第2話『言葉の壁と最初の現実』
空港の到着ロビーは、想像以上に騒がしかった。
飛び交う言葉はほとんど聞き取れない。
看板の文字も、知っている形なのに意味がすぐに結びつかない。
真優はスーツケースの取っ手を強く握った。
「……ほんとに外国だ」
当たり前のことなのに、何度も心の中で繰り返してしまう。
出口付近には、すでにスタッフが待っていた。
その中に、見覚えのある姿がある。
エミリーだった。
「Welcome, Maya」
自然な笑顔。
まるで日本で会った時と変わらない落ち着き。
真優は少し安心して、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます……えっと、英語……」
言いかけて止まる。
出てこない。
エミリーはすぐに気づいて、ゆっくり言い直した。
「大丈夫。ゆっくりでいいですよ」
その一言で、肩の力が少し抜けた。
車でホテルへ向かう途中。
窓の外には、日本とは違うリズムの街が流れていく。
高いビル。
大きな広告。
見知らぬブランド名。
真優はずっと窓を見ていた。
隣に座るエミリーが言う。
「明日はプレス対応と、軽いリハーサルです」
「……プレス?」
真優が聞き返すと、エミリーは少しだけ笑った。
「記者会見です。たくさん質問されます」
「……たくさん?」
その言葉だけで胃が少し痛くなる。
ホテルに到着すると、さらに現実が押し寄せた。
ロビーは広く、照明はやけに明るい。
そして、すでに何人かのスタッフが真優を見ている。
その視線に、少しだけ緊張が戻る。
部屋に案内されると、静かになった。
ドアが閉まる音。
「……ふぅ」
真優はベッドに座り込んだ。
柔らかい。
でも安心はできない。
時計を見ると、日本とはかなり時間が違う。
「今、向こうは夜かな……」
スマホを開くと、三人からメッセージが来ていた。
『着いた?』 『ちゃんと寝ろよ』 『倒れるな』
短い言葉なのに、少し笑ってしまう。
「優しいなぁ……」
その夜。
時差のせいで眠気が来たり消えたりする中、真優は何度も天井を見ていた。
明日。
プレス。
リハーサル。
そして世界の人たち。
全部が未知だった。
「私、ちゃんとやれるのかな……」
小さくつぶやいたその時。
ノックの音。
「はい……?」
ドアを開けると、エミリーが立っていた。
手には資料とイヤホン。
「少しだけ、話してもいいですか?」
真優は頷いた。
部屋に入ると、エミリーは淡々と資料を広げた。
「明日の質問、難しいものもあります。でも、完璧に答える必要はありません」
「……でも、主演ですし」
真優が言うと、エミリーは首を振る。
「主演だからこそです。完璧より“伝わること”が大事」
その言葉は、不思議と落ち着いた。
エミリーは続ける。
「あなたの役は、海外でも注目されています。でも理由は演技力だけじゃない」
真優は少し身を乗り出す。
「……じゃあ、何ですか?」
エミリーは少しだけ間を置いた。
「“まだ完成していない主人公”だからです」
真優は言葉を失った。
未完成。
それは褒め言葉なのか、そうじゃないのか分からなかった。
エミリーは静かに続ける。
「成長する姿を見たい人が、世界にはたくさんいます」
部屋を出た後。
真優はしばらく動けなかった。
未完成の主人公。
その言葉が頭の中で何度も響く。
でも、不思議と嫌ではなかった。
ベッドに戻り、天井を見上げる。
「……成長する姿、か」
少しだけ、笑う。
「なら、やるしかないよね」
その声は、さっきより少しだけ強かった。
窓の外では、知らない街の夜が静かに続いていた。
そして、翌日へとつながっていく。
第2話 完




