第90話「椿」
金曜日の朝。
教室の空気は、もう“静か”ではなかった。
張りつめているわけでもない。
ただ――誰も無意識に息を深くできない感じ。
将規は席に座ったまま、窓の外を見ていた。
そこに、見慣れないものがあった。
校庭の隅。
植え込みの中に、小さな赤い花。
椿。
まだ冬でもないのに、なぜか一輪だけ咲いていた。
真優 「何見てるの?」
後ろから声。
将規 「あれ」
真優 「ああ、椿か」
美優も少し遅れて近づく。
美優 「……きれいだね」
真優 「でもさ」
真優は少しだけ目を細める。
真優 「椿って、落ちるときは花ごと落ちるんだよね」
将規 「……そうなのか?」
美優 「うん。散るんじゃなくて、落ちる」
その言葉だけが、妙に重い。
将規は何も言えなかった。
昼休み。
玲美愛 「ねえ」
将規 「来るな」
玲美愛 「いや今日さすがに無理」
玲美愛 「空気がもう“終点”」
将規 「やめろその言い方」
玲美愛は椿の話を知らないまま、少しだけ笑う。
玲美愛 「まあでもさ」
玲美愛 「どっち選んでも、ちゃんと咲いてたってことは残るよ」
将規 「……」
放課後。
誰も呼び出さないはずの時間。
なのに、三人は自然と屋上前に集まっていた。
真優 「来たね」
美優 「うん」
将規 「……ああ」
風が強い。
空は妙に澄んでいる。
真衣はいない。
真優 「今日で終わり」
美優 「うん」
もう確認はいらない。
将規は息を吸う。
でも、その瞬間――
真優 「ねえ」
真優が小さく笑う。
真優 「もし私が先に言ったら、ズルい?」
美優 「いいよ」
即答。
真優は少し驚く。
真優はゆっくり言う。
真優 「私は」
真優 「将規と一緒にいる“今”が好き」
真優 「未来とかじゃなくて、今」
風が吹く。
真優 「だから、選んでほしい」
真優はまっすぐ見る。
次に、美優。
美優 「私は」
美優 「一緒にいる“これから”が欲しい」
美優 「落ち着いて、無理しない関係」
美優 「だから」
美優もまっすぐ見る。
美優 「ちゃんと、選んで」
沈黙。
真衣がいないのに、ここが“最後の場所”になっている。
将規の視線が揺れる。
椿の花が頭に浮かぶ。
――落ちるときは、花ごと。
どちらを選んでも。
どちらかは、必ず落ちる。
将規 「俺は……」
言葉が詰まる。
風が強くなる。
そして――
将規の選択の直前で、世界は静かに止まった。
第90話 完




