第65話『教える側と教わる側』
夜の稽古室は、昼間よりずっと静かだった。
それなのに、空気はむしろ昼より騒がしい。
理由は単純だった。
人が増えたからだ。
真優はピアノの前に座りながらため息をつく。
「……人数、多いね」
美優はドラムスティックをくるくる回す。
「想定内」
結衣はその横で固まっている。
「想定内で済ませないでくださいよこれ」
凛が真面目な顔で言う。
「でも、ちゃんと意味はあると思う」
結衣は振り返る。
「どの意味ですか?」
麗華が笑いながら椅子に座る。
「才能の回収作業?」
「怖い言い方やめてください」
部屋の奥では、新しく来た弟子の二人が緊張していた。
白石凛は腕を組みながら周囲を見ている。
「……本物だらけだな」
もう一人の少女——後輩の方は小さく呟く。
「空気が違う……」
瑠美愛がニコニコしながら近づく。
「ね、やばいでしょ?ここ」
玲緒菜もテンション高い。
「ここ入れるのラッキーだよ!」
白石凛は即答する。
「ラッキーじゃなくて実力だと思ってる」
結衣はそのやりとりを聞いて小声で言う。
「すでにキャラ濃いですねこの子たち……」
真優が即答。
「濃くないと残れない」
美優も一言。
「ここはそういう場所」
真優が手を叩く。
「じゃあ始めるよ」
結衣は反射的に背筋を伸ばす。
「何をですか?」
真優は笑う。
「弟子練」
美優がスティックを机に軽く叩く。
「基礎」
白石凛が一歩前に出る。
「具体的にお願いします」
真優はピアノの鍵盤に指を置く。
「じゃあまず——“音を外さない”」
結衣はずっこけそうになる。
「それ基礎すぎません?」
麗華が笑う。
「でも一番難しいやつ」
真優が軽く一音鳴らす。
ポーン。
「これ、何の音に聞こえる?」
後輩の少女が即答する。
「C?」
真優は首を振る。
「違う。“不安”」
結衣は目を瞬かせる。
「感覚の話ですか?」
美優が続ける。
「正解」
白石凛が眉をひそめる。
「でも音に感情って……」
真優が即答。
「あるよ」
一瞬、空気が止まる。
結衣は小声で凛に言う。
「これ、授業というより哲学ですね」
凛は小さく頷く。
「でも多分、正しい」
美優がドラムスティックを鳴らす。
カン。
「じゃあ次」
結衣は嫌な予感。
「まだあるんですか……?」
美優は一言。
「リズムは嘘をつかない」
玲緒菜が手を上げる。
「え、それ名言?」
瑠美愛が笑う。
「たぶん毎回名言出るタイプだね」
白石凛がドラムセットの前に座る。
「やってみます」
美優がうなずく。
「叩いて」
ドン。
一発目。
すぐに真優が止める。
「違う」
白石凛は即座に聞き返す。
「何が違うんですか?」
真優は少し考えてから言う。
「“急いでる”」
結衣は小声で呟く。
「めっちゃ厳しい……」
美優は補足する。
「音が前に逃げてる」
白石凛は少し黙る。
「……なるほど」
そしてもう一度叩く。
ドン……今度は少し遅い。
真優が小さく笑う。
「今の方がいい」
白石凛も少しだけ笑う。
「やっと分かりました」
後ろで後輩の少女が呟く。
「すごい……成長早い」
玲緒菜がニコニコする。
「凛ちゃん、こういうの飲み込み早いんだよね」
瑠美愛が続く。
「負けず嫌いってやつ?」
結衣はそれを聞いて小さく言う。
「うち、そういう人多くないですか」
麗華が即答。
「多い方が面白いじゃん」
夜が深くなるにつれ、稽古室の音は変わっていく。
最初はバラバラだった音が、少しずつ揃っていく。
結衣はその中心で立ち尽くしながら思う。
(これ、学校でも仕事でもないよね……)
真優がふと振り返る。
「結衣」
「はい?」
真優は軽く言う。
「今の音、どう思う?」
結衣は少し考えてから答える。
「……まとまりそうで、まだバラバラです」
美優が一言。
「正解」
凛も頷く。
「でも、前よりいい」
麗華が笑う。
「成長してるってことだね」
真優はピアノを閉じる。
「今日はここまで」
結衣はほっとする。
「助かります……」
美優は立ち上がる。
「でも明日もやる」
結衣は固まる。
「え?」
真優は笑う。
「当たり前でしょ」
白石凛は静かに言う。
「まだ足りない」
後輩の少女も頷く。
「もっとやりたいです」
結衣は天井を見上げる。
「……この空間、止まらないんですか?」
誰も答えない。
でも、誰も止める気もなかった。
音だけが、まだ続いていた。
そしてその音は、確実に次のステージへ向かっていた。
第66話へ続く。




