第50話『初共演の壁』
映画顔合わせから数日後。
本格的なリハーサルが始まった。
撮影スタジオ。 照明テスト。 カメラの位置確認。 スタッフが慌ただしく動く。
結衣は椅子に座りながら、台本を握りしめていた。
「……やばい」
小さく呟く。
真優が横で覗き込む。
「また?」
「セリフ全部飛びそうです」
「まだ一回も言ってないよ」
「だからです!」
真優はため息をつきつつも、どこか楽しそうだった。
その時。
スタジオの反対側。
白石凛が一人で台本を読んでいた。
周囲の音があっても集中が途切れない。
指先でページをめくる動きすら無駄がない。
結衣は思わず見てしまう。
(すごい……)
同じ年齢とは思えなかった。
そこへ監督の声。
「じゃあ、まず本読み行こうか」
空気が一気に引き締まる。
最初のシーンは、結衣と凛が正面からぶつかる場面だった。
緊張が走る。
「天野さん、白石さん、前へ」
二人が同時に立つ。
視線が交わる。
凛は小さく言う。
「大丈夫?」
結衣は一瞬固まり——
「だ、大丈夫です!」
声が裏返る。
少し笑いが起きる。
でも凛は笑わない。
優しくも、真剣な目。
「じゃあ、いこう」
本読みが始まる。
結衣は最初からつまずいた。
セリフが出てこない。
呼吸が乱れる。
「すみません……もう一回お願いします」
監督は止めることなく頷く。
凛は何も言わず、待つ。
二回目。
三回目。
少しずつ形にはなるが、まだぎこちない。
休憩時間。
結衣は廊下で座り込む。
「無理かも……」
その横に凛が来る。
「無理って何が?」
「全部です」
即答。
凛は少しだけ考えてから言う。
「じゃあ一つずつやればいい」
「え?」
「セリフ、感情、呼吸。全部一気にやろうとするから崩れる」
結衣は顔を上げる。
凛は続ける。
「私はそうやって覚えた」
短くて、重い言葉だった。
結衣は少し黙ってから言う。
「……凛さんって、怖いくらいすごいですね」
凛は一瞬だけ驚いて、それから小さく笑った。
「それ、褒めてる?」
「はい」
「じゃあ受け取っとく」
そのやり取りのあと。
不思議と結衣の中の焦りが少し消えた。
夜。
スタジオは静かになる。
結衣だけが残っていた。
セリフを繰り返す。
何度も。
何度も。
そこへドアが開く。
凛だった。
「まだやってるの?」
「ちょっとだけ……」
凛は隣に座る。
「一緒にやる?」
結衣は驚く。
「いいんですか?」
「ライバルだからって、教えない理由にはならない」
その言葉に、結衣は少し笑った。
「じゃあ、お願いします」
二人の声がスタジオに響く。
ぎこちない結衣のセリフ。
それを静かに修正する凛。
まるで戦いながら、少しずつ近づいていくように。
その夜。
結衣は初めて思った。
(この人となら、上に行ける)
そして凛もまた、同じことを感じていた。
まだ言葉にはしないまま。
第51話へ続く。




