第2話 煙の魔法
午後、ダンジョンへ向かう前に、少しだけ寄り道をした。
商業区の端に、前から気になっていた路地がある。
配達で街中を走り回っているうちに、だいたいの道は覚えた。ミニマップにもほとんどの通りが線として残っている。でもたまに、まだ白い場所がある。歩いていない道。知らない角の先。
配達少年の性分だと思う。知らない道があると、気になる。
その路地は商業区の大通りから一本外れて、さらにもう一本奥へ入ったところにあった。人通りはない。壁に苔が生えていて、石畳の隙間から雑草が伸びている。
こんなところに何かあるんだろうか。
ミニマップには建物の輪郭が映っている。路地の突き当たりに、小さな四角い形。店か家のどちらかだ。
歩いていくと、古びた木の扉が見えた。横に小さな看板がかかっているけど、文字がかすれて読みにくい。普通の人なら気づかずに通り過ぎると思う。
でも僕のミニマップには、ちゃんとある。
少し迷ってから、扉を叩いた。
「すみません」
「どうぞ」
中から声がした。穏やかで、少し低い。
扉を開けると、乾いた紙と薬草の匂いがした。
狭い店だった。壁沿いの棚には瓶、小箱、巻いた紙束が並んでいる。奥の棚にはもう少し大きな箱や、布で包まれたものもある。天井から吊るされた小さなランプが、橙色の明かりを落としていた。
カウンターの奥に、人がいた。
金色の髪に長い耳、白い肌。エルフだ。
この街ではエルフは珍しい。人口の一、二パーセントと聞いたことがある。その一人が、こんな見つけにくい場所で店をやっている。
「いらっしゃい」
女性だった。年齢は分からない。エルフの年齢は見た目で判断できないと聞く。穏やかな顔だけど、どこか距離がある。親しげではない。かといって、冷たくもない。
「見習いの子かしら」
「はい。配達の帰りで、この道を通ったら店があったので」
「ここに来るのは珍しいわね。あまり人が来ない場所だから」
それはそうだろう。この路地を歩く人がいるとは思えない。
「見ていっていいですか?」
「どうぞ」
棚を見て回ると、手に取ったものの情報が浮かぶ。
強化薬(小)
効果:筋力を一時的に向上
品質:良
小銀貨五枚。500ロア。僕の三日分の稼ぎだ。
別の棚。
護符(風除け)
効果:風属性ダメージ軽減
品質:良
銀貨二枚。2,000ロア。高い。
奥の棚にはもっと高そうなものが並んでいる。布で包まれた箱の中身は分からないけど、手に取るのをためらう気配がある。
そして、壁の一角に並んだ本が目に入った。革表紙の小さな本が五、六冊。手に取ってみる。
魔法書
効果:火球を射出する
品質:良
値段の札がついている。大金貨一枚。50,000ロア。
思わず手が止まった。隣の本も取る。
魔法書
効果:水の防壁を展開する
品質:良
同じく大金貨一枚。50,000ロア。
「……魔法書ってこんなに高いんですか?」
思わず声に出た。エルフが少しだけ笑う。
「初級でもそのくらいはするわ。魔法書自体が希少だから」
50,000ロア。僕の今の全財産を合わせても全然届かない。大金貨一枚。冒険者にとっても簡単な買い物じゃないはずだ。
でも、魔法は欲しい。
MPが155もある。使い道のない魔力が、ずっと余っている。魔法がひとつでもあれば、ダンジョンの戦い方が変わる。
「あの、予算が5,000ロアくらいなんですけど」
言いながら、無理だろうなと思った。魔法書の十分の一だ。
「それで買える魔法書って、ありますか?」
エルフは僕を見た。少しだけ間があった。何かを考えているような、それとも何かを思い出しているような、そういう間だった。
「……ひとつだけ、あるわ」
そう言ってカウンターの奥へ消えた。棚の裏で何かを探す音がする。しばらくして戻ってきた時、手には小さな古い本があった。棚に並んでいなかった本だ。
エルフがカウンターの上に置いた。
「これ」
手に取ると、鑑定が浮かぶ。
魔法書
効果:煙を発生させる
品質:良
「……これは?」
「煙を出す魔法」
「煙を出す……だけ、ですか?」
「それだけよ」
攻撃力の数字がない。火球なら「威力」が書いてある。水盾なら「防御力」がある。これには「煙を発生させる」しか書いていない。
「聞いたことないです。煙の魔法って」
「でしょうね。ほとんどの人は知らないわ。珍しい魔法書よ」
「珍しいのに安いんですか?」
「欲しがる人がいないの。煙を出すだけだもの」
それはそうだ。火球で敵を焼くとか、水盾で身を守るとか、そういう分かりやすい使い道がない。煙を出して何になる。
でも。
MPが155もある。何も使えないよりは、何か使えた方がいい。煙だろうと何だろうと、魔法は魔法だ。
それに、5,000ロアで買える魔法書なんて他にない。
「これ、ください」
「あら、いいの? 中身は煙よ?」
「いいです。使えるものは使います」
エルフは少しだけ目を細めた。僕の返事が意外だったのか、それとも何か別のことを考えていたのか。その表情はよく分からなかった。
代金を払った。小金貨一枚。財布がだいぶ軽くなった。でも後悔はない。
エルフが魔法書を布で包みながら言った。
「使い方は分かるかしら?」
「魔法書を読めば使えるようになるんですよね?」
「ええ。読めば自動で発動できるようになるわ。形も威力も、魔法書に書かれた通り出る」
「煙が出るだけ、ですか?」
「ええ」
エルフが包みを僕に渡した時、ほんの一瞬だけ、視線が長く感じた。
「ほんの少しだけ、ね」
微笑み。何でもない言い方だった。
「そういえば、名前を聞いていなかったわね」
「ルート」
「私はエリアナ」
「また来てもいいですか?」
「見つけられるなら」
ありがとうございますと言って店を出た。
路地の外は、午後の日差しがまだ明るかった。
歩きながら包みを開けた。古い革表紙の小さな本。開いて、文字を読む。
読み進めると、頭の中に何かが入ってくる感覚があった。重いとか痛いとかじゃない。水が染み込むみたいに、すっと入ってくる。知らなかったことを、急に知っている。そんな感じだ。
最後のページを閉じた時、もう「分かっていた」。
煙を出す方法が、頭の中にある。
ステータスを開く。
【スキル】
《表示展開》
《空間把握》
《気配感知》
《短刀術》
【魔法】
(スモーク)
魔法欄に、初めて文字が並んでいた。
(スモーク)
煙を出すだけの、誰も知らない魔法。
でも、これで155のMPにようやく使い道ができた。
試してみたい。
ダンジョンへの足が、自然と速くなった。
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