第5話 見えないダイヤモンドの行方
セーラさんとお別れした僕は、エリスさんとルームシェアをすることになりました。
双子座へ向かうルートは100%確定したので、あとは集めた鍵やアイテムを正確に取り扱うことができれば、双子座の双児駅に銀河鉄道が停車することが可能になり、折れ耳猫のロミオに会うことができるはずなのです。
双子座の図書館には、いったい何があるのか…ロミオとはいったいどんな存在なのか…僕の旅の終着駅は、このロミオが待っている双子座なのか…
ルートの解析が済んだとはいえ、まだまだわからないことだらけ…謎だらけのこの旅で、最高のパートナーであるセーラさんと離れることになったことは、とっても不安なことではあるけれど、この美しい牡羊座という星で過ごす3週間…きっと、セーラさんは約束通りに3週間以内には戻ってきてくれる…
「今日は午後から数学のお勉強会がありますよ。マルちゃんも一緒にお勉強しませんか?」
モーニングティーを淹れて持ってきてくれたエリスさんが、お勉強会への参加をを勧めてくれました。
数学の勉強を教えてくれるのは、レッドさんの助手を務めていたノンノちゃん…いや、先生だから、ノンノさんと呼んだほうがいいのかもしれません。
「僕、数学、苦手なんだよね…だいたい、AIに計算とかは任せてしまってるから、暗算とかも必要ないですよね」
「暗算は数学ではないですよ」
「エリスさんは頭が良いから、数学も楽しいかもだけど…」
「マルちゃんが、セーラさんともっと仲良くなりたいと思ったら、数学の知識がもっとあったほうがおしゃべりネタがもっと増えると思いますよ。理系女子は数学大好きなので」
「そうなんですよね…セーラさんって、ほんとうに典型的な理系女子…アンさんは典型的な文系女子ですよね…なんで、あんなに仲がいいんでしょうか?」
「それは、アンに直接聞いてみるといいわ」
エリスさんは、紅茶を口に運びながら、僕をじっと見つめました。
そして、一口分だけ紅茶を飲みこみ、ティーカップをテーブルに置いた後で、僕の両手を握ったのです。
「あのさ…あたしがマルちゃんを【マルちゃん】て呼んでるのに、あたしが【エリスさん】と呼ばれるのは、なんか変…じゃない?」
「いえ…全然、変じゃないですよ。僕はセーラさんも【セーラさん】と呼んでるし…」
「セーラさんは、ほら…言ってはいけないのかもしれないけど…おばさんでしょ…あたしは16歳なんだから…おばさんと一緒の扱いは、なんかちょっと…」
「それを言ったら、僕は13歳だよ…僕のほうがずっとエリスさんより若いよ」
「でも、ネコ族の寿命って短いんでしょ…確か平均寿命は23歳くらいって聞いたわ」
「それを言われちゃったら…どうせ、僕はセーラさんよりも、もっとおばさんですけどね…」
「だから、あたしのことは【エリス】って呼んで欲しいの」
「え?」
僕は引きこもりの猫なので、他人とのコミュニケーションについては、まったく慣れていないのです。
ほぼ初対面と言っていい女性に向かって、呼び捨てなど…考えたこともなかったのです。
「マルちゃんが得意な恋愛シミュレーションゲームでも、仲良くなった女子を呼び捨てにするでしょ…あたしは、マルちゃんの特別になりたいの…ダメかな?」
「無理無理無理…リアル女子を呼び捨てなんて…」
「試しに呼んでみて…【エリス】って」
「…」
「ダメ?」
「うん…無理」
「しょうがないなぁ。でも、午後のお勉強会、一緒に参加しようね…数学の面白いところ、いっぱいいっぱい教えてあげる…ノンノちゃんのスパルタ教師っぷりも一見の価値あるから、お勉強会…絶対楽しいよ」
「はい…エリスさんがそこまで言うなら…参加します」
「ケンちゃんとシンちゃんも、お勉強会には参加するから…あたしが、マルちゃんを守ってあげるね」
「守るって…僕、もしかして、攻撃されちゃうんですか?」
「ケンちゃんはともかく、シンちゃんはやばいの…あたしも本気で口説かれたら、お持ち帰りされてもいいかなって思っちゃうし」
「ええ…そうなんですか?」
そこで、エリスさんは、やっと僕の手を放してくれました。
「じゃ、午後のお勉強会は参加決定ということで…午前中は暇でしょ。ダンスレッスンしてあげようか?」
「いえ、10時からコゼットさんの配信に参加したいので…」
「ほんとにインドア派なのね…マルちゃんって。もっと、運動しないと健康寿命が縮まっちゃうわよ」
「セーラさんと会えたことで、僕はもう、いつ死んでも悔いはないんですよ…あとは、余生を楽しむだけ」
「自分でそう言ってるうちは死なないから…大丈夫だよ…あのさ…【エリス】がダメなら【エリリン】ならどう?【エリリン】って呼んでもらえたら、3倍嬉しい」
