第3話『世界の前のステージ』
翌朝。
武田真優は、早すぎる目覚めに天井を見つめていた。
時差のせいで頭がぼんやりしている。
それでも、今日が「本番の日の一部」だという実感だけははっきりしていた。
「……起きなきゃ」
ゆっくりと体を起こす。
窓の外は、まだ薄い朝の色だった。
会場へ向かう車の中。
エミリーが資料を確認しながら言う。
「今日はメディア向けの挨拶と、フォトセッションです」
「フォトセッション……」
武田真優は小さく繰り返す。
意味は分かる。
でも、その“規模”まではまだ想像できていない。
エミリーは続ける。
「カメラはかなり多いです。フラッシュにも慣れてください」
「……かなり?」
その一言で、真優の喉が少し乾いた。
会場に到着すると、空気が一気に変わった。
入口前には、すでに多くのスタッフ。
機材を運ぶクルー。
壁一面に広がる巨大ポスター。
『STARLIGHT CHRONICLE WORLD PREMIERE』
その文字を見た瞬間、現実の重さが一段階増す。
「……ほんとに、ここで」
小さくつぶやくと、エミリーが頷いた。
「ここからが本番です」
控室。
衣装に着替えた武田真優は、鏡の前に立った。
そこにいるのは、いつもと違う自分だった。
メイクも衣装もすべてが「見られるための自分」になっている。
「なんか……別人みたいです」
そう言うと、スタッフが軽く笑う。
「別人じゃなくて、“見られるあなた”ですよ」
その言葉が胸に残る。
「準備できました」
スタッフの声。
心臓が一気に早くなる。
武田真優は息を吸った。
「……行こう」
会場に出た瞬間。
世界が一気に開いた。
フラッシュ。
シャッター音。
一斉に向けられる無数のカメラ。
そして、その奥にある視線。
武田真優は一瞬、足を止めかける。
(多い……)
息が浅くなる。
その時。
隣のエミリーが静かに言った。
「前を見て」
それだけで視界が戻る。
真優はゆっくり顔を上げた。
司会の声が響く。
英語で名前が呼ばれる。
「MAYU TAKADA」
歓声が上がる。
武田真優は一歩前に出る。
マイクの前。
手が少し震える。
それでも逃げない。
質問が飛ぶ。英語。速い。
完全には理解できない。
エミリーがそっと補足する。
「役について聞いています」
真優は一度息を整えた。
そしてマイクを握る。
「I… I am very happy to be here」
拙い英語。
それでも、声は届いた。
続ける。
「この作品は、私にとってとても大切な作品です」
途中で言葉が詰まりながらも、必死につなぐ。
その瞬間だった。
客席から拍手が起きた。
武田真優は目を見開く。
(……今ので?)
完璧じゃない。
それでも届いている。
その事実が胸に落ちた。
フォトセッションが終わる頃。
真優はようやく息を吐いた。
肩が重い。
でも嫌な重さではない。
エミリーが言う。
「よくできました」
「……全然完璧じゃなかったです」
エミリーは首を振る。
「完璧じゃないから、印象に残ります」
控室へ戻る廊下。
武田真優は足を止めた。
さっきの拍手がまだ耳に残っている。
(届いたんだ……)
その感覚がじわじわ広がる。
怖さはまだある。
でもその中に、確かに違う感情が混ざっていた。
「……もっと、やれるかも」
小さくつぶやく。
その声は、昨日より少しだけ前を向いていた。
そして彼女は、次のステージへ歩き出す。
第3話 完




