(22)明けない夜
「私は神より奇跡の力を賜りました」
リタの日誌はそんな一文から始まっていた。
「え……」
僕は思わず声が出た。
頭の中にいろいろと駆け巡るが、飲み込んで先を読み進めた。
「神は私たちを見捨てなさったのかと思いました。魔物が人々を蹂躙し、王都は門を固く閉ざします」
……驚くほどに現在の状況と似ていた。
「私も巡礼先で魔物に蹂躙されました」
その一文を読み、僕はこくりと唾を飲む。
僕が読み上げ、二人が聞いている。ちらりと二人の顔を見ると目をしかめていた。
「神の奇跡は私を守りました」
魔物に痛めつけられたリタは、死ぬことなく復活し、立ち上がった。
僕は村を出て、魔物と初めて遭遇したときのことを思い出す。魔物に食われては再生し、歩んでいった。
「私は、武器を手にしました。誰も守ってくれなかったのです。神から賜った力はこのためにあったのでしょう」
リタは武器を生み出し、それで立ち向かった。騎士が討伐に来ない魔物を自らの手で倒した。戦ったことなどなかったけど、何回も、何回も立ち向かい、人々を守った。
「私は神へ感謝しました。この奇跡があれば人々を救うことができるのです」
どれだけ傷付けられても死なない、蘇る力。無限に欲するものを生み出せる力。彼女はそれを私利私欲のために使うことはなく、人々のために使った。
「ローエン村の救援に間に合いました。私が出したパンとスープをみなさんで美味しくいただきました」
日誌は具体的な村の名前、人々の名前、行ったことも書かれていた。
「私はもっと、多くの人々を救いたいです」
魔物から人々を守った後の暮らしも支えた。砦を建て、皆をそこへ集めた。
「まだ、終わりが見えませんが、これも神の思し召しなのでしょう」
僕は読み進めながら、顔が強張ってきた。
——それは、自分の通ってきた道を辿るようだった。
繰り返し、繰り返し、人々を救うためのものを生み出し与える。脅威から人々を守る。自分が傷付いても、幾度も立ち上がる。一度始めてしまったらもう降りられない。
……この人は誰が助けてくれるのだろう。
「エラ、トムス、リン、フーゴ、ビルマ……」
救った人の名前、救えなかった人の名前が羅列されている日があった。救ってくれた人の名前はない。
「今日は、味がよく分らなかった」
端的に、一行だけそう書かれた日があった。僕は背を冷やした。
顔は上げられない。目線だけ二人に向け、思わずその顔を伺ってしまった。しかめた顔はそのままだった。目線を戻し、再び読み上げる。
「私はもう眠りたくありません」
ついに、そこまで来た。
そこに至るまで、救えなかった村の名前が書かれ、こう動いていれば救えていたかもしれない、という後悔が書かれていた。
——悪夢を見たのだろうか。
それは書かれていなかった。分からない。
「夜は長いのですね」
眠らないことにした彼女は、夜の長さに気付く。一日が二倍になった、と書かれていた。
「人は、夜に闇へ還ることによって、赦されているのでしょう」
長い夜が罰のようだと、書かれている。眠りは人に与えられた赦しであると、彼女は綴った。
僕は、鼻を啜り目から落ちた涙をさっと拭った。
「夜に飛ぶ鳥を見ました」
森を一人歩き、彼女は長い夜を過ごした。
「私も空を飛ぶことができました」
僕は息を飲んだ。
眠れない、眠らない夜を過ごし、どこへ向かうのか。手を伸ばした先はあてのない空。同じように吸い寄せられたのだろう。そう思った。
「皆、あたたかく美味しいご飯をいただき、安心して眠る。よかったです」
彼女はもう、自分が失ってしまったものを人々が享受するさまを見て、安らぎを得ていた。
僕は、炊き出しの人が教えてくれたメニューを反芻し、口を動かしたときのことを思い出す。
「サラ、ライザ、シーザ、ケイン……」
名前だけが書かれた日が続く。もう、彼女がどう関わった人なのかすら分からない。
「私はまだ立てます」
日付すら書かれておらず、そう一文だけ書かれている。文字の滲みが強い。何かが落ちた痕がある。
名前だけの日、日付だけの日、そして——途切れた。
「終わりです」
僕はそっと本を閉じ、棚に戻した。
はあ、とセドラさんが深くため息を吐く音が響いた。ガディアスさんは口を手で押さえている。
◇◇◇◇◇
皆、無言で馬車の方まで戻った。
もう、日が沈み暗くなっていた。夜営をして夜が明けたら戻る。
パチパチと燃える薪を囲みながら、二人は僕が出したパンと肉を口にしながら黙っていた。僕は膝を抱えて薪を見つめる。
「救世主ってのは、なるべくしてなる奴がなるってか」
セドラさんがそう口を開いた。
「神さまは何を考えているんでしょう。リタさんは立派な人です。でも僕は……ただの村人です」
「あぁ、胸クソ悪ぃな、神様野郎の奴」
ガディアスさんが怪訝な顔をしてセドラさんの方を向く。
「詐欺だ、詐欺! お人好しを騙す詐欺だ」
「え」
僕は眉を歪め変な声を出した。
「知らんけど」
「なんですかそれ」
はあ、とセドラさんは大きなため息をついた。
「俺みてぇな奴には絶対そんな力よこさねえだろうなぁ……」
「それはそうだ」
セドラさんがそんなことを漏らすと、ガディアスさんが鋭く突っ込んだ。
「イクタ殿」
「はい」
ガディアスさんが僕へまっすぐな目を向ける。
「終わらせる。必ず」
「はい」
それだけを言われ、僕はぼろりと涙を流した。
明けない夜はない。そう思いたい。
……あの人は、どこへ行ったのだろう。
終わりを迎えられなかった救世主はどこへ向かったのか。
僕は、その行く先に気付きつつあった。