「もっと、無理です」
呼び捨てが無理なのに…ニックネーム呼びとか100%あり得ません。
エリスさんは、なんで、僕をこんなにからかうのでしょうか?ルームシェアが、ちょっと不安になりました。
結局、エリスさんのダンスレッスンの誘いを断った後も、エリスさんは部屋に残って、10時のコゼットさんの配信時間になりました。
「私も、リスナーの一人として参加していいよね」
「それは、全然大丈夫なはずです。コゼットさん、特に入室制限とかしてないから…でも…この時間の配信では、あまりしゃべらない人ですよ」
「そうなの?」
「この時間はまだ昼間なので…お酒は控えてるらしいてす。お酒を飲んだ時のコゼットさんは、もう、アンさん以上に饒舌ですけどね…配信事故も多いし…」
「配信事故…って」
「あ…なんか、もう始まってる…配信開始の通知は今来たばっかりなのに…ほんとに、時間間隔が普通の人と違ってて…自由という言葉は、彼女のためにある言葉なんだと、いつも思っています」
「でも…なんか雰囲気違ってませんか?」
「ほんとだ…ゲストさんとコラボ配信してる…みたい」
「このゲストさんって…まさか…ジョオさん?」
僕は、ジョオさんという人のことは全く知らない…セーラさんは、この謎を解けるのはジョオさんしかいない…って言ってたけど…3つの石の謎は、アンさんとレッドさんたちが解き明かしてしまったし…正直、会いにいく必要があるかどうかもわからないんですよね…あ、ほら、ラスカルさんは超有名人ですけど、ジョオさんは、ラスカルさんほど有名じゃないですよね…僕は知らなかったし」
「でも、星座の順番でいうと、双子座の前に牡牛座よね…」
「もう…今はロミオとかって名前の猫に会って、双児駅をこじ開けて、すっきりしたいんですよ」
「まぁ、そうか…とりあえず、入室するね」
エリスさんは、自分のスマホで、コゼットさんの配信部屋に入室しました。ハンドル名は【エリリン】でした。
そういうことかぁ…と、さっきのエリスさんが言ってた【エリリン】の謎が解けました。
そして、ちょっとだけ遅れて、僕も入室します。
『今日は、珍しい方が来てます…牡牛座…つまりトーラス星人のジョオさんです』
え?まさかのリアコラ?
コゼットさんのこの時間の配信は、基本的に作業枠なので、コゼットさんが動画制作をしているのを、ただただひたすら見続けるという内容なのですが、
なぜかなぜか、二人が並んで定点カメラを使って、リスナーに向かって話しかけてくる内容だったのです。
『わたくしのところに、昨日、取材がしたという言って訪ねて来られました』
『リスナーの皆さん、初めまして~銀河宇宙を股にかける神出鬼没の名探偵…トーラス星人のジョオです。よろしくお願いします』
『は~い、訂正します…名探偵じゃなくて…戦場ジャーナリストのジョオさんです』
『いえいえ、まだ、私も命が惜しいので戦場は駆け巡っていません…探偵ジャーナリストのジョオです』
『ま、ジョオさんの肩書はどうでも良いのですが、どうやら、わたくしの前世の記憶について聞きたいことがあるとおっしゃるので…』
『いや、肩書は大事です…ジャーナリストのジョオを、皆さん、お忘れなく…銀河ジャーナル編集長のジョオです。銀河ジャーナルのジョオです。大事なことなので2回言いました。誤植ではありません。
よろしくお願いします。
今日は、ある信頼する方から、コゼットさんが前世の記憶を忘れずに憶えているという情報をゲットしましたので、その前世の記憶とやらを詳らかにしなければいけないだろうという使命感を抱いて、取材の申し込みをしたところ、コゼットさんから、おまえは信用できない…絶対にあることないこと嘘を書くつもりなんだと言いやがりました…もとい、おっしゃられました。
そして。取材を受けるのは問題はないけど、嘘を書かれるのは絶対にいやだというので、この配信を聴いてるリスナーさんにも聞いてもらって、私が書く記事に嘘がないことを証明してほしい…
そういう、屁理屈をこねやがり…もとい、屁のような理屈を申されましたので、今からライブ配信でインタビューをしようという結論となったのです」
「なんか、ジョオさん…僕…あんまり好きになれないかも…」
前世の記憶…セーラさんが言っていたあれだ。セーラさんは、セーラ・クルーとして物語の中で活躍していた時の記憶を持ってると言っていたのです。
そして、コゼットさんとセディさんもそうだとセーラさんは言ってました。
そんな秘密を、こんな形で明らかにしてしまっていいのでしょうか?
