第5話 拳と煙
数日が経っていた。
あれからダンジョンでは(スモーク)を使っていない。ヨルグに怒られた記憶がまだ新しい。「場所を考えろ」。正しい。だから今は短刀だけで潜っている。
廃墟帯で練習しようとは思っている。思ってはいるけど、まだ行っていない。配達とダンジョンで一日が終わると、つい後回しにしてしまう。
前の人生でも、やろうやろうと思って先延ばしにする癖はあった。変わっていない。
午後のダンジョン1層。いつもの通路を歩く。
通路の先にミニマップで赤い点が二つ映った。ラット。いつも通り短刀で片付けて、魔石を拾って先へ進む。
少し奥まで来たところで、ミニマップに白い点がひとつ映った。
冒険者だ。1層には見習いも多いから珍しくない。気にせず進む。
通路を曲がったとき、白い点の主が見えた。
青い髪。
小柄な背中が、通路の真ん中に立っている。その前にラットが一匹いた。
アウロラが拳を振った。
短く、鋭い動きだった。ラットの頭を正面から打ち抜く。一発。ラットが煙になって消え、魔石が転がった。
速い。
武器を持っていない。拳だけだ。なのに、ラットを一撃で沈めた。
感心していると、ミニマップの赤い点がもう一つ動いた。横の通路から回り込むラット。アウロラの死角。
アウロラが正面の魔石を拾おうとしゃがんだ瞬間、横から飛びかかろうとしている。
僕は走った。三歩で距離を詰めて右手の短刀を振り、横から来たラットの首を裂いた。煙になって消える。
アウロラが立ち上がってこちらを向いた。
「あんた」
「また会ったね」
「助けなくてよかったのに」
「もう倒しちゃった」
「……勝手ね」
嫌そうではなかった。でも、ありがとうとは言わない。前と同じだ。
「一人?」
「見れば分かるでしょ」
「僕も一人」
「知ってるわよ。前もそうだったじゃない」
覚えていてくれたらしい。蜂の巣の日のことを。
「どこまで行くの?」
「奥まで」
「僕もそっち」
アウロラが少しだけ僕を見てから、肩をすくめた。
「じゃあ、勝手についてくれば」
それが許可らしかった。
並んで歩く。通路が少し広くなるあたりで、アウロラが前を歩き、僕が少し後ろについた。自然にそうなった。
前衛が前で、索敵が後ろ。前の人生のゲーム知識が勝手に配置を決めている。
少し歩いたところで、通路の先にミニマップで赤い点が三つ固まっているのが見えた。
「前に三匹いる」
「見えてるの?」
「なんとなく」
「なんとなくって……」
まあいい、という顔でアウロラが前を向いた。
角を曲がると、広めの空間にラットが三匹いた。こちらに気づいて、一斉に動き出す。
アウロラが踏み込んだ。正面のラットに拳。一発で弾き飛ばす。左から来たラットに回し蹴り。小さな体からは想像できない重さだった。蹴られたラットが壁に叩きつけられて煙になる。
でも三匹目がアウロラの右から回り込んでいる。
「煙、使ってみていい?」
「煙?」
返事を待たなかった。
(スモーク)
白い煙が手のひらから噴き出して通路に広がる。三匹目のラットの前に煙が立ちこめた。
——のはいいんだけど。
「何も見えないんだけど!」
アウロラの怒った声が煙の向こうから聞こえた。
「ごめん!」
制御ができていない。出すだけで終わっている。狙ったところにだけ出すとか、薄く張るとか、そういうことが全然できない。ただ広がるだけの煙が、敵も味方も包んでいる。
でも、僕にはミニマップがある。
赤い点が一つ、煙の中でうろうろしている。三匹目のラットだ。位置は分かる。
煙の中を三歩走って、赤い点に向かって短刀を振った。手応え。煙になって消えた。
同時に、すぐ近くで「このっ!」という声と、殴打の音がした。アウロラが煙の中でも殴っていたらしい。
しばらくして煙が薄れた。三匹とも倒れていて、魔石が三つ転がっていた。
アウロラが煙を手で払いながらこちらを見た。髪に煙の匂いがついている。目が据わっている。
「何あれ」
「煙の魔法。最近覚えた」
「覚えたてなの?」
「うん」
「……練習してから使いなさいよ」
「ギルドでも怒られた」
「当たり前でしょ!」
呆れた顔だった。でも、怒ってはいない。呆れているだけだ。
「でもあんた、煙の中で動けてたわよね。なんで?」
「勘……かな」
「ふーん」
納得はしていない顔だった。でも、それ以上は聞いてこなかった。
魔石を拾い上げて、二人で歩き出す。
「武器は使わないの?」
僕が聞くと、アウロラが当然のように答えた。
「あたしモンクだから。拳と蹴りが武器なの」
モンク。格闘系のジョブだ。武器を持たず、体術で戦う。
「あんたは?」
「シーフ」
「シーフ?」
アウロラが僕の足元を見て、それから顔を見た。
「シーフにしては速くない? さっきの動き」
「配達で毎日走ってるから」
「ああ、あのとき荷物持ってたもんね」
蜂の巣の日のことだ。やっぱり覚えている。
「毎日走ってるだけであんなに速くなるの?」
「五年走ってるからね」
「五年?」
「五歳からずっと」
「ふーん」
また「ふーん」だった。でも今度は少し感心した顔が混じっていた気がする。
アウロラの戦い方を近くで見て、改めて思う。
この子、強い。
拳の振りが速い。蹴りに体重が乗っている。小柄なのに、当たれば一撃でラットが沈む。それにバランスがいい。攻撃の後にすぐ次の構えに戻る。崩れない。
同年代の見習いとしては明らかに上だ。あの三人組が依頼を押しつけようとした相手は、実は三人組よりずっと強い。
たぶん本人は分かっている。分かった上で殴らなかった。あの日、堪えたのは弱いからじゃない。
1層の端まで回って、ダンジョンの出口へ戻る。
地上に出ると、午後の日差しがまだ残っていた。ギルドのほうへ並んで歩く。
「あんた、毎日来てるの?」
「午後はだいたい」
「じゃあ、また会うかもね」
「かもね」
「次は煙なしでお願い」
「善処します」
「善処って何よ。やるかやらないかでしょ?」
「じゃあ、やらない」
「最初からそう言いなさいよ」
ギルドの前まで来たところで、少し迷ってから口を開いた。
「アウロラ」
名前を呼ぶと、彼女は少しだけ顔をしかめた。
「長いのよ、それ」
「え?」
「ロラでいいわよ」
「ロラ」
「そう」
それだけだった。短く、あっさりと。名前が縮まった瞬間は、思ったよりも軽かった。
「じゃあ、ロラ。また」
「また」
手も振らない。振り返りもしない。青い髪が人混みの中に消えていく。
一人で帰り道を歩いた。
ロラ。拳と蹴りで戦うモンク。怯えない。礼を言わない。「ふーん」で流す。でも目はちゃんと見ている。
友達、と呼べるかは分からない。でも、また会いそうな気がした。
それと、煙の練習はやっぱり早いところ始めたほうがいい。人に迷惑をかけない場所で。
明日こそ、廃墟帯に行こう。
今度こそ。
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