わかった」
車は表の大きい通りから逸れ、人も建物も少ない方へと進んでいった。雪だけが世界を満たしていく。建物は小さく低く、雪の中にかろうじて頭のてっぺんが見える程度。道の境目が分からず、時折、雪の壁から突然人が現れ時宗をぎょっとさせる。
今野はしばらくそうした道を走り、やがて川に近いひらけた道に入った。
こんなところに、人は住めるんだろうか。時宗には想像もつかなかった。地平線が空と大地を区切っているだけの場所だ。のっぺりと広がる二色の世界は、生き物の呼吸を封じるような静謐に抱かれている。
横の景色に気をとられていると、車はふわりと止まった。何気なく視線を前に向け、時宗は口をぽかんと開けた。
灰色の空を背景に、控えめに言って……ものすごく奇妙な建物が鎮座していた。壁に沿って配管がうねっているのは、トウキョウの第一層でも見かけるものなのだが、それだけでは済まない。なんというか……それらが……。
「相変わらずキモい生き物にしか見えんけども、別にお前のこと食ったりしねっから安心しろや」
時宗の頭の中を読んだように今野が言う。
キモい生き物。確かにそうだ。配管が振動しているだけでなく、生き物の血管のように脈打っている。何かの獲物を見据えてうずくまる、得体の知れない怪物のようだった。実際の高さはせいぜい三階か四階程度、六十階の建築物が敷き詰められているトウキョウを考えれば、それは比べ物にならないほど小さいはずなのだが、広い広い空を背景にどっしりと鎮座したその建物?は、時宗を圧倒するような威圧感を放っている。
雪を落ちやすくするためか、上はドーム型になっていた。それがなんだか坊主頭のようで、余計に生き物感を増している。
さらに、その体の数か所から薄青い煙が噴き出ていて、辺りには嗅いだことのない匂いが漂っていた。この匂い……なんだろう? 晶石だけじゃない何か。
匂いに時宗は混乱した。どこか懐かしい森の匂い。そう思わせておいて実は安い合成芳香剤だったというか。いや逆か? 安い合成芳香剤の中に本物の樹液を一滴だけ入れたというか。
頭がすっきりするような、それでいて考え事がしにくくなるような、変に甘い匂いだった。長い時間吸わないほうがいいと人間の本能に囁きかける匂いだ。脳の働きが冴えていることが何よりも必要な時宗にとって、あまり良くない環境だった。
今野は、一旦車を降りると入口と思しき鉄の板に近づき、小さなボタンを力任せに押した。途端、怪物が吠えた。ゴオオオオオオという咆哮が建物全体に響き渡ったのだ。それが静まると、今野は運転席へ戻ってきた。
「今の……何?」
「呼び鈴」
そんな可愛いモンじゃなかったろ。なんてとこに来たんだ俺は。今野の仕事って何なんだよ?!
待つこと数分。
「誰も……出てこないんだが?」
「う~ん、なんか夢中でやってんだべか」
今野が溜息をついて再び行こうとした途端、さっきの鉄の板の横にある、巨大な丸いプレートが回り始めた。そのプレートが割れ、左右に開いていく。今野は車をゆっくり発進させ、建物の中へ乗り入れた。
入るにつれ、時宗は外見以上に呆れ返った。むき出しの配管は内側の方がひどい。とんでもない量が絡み合うように壁を伝っていて、その無秩序な感じは吐き気がするほどだった。建物の中央は広い空間になっていて、そこには、これまた意味不明な機械が据えられている。建物一階分はたっぷりある高さの機械の上には大きな晶石が取り付けられていて、エネルギーが循環しているのか、石全体が青く光っていた。
──なんの機械だ?──
瞬間、キィィィィンと耳鳴りがした。脳が突然、凶悪な速さで回転を始める。自分の意志では発動させることができない特別な能力。普段の思考では追いつけない物に出会うと時々起こる現象だ。目玉が勝手に奇妙な機械の外観を高速スキャンし、構造が立体図として頭の中に記録されていく。
頂点に置かれた晶石が薄い被膜で覆われている。被膜内部で晶石を包むようにオイルを循環させた上で、晶石下面中央から円形に散開する配管構成。遠心力と重心の利用形態が計算式になって超高速で脳を横切っていく。晶石からのエネルギー入力管が細いが、出力管が妙に太い。燃焼機構は見当たらない。おそらく裏。いや違う。外部から接続している。ただし燃焼機構はメインではなく補助で……。
ドカン!という音が響き、脳の配線が強引に切られる感覚で時宗は我に返った。機械のどこかが暴発したらしい。
煙が機械の後ろから、もうもうと上がっていた。苦虫を嚙み潰したような顔の老人が、足を引きずりながら出てくる。彼は手を上げて今野に停止を指示すると、空間の奥へと顎をしゃくる。
今野は頷き、そちらへ車を向けた。ゆっくりゆっくり機械のそばを通り、奥のスペースに停めると運転席を降りていく。時宗も助手席を開け、降りてみた。老人が面倒くさそうな顔で歩いてきている。脳の異常回転は止まってしまっていて、もう反応しなかった。
反動で襲ってきた眠気を追い払いながら周囲を観察する。四輪移動車が数台停められているのに、時宗は気づいた。車の整備をしているのか? だが、真ん中の機械も壁の配管も整備工場のものではない。作業台の工具類やパーツも、車用だけではなく、晶石機械に使うあらゆるものが揃っている。建物内部なのに、寒さは外とたいして変わらなかった。