『前世の記憶と言ってもたいしたことではないんですよ…デジャヴと言ったらいいのかしら…【レ・ミゼラブル】という古典文学を初めて読んだ時、あ…これは、わたくしが体験したことが書いてある…そう感じたのです』
『【レ・ミゼラブル】は、あの超有名な長編小説ですよね…コゼットさん、あなたは、あの作品に登場するコゼットさんの生まれ変わりということですか?』
『いえ、それはちょっと違うと思います…もしかしたら、幼少期に父が読み聞かせてくれたことを記憶として持ってて…
自分が初めて自分の意思でストーリーに触れた時、
ああ…この時、この後、こういうことを体験するはずだ…コゼット視点のすべてのエピソードだけが、全部、わたくし自身の記憶と重なりあったのです』
『全部…ですか?』
『全部です!』
『あの作品は、古典映像コンテンツも含めて、映像化されていますよね。作品ごとに解釈も異なっていますし、ヒロイン・コゼットを演じる女優さんの言葉遣いもみな違っているではないですか?それでも、全部だと言い切れますか?』
『すべての映像作品を見たわけではないですが、確認のために視聴した映像作品は、常にわたくしの心とシンクロしました。言葉遣いや作品解釈が異なることは誤差の範囲だと感じています…』
『あなたは、動画職人として、たくさんの映像作品を世に供給されていますよね』
『はい、おかげさまで、仕事を任せてくださる友人知人が多くいらっしゃいますので』
その後は、【レ・ミゼラブル】という作品の、どのシーンが好きですか?とか、、
あのシーンでは、ほんとうはどういった気持だったのか?とか、
あの時の行動はこうあるべきではなかったのか?とか
一つの古典文学に関する答え合わせ的な質問と回答が繰り返されました。
あまりの2人の熱量に、僕とエリスさんは、紅茶を飲むのも忘れて聞き入っていたのでした。
そして、コゼットさんへのインタビューの最後に、ジョオさんが訊いたのです。
『もしも、私の前世が、【あしたのジョー】の矢吹丈だと私が言ったら、あなたは、私の言葉を信じてくれますか?』
『信じますよ…わたくしと同じような方がいることを私は知っています。あなたが、同じように古典作品の記憶を継承した物語の中の人物の生まれ変わりである可能性を、わたくしは否定することはできません』
『でも、名前が同じだけで、あなたのような鮮明な記憶はないのです…残念ながら』
『そうですか…わたくしが知ってる人は、お二人とも性別は一致していました。わたくしもコゼットとは同じ性別…女です』
『そうですよね…やっぱり、私の前世は、物語の主人公じゃないのかあ』
『コゼットは主人公ではないですよ。ただの脇役です』
『あれほどインパクトのある脇役キャラも珍しいですよね。コゼットさん、インタビューを受けていただきありがとうございました。
記事にすることはおそらくありませんが、有意義な情報をありがとうございました』
『では、インタビューはこれで終わりですか?』
『そうですね』
インタビューは、そこで終わりになったようで、コゼットさんは、正面を向き直りました。
『聞いてくれてるみんな~今日は、予定外のインタビューで動画作業の配信できなかったけど、またやりますからね~来てくださいね~
明日は、いつもの飲み雑やりますからね~未成年のリスナーさんは、ノンアルコール持参で参加してくださいね~』
配信画面には、ロングインタビューを労うコメントやギフトアイテムがたくさん現れて、画面を覆いました。
僕も【お疲れさま】のギフトアイテムを投じます。
その時でした。
『マルコくん~いつも来てくれてありがとう』
と、コゼットさんが、僕に言葉をかけてくれたのです。
『こっちのトーラス星人のジョオさん、見てくれたとおり、めっちゃ怖ーいお姉さんだけど…優しさの欠片も一つも持ってないお姉さんだけど…
よかったら、会ってあげてね。あなたの前世の記憶も蘇るかもしれないからね』
コゼットさんの作る複雑な表情は、なにかを知っていて隠している…そんなとてもとても複雑な笑顔でした。
『では、今日はここまでです~配信切るね~またね~よろしく~』
そして、この日のコゼットさんの配信は終わったのでした。
