(2)ハルン村
僕は、ガディアスさんに話した。ハルン村での出来事を——
この村は小さく、騎士様の来訪もごくたまにしかなかった。畑を荒らす獣がたまに野山から現れる程度の平和な村だった。
「僕もいつか、みんなを助ける英雄になりたい」
小さい頃、僕はそう言っていた。寝物語で聞いた英雄譚に憧れていた。
友達と木の枝で打ち合いをして英雄ごっこをして遊んだ。いい感じの木の枝を見つけると嬉しかった。
魔物を見たことすらなかったのに、英雄になりたいなどと言っていた。英雄になるということは、皆を危機から救うということ。僕はそれは一体どういうことなのか、深く考えたことはなかった。
「おう、イクタ、特訓やるか?」
「うん!」
村の警邏係のオーシンがそう声を掛ける。僕がいつも、剣の稽古を頼んでいた。気のいい兄のような人だった。
オーシンも正式に剣を習ったというわけではなく、警邏係の先輩から教わった程度だ。誰かの我流が混ざり合いこうして受け継がれていた。
まずは素振り、そして打ち合い。オーシンは手加減をしてくれていた。僕より十歳年上の彼は、ずっと追い越せない人だった。
「そろそろ帰んな。どやされるぞ」
「あっ、そうだね」
剣の稽古は手慰みのようなものだった。僕は村での仕事がある。
「薪運び、薪割り、やらなきゃ」
「そうそう。それも足腰を鍛える鍛錬になる」
「うん」
生活のための家事、畑仕事……そうして村での暮らしを回していく。うっすらと、それが一生続くのだと思っていた。
英雄譚にあるような冒険は夢物語なのだろう。だからこそ憧れだった。
「イクタ、遅かったねえ」
「ごめん」
家へ戻ると母カエラが水汲みをしながら出迎えた。僕は短く謝り、それを手伝う。
「帰ったぞ~! 今日は肉にありつけるぞ!」
「おかえり」
「父さんおかえり」
父ゴーシュが上機嫌で狩りから帰ってきた。母さんと僕も気分が上がる。
猪が罠に掛かったという。これは村の皆で分け合うので、僕たち家族だけがたらふく食べるというわけにはいかないが、ちゃんと皆へ平等に回ってくるのだ。
「お父さんおかえり!」
妹ナユが元気よく家から出てきて、父さんを出迎えた。ナユは家の中で裁縫仕事をしていたのだ。
「ナユ、帰ったぞ~」
「あのね、わたしもね、縫い物頑張ったの!」
「そうか、えらいぞ」
父さんは優しい顔でナユの頭を撫でた。
ナユは僕の七歳年下だ。やや年が離れている。だからあまりケンカはしない。僕も、父さんのようにナユを守らなくては、と思っていた。
そして、この日は家族四人で獲れたての猪の肉を食べた。
村中で分け合って、僕たちが手にしたのは手のひら四つ分の量だった。それでも、よく噛み締め、味わい、笑い合いながら食べた。
居間も台所も寝室も同じ、一続きの部屋だ。寝台は一つ。家族で身を寄せ合って眠る。
僕は十七歳になった。もうすぐ大人だ。家を出て、家族を作ってまた同じような暮らしをするのだと思っていた。
「おはよう」
朝になり、また変わらぬ一日が始まる。
今日は、水汲みをまずしよう。薪運びも薪割りもすぐに終わらせよう。それから剣の稽古をしようと思っていた。
「行ってくる」
「私も畑に行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
父さんは新たな罠を仕掛けにいった。母さんは村共同の畑を耕しにいった。
僕も、狩りの罠の仕掛け方などをそろそろ教わりたいと思った。大人になるには、できることを増やしていかなくてはならない。
コン、と薪を割る音が響く。
やらなくてはならないこと、やりたいことを考えながら薪を割っていた。
ドン、と轟音が響いた。
僕は顔を上げる。異様な音だった。今までに聞いたことのない音だ。
「え……?」
土の巨人が多数村中を闊歩し、村人達を蹂躙していた。信じがたい光景だった。小さな魔物すら見たこともなかったのに、英雄譚に登場するような、伝説的な魔物が現れたのだ。
「お兄ちゃん……、お外、何が……?」
「出るな、家の中にいろ」
僕は咄嗟にナユを守らなくてはと思った。家に入り、扉を閉ざした。寝台を扉に付け、外から開けられないよう重しをした。父さんと母さんが外にいるが、ナユを守ることを優先した。
「何……? 何……?」
「大丈夫だ、大丈夫……」
僕は部屋の隅でナユを抱きながら、そう宥めた。自分の手の震えを感じながら。
——悲鳴が聞こえる。
あり得ない音も聞こえる。村中の他の家が壊れているのではないかと思った。この家も土の巨人に潰されるのではと思った。そうなったら、僕が支えになり、ナユを庇おう。そう思いながらナユを抱いて動かずじっとしていた。
「……ナユ、イクタ」
扉の外から聞き慣れた声が聞こえた。
「お父さん……!」
ナユは僕の腕から飛び出し、扉の方へ向かう。寝台を一生懸命ずらそうとする。僕も手伝った。
「もう大丈夫だぞ」
「よかった!」
父さんのその声を聞き、ナユが扉を開けた。
「え……」
どさりとナユが倒れる。鮮血が飛び散り、床にぱたぱたと落ちた。父さんの手に握られていた鉈が血に染まる。
「父さん……?」
父さんのその顔は生気がなく土気色であった。そして、全身血塗れで目は潰れ、頭が砕けており、腹に穴が開いていた。
「お……俺が、き、来た、もう、だ、だいじょう……ぶ」
父さんの声がぶれだした。偽物が正体を現したかのような感じがした。
僕は後ずさる。理解が追いつかなかった。これは、一体、どういうことなのだろうか。
「イクタ……か、えった、わよ……」
父さんの後ろから母さんも現れた。母さんも父さんのように土気色になっていた。口から血を流し、胸から骨が出ていた。両手をだらりと掲げながらにじり寄ってくる。
「あ……あ、あ……」
部屋の隅に追い込まれ、行き場を失った僕はガクリと腰を落とし、尻を付く。手を前に出し、止まれ、と無言で示すことしかできなかった。
「いい、子、ね。ナユ、を、まもっ、ってたのね」
母さんのぶれた声が残響のように頭に響いた。その手が僕の首を掴み、ギリギリと締め上げる。あり得ない力だった。
「ガッ……、ハァッ! ア……!!」
これは、夢なのではないかと思った。悪い夢だ。
意識が遠くなる。きっと、夢の中の夢なんだ。だからもうすぐ覚めて、またいつもの朝が来るはずだ。
……もう、いつもの朝は来なかった。
僕は——死んだ。
誰も救えず死んだ。そう思った。
そして、僕に問いかける声があった。
「汝は——人を救いたいか?」
救いたい。
それ以外の答えは持たなかった。




