第3話 煙のテスト
僕はいつものようにダンジョンへ向かった。
でも今日は、少しだけ気分が違う。
腰には短刀が二本。それはいつも通りだ。けれど頭の中に、昨日までなかったものがある。
(スモーク)
魔法欄に並んだ、たった一つの魔法。煙を出すだけ。何に使えるのかもまだ分からない。でも、155のMPにようやく使い道ができた。
試してみたい。
前の人生では、新しいエフェクトを実装したら真っ先にテストした。パラメータを変えて、いろいろな条件で走らせて、挙動を確認する。あれと同じだ。今日は(スモーク)のテストをする。
ダンジョン1層に入った。
いつもの通路。いつもの空気。ミニマップに線が伸びていく。
少し歩いたところで、角の先にミニマップで赤い点がひとつ映った。ラットが一匹。
いつもなら短刀で片付ける。でも今日は違う。
角を曲がると、ラットがこちらを向いた。
(スモーク)
白い煙が手のひらから噴き出した。通路に広がる。ラットの姿が煙に呑まれて見えなくなった。もわっとした白が壁と天井の間を埋めていく。
数秒で薄れ始めた。煙の向こうで、ラットが混乱して走り回っている。そのまま通路の奥へ逃げていった。
倒せなかった。
でも、今はそこじゃない。
ステータスを確認する。
MP:152 / 155
たった3しか減っていない。
「……安い」
思わず声に出た。
消費MPが3。155もあるMPのうち、たった3。これなら50回は使える。
もう1回やりたい。
先へ進むと、通路の合流地点にミニマップで赤い点が二つ映った。ラットが二匹いる。
近づく。
(スモーク)
白い煙が広がる。ラットが鳴き声を上げて散る。やっぱり面白い。煙の中でラットが方向を見失っている。僕はミニマップで位置が分かるから問題ない。
煙が薄れたところで短刀を抜いて、混乱したラットを仕留めた。二匹分の魔石を拾う。
MP:149 / 155
まだまだ余っている。
次の通路。
(スモーク)
分岐の手前で使ってみる。煙が左右に広がって、道が塞がる。これ、敵の足止めに使えるかも。
さらに奥の少し広い場所。
(スモーク)
広い空間だと煙が拡散して薄くなる。なるほど。狭いほうが効果的だ。
次は低い天井の通路。
(スモーク)
天井が低いと煙が溜まる。濃い。いい感じだ。
角の先。
(スモーク)
曲がり角の向こうに煙を流し込む。見えない場所にも届く。
面白い。
前の人生で、ゲームのエフェクトをデバッグしていた時と同じ感覚だ。新しいエフェクトを実装したら、まず色々な条件で試す。狭い部屋、広い部屋、天井の高さ、障害物の有無。パラメータを変えて結果を見る。
あの時と同じことを、今は自分の手でやっている。
楽しい。
気づけば、1層をぐるぐる回りながら何度も(スモーク)を使っていた。
MP:98 / 155
半分以上残っている。まだ30回以上は使える計算だ。
もう少しだけ試そう。
行き止まりの小部屋。
(スモーク)
密閉に近い空間だと、煙がなかなか消えない。白い霧の中に自分が立っている。目の前は何も見えない。でもミニマップの線はちゃんと見える。
つまり、僕にとっては煙の中も外も変わらない。
でも、他の人は違う。煙の中では何も見えないはずだ。
自分には有利で、相手には不利。
「……これ、弱い魔法じゃないのかも」
そんなことを思いながら、通路を戻る。もう少し試したい気持ちはあったけど、魔石も拾いたい。短刀に切り替えて、いつも通りラットとバットを処理しながら帰路についた。
楽しかった。
新しいおもちゃを手に入れた子どものような気分だと、自分でも思う。精神年齢的にはおもちゃに喜ぶ歳でもないんだけど、これはゲームのテストプレイに近い。許される。
地上への階段を上がると、午後の日差しが眩しかった。石段を上がりきったところで、目を細めた。
そこに、見覚えのある顔が立っていた。
ヨルグだ。
腕を組んで、出口の脇に立っている。出てくる冒険者を一人ずつ見ていた。いつもの事務的な顔だけど、今日は少しだけ目が厳しい。
嫌な予感がした。
「おい、ルート」
名前で呼ばれた。
「は、はい」
「ダンジョンの1層で煙が発生してる」
「……煙、ですか?」
「ああ。通路が白くなって前が見えないと報告が上がってる。何人かの冒険者が依頼を中断して戻ってきた」
心臓が跳ねた。
「それは……大変ですね」
「大変だな」
ヨルグの目がまっすぐこちらを向いている。
「で、何か心当たりはないか?」