そして、エリスに【おばさん】と呼ばれてしまったセーラは、銀河鉄道に乗って、水瓶座星の宝瓶駅に戻ってきました。
「昨日はマルちゃんと、配信の時に話してみたけど、牡羊座での生活…ずいぶん楽しいみたいで、ちょっと嫉妬しちゃった。数学のノンノ先生の話しばっかりするんだもん…」
「ノンノちゃんが先生ですか?」
レッドが牡羊座で助手として働いてくれていたノンノのことを思い出して聞きました。
「そうみたい…理系女子を堕とす方法をレクチャーされてるらしいわ…私はリケジョじゃないっていうのに…」
「ノンノちゃんは、数学教師としては超優秀ですよ」
「レッドの助手が務まる人なんか滅多に見つからないからね」
「牡羊座を出発してから7日ですからね…今日はすぐに【遺跡エリア88】に行きますか?」
すっかり慣れ親しんだ、ブローチの形をしている紅瑪瑙のカーネルがセーラに尋ねました。
「そうね…さっさとお宝とやらをゲットして、一日も早く牡羊座に戻りましょう…ノンノちゃんにマルちゃんを取られるわけにいかないから」
「やっと着いたのね。セーラ。状況はどう?すぐに【エリア88】とかいう場所には入れそう?」
カーネルを通じて、アンの声が届きます。
アンから託されたブローチのカーネル…それは一つの通信デバイスとして、アンの言葉…思念を言葉に変換して正確にセーラに伝える役割を果たしています。
「私もいるからね…もう一人じゃないんだよ…セーラ」
ラピスを通じて、ラスカルの声も届きます。
瑠璃の石…ラピスは、牡羊座のアンティークショップ『カフェ1888』のドーラさんがブレスレットにしてくれました。
そのセーラの左腕に巻かれたラピスは、魚座の歌姫…ラスカルの思念を言葉に変換してくれます。
「初めに、このラピスを通してラスカルの声が聞こえた時は、スマホか何かに話しかけていると思っていたけど…違ったのね」
「そうだね…私も、たぶん…アンも頭で伝えたいって願っているだけ…
それで、伝えたいって気持ちを、そのラピスが拾いあげて…
なぜか、私の声を真似して、セーラに伝えてくれてるみたいなの…マイクなしで通信できるのは戸惑いだらけだけど…
慣れれば、スマホ会話より、ちょっとだけ便利ね。ね、アン…」
「私は、スイッチのオンオフで、ちゃんと伝える意思を切り替えられるほうが便利だと思うわ…思考が駄々洩れになってしまいそうだもの」
「アン殿は、常に様々な妄想をしておられます…その中で、セーラ様への思考だけを言葉に変換するのは、我にとっては楽しいことでございまする」
「そうなのよ…全部の思考をラピスに録音されてるようなもので…もう、今は慣れたけどね」
「二人とも、そばにいてくれてるって実感あるから…ありがとうね」
セーラは今の正直な気持ちを、二つの宝石を通じてアンとラスカルに伝えました。
これから、【遺跡エリア88】に足を踏み入れる…
そのことは、セーラが幼少期の時、誰かに呼ばれた気がして踏み込んだ遺跡で遭遇した、雪崩や津波のように襲い掛かってきた数えきれないほどの恐怖の叫び声…
あの時の声の主たちと再会する…ということを意味している…とセーラは考えていたのです。
「セーラ様…今は、私たちもいます。既に、ホワイトが透明なダイヤモンドの存在する場所も下見してありますから心配いりませんよ」
レッドの言葉に、AIアシストチームのブルー、イエロー、ホワイトも力強く頷きます。
【遺跡エリア88】に到達したセーラは、胸に光るブローチ・カーネルを左手でギューッと握りこみました。そして、その左手のブレスレット・ラピスにそっと右手で触れます。
「行きます…」
セーラが足を踏み入れた瞬間から、生身の人間の鼓膜だけに伝わる、叫び声が聞こえ始めました。
セーラは愛用しているヘッドホンの密着率・密接率を100%にまで上げて、雑音をカットしているのですが、この声は鼓膜を震わせるタイプの音ではありませんでした。
当然、AI搭載型のデジタルデバイスであるレッドたちには、この異様な声は聞こえてきません。
「どんな声ですか?」
歩みを止めて立ち尽くしているセーラに、レッドが問いかけます。
「無理…これ以上は進めない…」
セーラは、その場にへたり込んでしまいました。