「生田さん」
今野が声をかけると、老人はぞんざいに手を振った。歓迎なのか拒絶なのか、わかりにくい挨拶だ。二人は慣れた様子で会話を始めた。
「生田さん。オレまた行かんきゃならなくなった」
「お前クシロから帰ってきたばっかりでねぇか」
「うん……でもしょうがない」
何か事情を知っているらしき老人は、偏屈ではあるが根は悪い人物ではないのだろう。少し哀しそうな、愛情のこもった目で今野を見ている。奥の方の、灰色の覆いがかけられた車を手で示しながら、老人はぼそぼそしゃべった。
「こないだ帰ってきた時に、全部見といた。ちょっとアンダー気味にしてあるけど、長く走ったらずるずるになるかもしれね」
「大丈夫、雪抜けたら向こうでもっかい見てもらう」
「ならいい。タイヤあれか?」
「うん、預けてあるから」
「そっか」
老人は時宗の方をまったく見なかった。まるでいないかのように、完璧に反応しない。今野も何も言わず、奥へ歩いていく。時宗は好奇心を起こしてついていった。
今野は一番奥まで行くと、ひとつ、深呼吸をした。それから灰色の覆いに手をかけ、一気に引っ張る。
さぁっと鮮やかな青が、時宗の目を射た。
広く晴れ渡った夏空のような。あるいは南国の夏の海のような青。深い光沢を湛えた車は静かにたたずみ、しかし果てなき旅へと人を誘っている。
それは車高の低い車だった。丸みを帯びた輪郭に可愛らしさを感じさせながら、見様によっては包容力のある美しい女性を思わせる流線形だ。車については全然詳しくない時宗でも、その車が人を魅了する存在だということは理解できた。
「すごい」
時宗が呟くと、今野は嬉しそうな目になった。
「弐陸改造型参だ。古い後駆だけど、雪道けっこう粘るし。今回は天気予報より冷え込み厳しくなかったし、南の方は雪そんなでもない。たぶん超高の規制も途中で切れるから」
うん……そもそもコウクって何の略だ?
時宗の顔を見て、今野は呆れたように溜息をついた。
「車わかんねぇんか」
「全然わからん」
「ふ~ん」
「車って何種類も持ってるのか?」
「弐陸改造型参と、あっちのやつ」
今野は乗ってきた車を指差して再び無表情になると、ドアを開けて運転席に乗り込んだ。晶石エンジンを起動し、運転席と助手席の間にある操作盤に手を伸ばす。
操作盤中央には、親指の先ほどの晶石が据えられていた。今野は慣れた仕草でそれに触れる。
時宗は目を見張った。
触れられた晶石が、濃い青い光を放ったのだ。それも、車の外にあふれるほどだった。車両には通常、結晶体を使わない。粉末を使ったバッテリーにエネルギーを充填して使う。だが晶石を直接回路に組み込んであると、エネルギー効率は桁違いに良くなり、操作性も全く違うものになる。
今野はただの道具であるはずの物を改造し、車両と「対話」しながら走れるようにしてあるのだ。時宗の歩行箱のように。
しかもこの石の光り方からいって、純度はそこそこ高い。明確な意志の疎通には、かなりの共鳴能力が要求される。
石は今野と出かけるのが嬉しいようで、はしゃぐように光の粒をまき散らし、細かく揺らした。今野がなだめるように撫でると、光は落ち着き、運転に支障がないよう奥の方へ引っ込む。
驚いた。完全な信頼関係を築いている。
この車でトウキョウに行くのか?
見つめる時宗の前で、今野はハンドルに手をかけ、ゆっくりと車を動かした。乗ってきた黒い車に横づけすると、運転席から降りてくる。それから時宗を横目で見ながら弐陸改造型参とやらの後部を開けた。
「お前、手伝うって言ったべ?」
「あ~、まぁ」
建物の奥から、老人が大きな箱を引きずってきていた。大人がひとり入れそうな、大きな警備箱だ。衝撃抑制と盗難防止の機能がついた、かなり高額なもの。町工房の中で見ると、違和感がある。
「これ運ぶ」
短く言うと、今野は老人からその警備箱を受け取った。
「お前そっち側持て」
両側を二人で持って運ぶということらしい。時宗は黙って手伝った。何が入っているのかわからないが、かなり重く、確かにひとりで運ぶのは面倒だ。
青い弐陸の後部には、荷物が動かないよう固定する緩衝材が敷き詰められていた。今野はロープも使って警備箱を固定し、他にも鞄などを黒い車から積み替えると、そっちの方を青い車があった場所まで運転して持っていき、晶石エンジンを切った。
「生田さん、あっちよろしく」
「わかった。無茶すんなよ」
「うん」
最小限のやり取り。
今野は弐陸に乗り、鞄から携帯端末を出しながら時宗をちらりと見た。乗れということらしい。
助手席に滑り込み、時宗は今野の作業が終わるのを待った。操作盤であれこれ設定し、携帯端末の方でも何か設定している。それが終わると、老人が手を振って外へ誘導してくれた。
「……ちゃんと帰ってこいよ」
出口で今野が窓を開けると、老人はそう言った。
「うん」
今野は老人に軽く手を振り、車をゆっくり発進させる。奇妙な機械が一体何を目的としているのか、老人が今野とどんな関係があるのか、そして荷物は何なのか。時宗には一切わからないまま、旅は始まるのだ。
弐陸改造型参と呼ばれた美しい車は、今野と時宗を乗せて北の怪物を背に、出発した。