「心当たり、ですか?」
「ああ。お前、今1層から上がってきたよな?」
「……はい」
「何か見たか? 煙の原因とか」
「見た、というか……」
目が泳ぐ。自分でも分かる。今、ものすごく怪しい顔をしている。
前の人生で部長に「この企画書の数字、合ってる?」と聞かれた時と同じ顔をしているはずだ。あの時は合っていなかった。今回も、たぶん合っていない。
ヨルグが一歩近づいた。
「お前がやったのか」
「……」
「ルート」
「…………はい」
観念した。隠し通せると思った自分が甘かった。表情を隠すスキルは持っていなかった。
ヨルグが短く息を吐いた。怒鳴らない。それが逆に怖い。
「こっちへ来い」
ギルドの裏手、人の少ない通路へ連れていかれた。壁に背を預けたヨルグが、腕を組んだまま僕を見下ろす。
「説明しろ」
「……魔法書を買いました」
「魔法書」
「はい。煙の魔法です」
「煙の魔法?」
ヨルグが眉をひそめた。聞いたことがない、という顔だった。
「そんなのあるのか?」
「あるみたいです。(スモーク)って名前で……」
ヨルグはしばらく黙っていた。それから、静かに言った。
「お前、1層に他の冒険者がいるのは分かっていたな」
「……はい」
「その中で、煙を何十回も撒いたのか?」
「何十回かは……数えてないですけど……」
「数えてないのか?」
「すみません」
返す言葉がない。
楽しかったのは本当だ。でも、自分が楽しんでいる間に、同じ層にいた人たちが前も見えない煙の中で困っていた。依頼を中断して帰った人もいる。それは、楽しかったで済む話じゃない。
「新しい魔法を試したい気持ちは分かる」
ヨルグが言った。
「だが場所を考えろ」
「はい」
「1層は見習いも含めて人が多い。そこで周りを見ずに魔法を撒き散らすのは、ただの迷惑だ」
「……はい」
「迷惑というのは、自分が気づいていないときに起きる」
その一言が、一番重かった。
気づいていなかった。本当に、気づいていなかった。
ミニマップにはラットの赤い点は見える。でも、他の冒険者の白い点を意識していなかった。自分のことしか見ていなかった。
「やるなら人のいない場所でやれ。ダンジョンの中は共有の場所だ。お前だけのものじゃない」
「はい。すみませんでした」
頭を下げた。
ヨルグは少し間を置いてから、声のトーンを落とした。
「で、煙の魔法ってのは何だ。聞いたことがないが」
「僕も昨日初めて知りました。煙を出すだけの魔法です」
「煙を出すだけ」
「はい。消費魔力が低いので、つい」
「つい何十回も使ったと?」
「……はい」
ヨルグが呆れたような顔をした。でも、怒りの色はもう薄れていた。
「物珍しさで周りが見えなくなるのは、見習いにはよくある。お前だけじゃない。だが、二度目はないぞ」
「はい」
「行け」
ヨルグの前を離れてギルドを出た。
夕方の通りを歩きながら、まだ胸の奥がざわついていた。
恥ずかしさと、反省と、それから少しだけ別のことを考えている自分がいる。
ヨルグの説教は正しい。場所を考えろ。人のいない場所で練習しろ。
人のいない場所。
一つ心当たりがあった。
旧市壁の廃墟帯。街の拡張で取り残された古い外壁と建物の跡。人通りがほとんどない。狭い空間も広い空間もある。煙を撒いても誰にも迷惑がかからない。
それに、今日分かったこともある。
(スモーク)は消費MPが3。僕のMPなら50回は使える。煙は狭い場所では溜まり、広い場所では散る。天井が低いと濃くなる。そして、煙の中では普通の人は何も見えないけど、僕のミニマップには関係ない。
自分には有利で、相手には不利。
使い方さえ分かれば、これはたぶん、弱い魔法じゃない。
小屋に帰って寝台に座り、短刀を膝の上に置いてステータスを開いた。
【魔法】
(スモーク)
煙を出すだけ。誰も知らない魔法。
でも今日、その煙がダンジョンの1層を埋め尽くした。たった一人で、一つの層の空気を変えてしまった。
量は出る。問題は形だ。
今はただ広がるだけの煙を、自分の思い通りにできたら。壁にしたり、幕にしたり、狙った場所にだけ出したり。
できるかどうかは分からない。でも、試す価値はある。
明日から廃墟帯で練習だ。
あのエルフの店主の顔を思い出す。穏やかな微笑み。「ほんの少しだけ、ね」。
あれは絶対、分かっていたと思う。
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