「物理的な要因による音声データではないですし、肉声でもないですね…考えられるのは、直接脳の神経に干渉してくる波…それは、音波でも、電波でも、超音波でもない波だと思います」
「波…であれば、その波形をなんとか解析することはできないの?」
アンが、レッドに聞いてみました。
「さっきから解析をやっているのですが、データベースに記録されているどのデータとも照合しないのです」
「脳波をぶつけてきているようですね」
ブルーが、ぼそっとつぶやきました。ブルーは、普段、不確定な物言いをすることはしません。
常にたくさんの選択肢から、ベストケースを選択することができるブルーにとって、(~のようだ)(~かもしれない)という表現を使うことはほとんどないのです。
「解析をかいくぐる脳波の渦か…残留思念か…過去に、この地でいったいどれほどのことが起きたのか…1888年以前の記録がこんなにも少ないとは…元々存在しないのか…消去されたのか…」
レッドは、原因と推定される事象から解決策を図ろうと、データベースの隅々まで検索・調査を継続します。
「セーラ様の脳への干渉をカット・遮断・シールド防御することが不可能なのですね…
もしかしたら、ダミーの信号をセーラ様の脳に届けることで、痛みを打ち消せるのではないでしょうか?」
ホワイトがいち早く検索を完了した表情となり、そう叫びました。
「なるほど…ASPSで、セーラ様の脳の五感に、この痛みを打ち消す感覚を届ければ…可能ですね」
「ASPSを麻酔に使うのね」
「全員ASPSにログインします。ラスカルさんがいて良かったです。ラスカルさんのアカウントでASPS配信を開始してください」
レッドが、全員に指示をします。
「ライブ会場のような小さなハコではないけど…セーラが作ったASPSなんだから、絶対にセーラの望みを叶えてくれるはず」
「うん、閉じられたライブ会場のような場所ではないけど、魔術結界をイメージした支配領域を確保することができれば、それをASPSの影響範囲として限定させることができるはず。
閉じた空間でなくても移動可能な結界を張り巡らせることができれば…」
「もうやってる…原因が特定できて回答がわかれば、対策は秒でできるさ…任せろ…」
ブルーが言った瞬間に…セーラの脳を【幸せ感覚】で覆う施術が成功したのです。
痛み、つらさ、からさ、にがさ、苦しさ、怖さなどの本来マイナス要素となる感覚であっても、それが快感を想起できるものと認識されれば、痛み感覚を上回る快感…
いわゆる【大きな幸せ感覚】を産み出すことで、感覚の上書きができたのです。
「ブルー…ほんと、あなたって最高」
「私だけの力ではないです」
「そうね…みんなが、セーラの幸せを願ったからだよね」
「このまま、結界を維持して、透明なダイヤモンドに会いに行くわよ」
「案内します。こっちです」
そして、プラチナのチェーンが付いた透明なダイヤモンドは、驚くほどあっさりと、その透明に美しく光り輝く一つの触れることができる物質として、セーラの右手に収まったのです。
「迎えに来ましたよ…」
右手のネックレスにセーラは、そっと話しかけてみました。
「待っていました…ずっと呼んでいました…あなたが、とても小さい少女の時から」
幼い少女のような儚げな声が応えました。
「ずっと助けに来てあげられなくて、ほんと、ごめんね」
「セーラ様にお見せしたいものがあります…」
「…」
「これです…」
透明なダイヤモンドからレイザー光線のような光が照射されて、虚空に一つの物質が3Dプリンターから出力されるように形作られていきました。
フランス人形の意匠を持ったその物質の腹部に巻かれたリボンには、セーラのキーワードであるとわかるスクリプトが刺繍されていました。
【Everything's a story】
「ずいぶんとアンティークなドールね…セーラは見覚えあるの?私の楽譜と同じくらい価値があるもの?」
ラスカルがセーラに尋ねましたが、セーラは言葉を失い、呆然と虚空に浮かぶフランス人形を凝視してラスカルの問いに答えないまま数秒が過ぎました。
第3章 第5話:見えないダイヤモンドの行方(後半)
「……エミリー……?」
セーラの唇から、絞り出すような小さな呟きがこぼれ落ちました。
