第89話「前夜」
木曜日。
朝の教室は、やけに静かだった。
騒がしさはあるはずなのに、将規の耳にはほとんど入ってこない。
真優は窓の外を見ている。
美優はノートを開いたまま動かない。
将規 「おはよう」
真優 「……おはよ」
美優 「おはよう」
たったそれだけで、空気が少しだけ揺れる。
昼休み。
玲美愛 「ついに明日だね」
将規 「やめろその言い方」
玲美愛 「いや現実だし」
将規 「現実言うな」
玲美愛は少しだけ真面目な顔になる。
玲美愛 「将規さ」
将規 「ん?」
玲美愛 「決める準備じゃなくてさ」
玲美愛 「“決まった後の準備”もしたほうがいいよ」
将規 「……どういう意味だよ」
玲美愛 「どっち選んでも、もう前みたいには戻れないってこと」
その言葉だけが、やけに重く残る。
放課後。
真優は将規を呼ばなかった。
美優も呼ばなかった。
でも――どちらも廊下にいた。
偶然じゃない距離。
計算された距離でもない。
ただ、そこにいる。
真優 「明日だね」
美優 「うん」
将規 「ああ」
それだけ。
それ以上は何も言えない。
帰り道。
空は少しだけ夕焼けに染まっていた。
将規は一人で歩く。
そこに真衣が現れる。
真衣 「いよいよだね」
将規 「お前は楽しそうだな」
真衣 「楽しいわけじゃないよ」
真衣は少しだけ視線を落とす。
真衣 「ただ、ちゃんと終わるのが見たいだけ」
将規 「終わるって決まってないだろ」
真衣 「決める日でしょ」
風が吹く。
真衣は続ける。
真衣 「真優は“今を選ばせる人”」
真衣 「美優は“未来を選ばせる人”」
真衣 「じゃあ将規は?」
将規は答えない。
答えられない。
真衣 「明日で、その答えも出る」
夜。
部屋。
将規は机の前に座る。
何も書けない。
何も決められない。
スマホが震える。
真優『明日、ちゃんと来て』
美優『逃げないで』
同じようで違う言葉。
将規は画面を見つめる。
――逃げてない。
――でも進んでもいない。
その間で、ただ立ち尽くしている。
時計の針が進む。
金曜日まで、あと少し。
そして――すべてが決まる日が、すぐそこにある。
第89話 完




