第13話「無理じゃなくて、行きたい」
夜。
篠田家。
リビングには静かなテレビの音が流れていた。
時計は夜9時を回っている。
テーブルには参考書。
赤ペン。
模試の結果。
そして
京都大学。
その文字が書かれた進路資料。
篠田玲緒菜は、それを見つめたまま
動けなかった。
「…言うか」
小さく呟く。
でも緊張する。
今までなんとなくの進路は話したことがある。
でも今日は違う。
本気だから。
キッチン。
玲緒菜の母が夕食後の片づけをしていた。
玲緒菜の母「どうしたの?」
母が気付いて振り向いて言う。
「えっ」
「さっきから変な顔してる」
「変な顔してる?」
母が少し笑う。
「何かあるんでしょ?」
玲緒菜は観念したように椅子へ座る。
「…うん」
母も向かいへ座った。
「で?」
玲緒菜は進路資料を差し出す。
「これ」
母は紙を見る。
数秒後。
目を少し見開く。
「…京大?」
玲緒菜は小さく頷く。
「行きたい!」
静かになる。
テレビの音だけが遠くで流れる。
母は資料をもう一度見る。
「急にどうしたの?」
玲緒菜は少し迷った。
でも。
正直に言う。
「最初は無理だと思ってた」
「でも最近、周りの友達も進学先を決めていて、私も決めなきゃって思えて」
母は黙って聞いている。
玲緒菜は続ける。
「一将くんは東大目指しているし!」
「結衣も東大行くって決めてたし!」
「瑠姫愛たちも早稲田で…」
そこで少し止まる。
私だけ止まりたくないって思っていた。
母は静かに玲緒菜を見る。
「…本気なの?」
玲緒菜はすぐに答えられなかった。
怖かった。
本気って言葉は重い。
でも。
数秒後。
しっかり頷く。
「本気」
母は少し驚いた顔をする。
たぶん。
娘がここまで真剣な顔をしたのを初めてみた。
母は小さく息を吐く。
「京大って凄く難しいけど、大丈夫なの?」
玲緒菜は頷く。
「そんなの最初から分かってるよ!だから今頑張ってる!」
「今まで以上にずっと勉強しないといけないよね?」
「うん」
「遊ぶ時間も減るかもしれないけど、頑張れるの?」
「…うん」
そのたびに、玲緒菜の返事は少しずつ真剣に
なっていく。
母は少し笑った。
でも。
玲緒菜が顔を上げる。
「行きたいって言ったの初めてじゃない?」
玲緒菜は止まる。
「え?そうだったっけ?」
「今までの玲緒菜って、なんとなくばっかりだった!」
「普通でいいとか」
「そこそこでいいとか」
母は優しく言う。
「今は違う」
玲緒菜の胸が少し熱くなる。
母は資料を返しながら言った。
「そこまで玲緒菜が思っているなら、応援する!そのかわり、最後まで諦めずにやって!」
玲緒菜の目が大きくなる。
「…いいの?」
「もちろんよ!頑張ってみなさい!玲緒菜」
そして少し真面目な顔になる。
「ただし」
玲緒菜が姿勢を正す。
「本気なら途中で投げ出さないこと」
その言葉は優しいのに、重かった。玲緒菜はゆっくり頷く。
「…うん」
その時。
スマホが震える。
画面には
武田雷斗。
メッセージ。
「決めたか?」
短い。
いつも通り。
玲緒菜は少し笑って返信する。
「私、京大目指すことに決めたよ!」
数秒後。
返信が来た。
「なら勉強して受かるしかないな!
玲緒菜は吹き出す。
「本当にそれしか言わないな!」
母が不思議そうに見る。
「誰と話してるの?」
「…友達だよ!」
母は少しだけ笑った。
「その子、玲緒菜のこと結構信じているんじゃないの?」
玲緒菜は固まる。
「え」
「だって無理って言ってないもの!」
その瞬間。
玲緒菜は少しだけ黙った。
部屋。
机の前。
京都大学の文字。
前までは遠かった。
でも今は違う。
怖い。
届かないかもしれない。
それでも。
玲緒菜は小さく呟いた。
「…絶対に行きたい!」
その言葉は、初めて夢じゃなくなった。




