第86話「揺れる均衡」
月曜日。
教室に入った瞬間、将規は空気の“変化”をはっきり感じた。
昨日までの静かな緊張とは違う。
もっとはっきりしたもの――境界線の上に立たされている感覚。
真優は机に座ったまま、将規を一瞬だけ見てすぐ逸らした。
美優はすでにノートを開いている。
どちらも、話しかけてこない。
昼休み。
玲美愛 「うわ、今日マジでやばい」
将規 「何がだよ」
玲美愛 「会話してないのに圧がすごい」
将規 「知るか」
玲美愛 「これさ、片方が動いた瞬間終わるやつだよ」
将規 「終わるって何が」
玲美愛 「全部」
軽く言うのが逆に怖い。
教室。
真優はスマホを見ている。
美優は窓の外を見ている。
視線は交わらない。
なのに、ずっと互いを意識している。
放課後。
事件は小さく始まった。
廊下。
真優 「ねえ」
将規 「……何だよ」
真優 「今日、少しだけ時間ある?」
その瞬間。
後ろから声。
美優 「私も」
静かに、でもはっきり。
空気が止まる。
真優と美優、初めて“同時に将規を求めた”。
沈黙。
将規 「……え?」
真優 「じゃあ決めて」
美優 「どっちか」
同時。
でも声の色は違う。
真優は“当然”という圧。
美優は“確認”の静けさ。
将規 「今ここで?」
真優 「うん」
美優 「うん」
即答。
廊下の空気が凍る。
将規は一歩下がる。
真衣の言葉が頭をよぎる。
――“選ばせる”じゃなくて、“選ばれる場所に立て”。
でも今は違う。
これは“逃げ場のない選択”だ。
将規 「……無理だ」
真優の目が少し揺れる。
美優の指が止まる。
真優 「またそれ?」
美優 「まだ決められないの?」
将規 「違う」
将規 「今じゃない」
真優 「じゃあいつ?」
美優 「いつならいいの?」
言葉が刺さる。
将規は息を吸う。
将規 「ちゃんと考える時間が欲しい」
真優 「もう十分でしょ」
美優 「ずっとそう言ってる」
沈黙。
その時――
玲美愛 「うわぁ……最悪のタイミングで来ちゃった」
廊下の端。
玲美愛が引きつった顔で立っていた。
真優 「……邪魔」
美優 「今それどころじゃない」
玲美愛 「いや知ってるけどさ!!」
空気が限界まで張り詰める。
その瞬間。
将規のスマホが鳴った。
真衣から。
真衣『今すぐ屋上来て』
短い。
逃げ道のない命令。
将規 「……悪い」
将規は二人を見ずに言った。
将規 「ちょっと行ってくる」
真優 「は?」
美優 「今?」
将規 「すぐ戻る」
真優 「戻る保証ないじゃん」
美優 「逃げるの?」
将規は止まる。
でも振り返らない。
将規 「逃げじゃない」
将規 「整理するだけだ」
そう言って、歩き出す。
背中に二人の視線が刺さる。
屋上。
扉を開けると、真衣がいた。
風が強い。
真衣 「遅い」
将規 「なんで呼んだ」
真衣は将規を見て、少しだけ目を細めた。
真衣 「決まったから」
将規 「何が」
真衣は静かに言う。
真衣 「このままだと、どっちも壊れる」
将規 「……」
真衣 「だから、もう一回だけルール変える」
将規 「ルール?」
真衣は一歩近づく。
真衣 「次で最後」
真衣 「“答えを出す日”を決める」
将規は言葉を失う。
真衣 「逃げてもいい時間は終わり」
風が強く吹く。
真衣 「もう、待つだけの恋じゃない」
真衣 「選ぶ恋に戻す」
沈黙。
将規はゆっくり頷くしかなかった。
その頃。
廊下。
真優と美優はまだ立っていた。
真優 「……行ったね」
美優 「うん」
真優 「次、最後だってさ」
美優 「そうなる気がしてた」
二人は同時に、少しだけ笑った。
でもその笑いは、もう優しくなかった。
第86話 完