虚空に浮かび上がる、可憐なフランス人形。
【Everything's a story(すべては物語)】という言葉が刺繍されたリボンを纏ったその人形は、かつてセーラ・クルーが孤独な学院の屋根裏部屋で、唯一の心と魂の拠り所として抱きしめ続けていた大切な人形——「エミリー」そのものでした。
「セーラ……? その人形、知っているの?」
ブローチ・カーネルを通じて、アンの驚きと気遣いの混ざった声が響きます。
「ええ……知っているわ。私の……私にとっての、すべてだった人形よ。でも、どうしてこれが水瓶座の廃墟に……?」
『——お答えいたします、セーラ様』
セーラの右手の中で、透明なダイヤモンド(ダイヤ)が、澄んだ少女のような声で静かに語り始めました。
『この人形は、西暦1888年に魚座の大陸が海底へ沈んだ際、ある一人の少女が最後に手放さざるを得なかった「記憶の概念結晶」です。この地に流れてきた1億人の人々の悲しみや未練……その中で最も強く純粋だった「愛された物語への想い」が、この透明なダイヤモンドの核となり、今日までセーラ様が迎えに来てくださるのを待っていたのです』
ダイヤの言葉に、AIアシスタントのレッドとブルーが素早くデータを照合します。
「なるほど……! 1888年の大量移住の際、人々の集団無意識がこの地に『記憶の特異点』を作り出していたのですね。セーラ様が幼少期に感じた恐怖の声も、彼らが残した強い未練の波動だったというわけです」
「そして……セーラ様がセーラ・クルーとしての『前世の記憶』と共鳴したことで、この人形が現代に実体化した……不確定要素が見事に繋がりました」
セーラは静かに手を伸ばし、虚空から実体化したエミリー人形をそっと胸に抱きしめました。
その瞬間、今までセーラの脳を苛んでいた「過去の叫び声」は嘘のように消え去り、温かく優しい光が【エリア88】全体を包み込んでいったのです。
「ありがとう……みんな。ラスカル、アン、そしてレッドたち……あなたたちがいてくれなかったら、私はまた過去の恐怖に押し潰されるところだったわ」
「ふふ、お礼なら今度美味しいお茶でもごちそうしてちょうでね、セーラ!」
ブレスレットのラピスから、ラスカルの弾んだ声が返ってきます。
「それにしても【Everything's a story】……なんて素敵な言葉かしら!」
アンの声は、すでに新しい想像の翼を広げて大興奮していました。
「『すべてのものは物語である』! 過去の傷も、沈んだ大陸も、私たちがこれから向かう未来も……全部が紡がれるべき一つの大きなストーリーなのね! これで瑠璃、紅瑪瑙、そして透明なダイヤモンド……3つのすべての鍵が揃ったわ!」
「ええ……!」
セーラは胸のエミリー人形と、ダイヤのネックレスをしっかりと握りしめ、力強く頷きました。
「これで、双子座への道は完全に開かれたわ。……待っていてね、マルちゃん。すぐに牡羊座へ戻るから!」
その頃——牡羊座の農場の部屋では。
「……ハックション!」
僕は思わず大きなくしゃみをして、鼻を擦りました。
「風邪? マルちゃん。それとも、誰かが噂でもしてるのかな?」
隣でコゼットさんの配信画面を閉じながら、エリス……ううん、エリリン(まだ心の中だけだけど!)がクスクスと笑っています。
「ううん、大丈夫。……なんだか、セーラさんが僕を呼んでいるような気がしただけ」
「セーラさんかぁ……。やっぱりマルちゃんは、セーラさんのことが一番大好きなのね」
エリスは少しだけ寂しそうな、けれど温かい笑顔を浮かべて、僕の頭を優しく撫でてくれました。
「いいよ。午後のお勉強会が終わったら、今度は僕にセーラさんとの出会いの物語を聞かせてね。……あ、それと! 先生のノンノちゃんは本当にスパルタだから、覚悟しておいてね?」
「えぇ……僕、数学本当にダメなのに……」
困り顔の僕と、楽しそうに笑うエリス。
水瓶座で過去のトラウマを乗り越え、真の鍵を手に入れたセーラさんたちと、牡羊座で静かに次の旅立ちの時を待つ僕たち。
6人の仲間と4人のAIアシスタントたちの運命の糸は、今や固く結ばれ、解読率100%の路線図が指し示す「双子座・双児駅」という未知の舞台へと、着実に手繰り寄せられていくのでした。




