第94話 『憧れの人』
最終選考当日。
真優は早めに会場へ到着していた。
緊張で昨夜はあまり眠れなかった。
何度も台本を読み返した。
何度も練習した。
できることは全部やった。
だからこそ。
今は信じるしかない。
「……頑張ろう」
小さく呟く。
そして控室へ向かった。
―――
控室。
中へ入った瞬間。
真優は足を止めた。
そこには二人の候補者がいた。
一人は若手実力派として有名な女性声優。
そして――。
もう一人の顔を見た瞬間。
真優の思考が止まる。
「え……」
雑誌。
テレビ。
アニメ。
何度も見てきた人。
新人時代から憧れていた存在。
トップクラスの人気声優。
白石紗月。
業界でも知らない人はいないほどの有名人だった。
真優は固まる。
完全に固まる。
その様子に白石が気付いた。
「あれ?」
優しく笑う。
「もしかして真優ちゃん?」
「は、はい!」
思わず声が裏返る。
白石は楽しそうに笑った。
「新人賞、おめでとう」
真優の脳が処理を放棄した。
憧れの人が。
自分の名前を知っている。
しかも話しかけてくれている。
現実感がない。
―――
白石は椅子に座りながら言う。
「授賞式見てたよ」
「素敵なスピーチだった」
真優は顔が熱くなる。
「ありがとうございます……」
緊張しすぎてまともに話せない。
そんな真優を見て。
白石は少し笑った。
「そんなに緊張しなくて大丈夫」
「今日はライバルだけどね」
その言葉に。
真優は少しだけ背筋を伸ばした。
そうだ。
ここはファンとして来たわけじゃない。
同じ役を目指す候補者として来ている。
負けたくない。
その気持ちが生まれた。
―――
やがて選考開始。
一人ずつ呼ばれていく。
最初は若手実力派の候補者。
部屋の向こうから聞こえる演技。
圧倒的だった。
感情表現。
声量。
技術。
どれも一流。
真優は息を呑む。
続いて白石。
演技が始まった瞬間。
空気が変わった。
まるで本当に主人公がそこにいる。
喜びも。
怒りも。
悲しみも。
全部が自然だった。
真優は震えた。
「凄い……」
改めて実力差を感じる。
だが。
逃げる理由にはならない。
―――
そして。
「真優さん」
呼ばれる。
ついに自分の番。
真優は立ち上がる。
深呼吸。
大丈夫。
今までやってきた。
新人賞だって取った。
仲間もいる。
応援してくれる人もいる。
だから。
前を向く。
扉を開く。
審査室へ入る。
監督たちが待っていた。
「よろしくお願いします」
真優は頭を下げる。
監督が頷く。
「君の演技を見せてくれ」
真優は台本を開いた。
震えていた手が止まる。
不思議だった。
今は怖くない。
勝ちたい。
ただそれだけだった。
主人公の人生を。
自分の声で生きる。
そのために――。
真優は最初のセリフを口にした。
そして。
その瞬間。
監督たちの表情が少し変わったことに。
真優自身はまだ気付いていなかった――。
第94話 完




