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還らずの街のルート急便 ~過労死した元ゲーム開発者は「ミニマップ」と「煙魔法」で泥臭く成り上がる~  作者: わかば めぐる
第1章

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第1話 還らずの街のルート急便

 朝の空気が好きだ。


 日が昇りきる前の、少しだけ湿った風。通りに出る商人の声がまだまばらで、石畳の上を走る自分の足音がよく響く。


 僕は荷物を抱えて走っていた。


 革紐で束ねた包みを右脇に挟み、左手で角を掴んで体を振る。路地を一本抜けて、屋台の裏に回り込み、半開きの木戸の横をすり抜ける。足は止まらない。この道は何百回と走っている。目を閉じてもたぶん走れる。


 市場の手前で人が増えた。荷車が通りを塞いでいる。


 僕は速度を落とさず荷車の横を抜けた。荷台の角と壁の間、人ひとり分の隙間。走りながら体を半回転させて通る。荷物は当たらない。


 こういうのは慣れだ。五歳から走っている。もう五年になる。


 最初の届け先は乾物屋だった。


「届けものです」


「おう、早いな」


 親父が帳面を叩きながら包みを受け取り、中身を確かめて銅貨を一枚渡してくれた。


「毎度」


「ありがとうございます」


 受け取って、すぐ次へ走る。


 二件目はパン屋だった。裏口から入ると焼きたてのパンの匂いが鼻を突き、女主人が奥から出てきて、僕の顔を見るなり笑った。


「あんた今日も速いねえ」


「急いでるので」


「いつも急いでるでしょ?」


 それはそうだった。


 銅貨を受け取って、三件目へ走る。商業区を横切り、職人通りを抜けて、橋を一つ渡る。この街は広い。人口五十万の巨大都市、迷宮都市クルヌガルド。通称、還らずの街。物騒な名前だけど、朝の街は明るい。


 通りの向こうでは冒険者が武具を鳴らしながら歩いている。革鎧に剣を差した男。杖を抱えた女。大きな盾を背負った獣人。みんなギルドの方へ向かっていく。朝一番の依頼を取りに行くんだろう。


 道端で子どもたちが、その背中を目で追っていた。


「かっこいい……」


「おれもいつか冒険者になる!」


 この街では冒険者は憧れの職業だ。


 街の地下に広がる巨大ダンジョン。魔石、素材、深く潜るほど良いものが出る。一攫千金を狙う冒険者たち。命を懸けるぶん、見返りも大きい。


 だが、還ってこない人もいる。ダンジョンで命を落とした冒険者も、稼ぎの良さに故郷を忘れた出稼ぎ人も、一度来たら離れられなくなった商人も。理由は違えど、この街に来た人間はみんな還らない。だから外の人間はこう呼ぶ。還らずの街、と。


 それでもこの街には人が集まる。夢があるからだ。ダンジョンがあるから、この街は回っている。


 三件目の届けを終えた頃には、朝日がすっかり昇っていた。


 銅貨が三枚。今日の午前はこれで終わりだ。


 僕は軽く息を吐いて、ギルドの方へ足を向けた。


 午前は配達。午後はダンジョン。それが僕の毎日だった。


 ギルドの前を通ると、掲示板の前に冒険者が群がっている。討伐、護衛、素材回収、荷運び。いろいろな依頼の札が並んでいて、条件の良いものから抜かれていく。


 その端の方に、少し古びた札が一枚残っていた。


「未帰還者捜索」


 報酬は高い。でも、ずっと残っている。


 僕はそれを一瞬見て、通り過ぎた。今の僕には関係ない。


 ギルドの裏手から地下への入口へ向かう。ダンジョンの入口だ。


 腰の短刀を二本、軽く叩いて確認する。革紐の締まり具合。刃の位置。左右の重さ。五歳から配達で走ってきたこの体と、この二本の刃が今の僕のすべてだ。


 入口を抜けると、空気が変わった。


 地上の喧騒が遠くなり、石の壁に囲まれた通路が続く。足元はわずかに湿っている。松明はなく、壁に埋め込まれた光石が薄い明かりを落としていた。


 ダンジョン1層。


 ここは僕にとって、もう庭みたいなものだった。


 視界の端に、薄い光の線が浮かんでいる。


 他の人には見えない。僕にだけ見える不思議なウィンドウだ。歩いた場所が線になって残り、通路の形がそのまま浮かび上がる。曲がり角の先に何かいれば、小さな色の点が動く。赤なら敵。白なら害のないもの。


 前の人生の言葉で言えば、ミニマップだ。


 それだけじゃない。


 意識を向けると、別のウィンドウも開く。自分のステータスが見えるやつだ。


 ルート

 シーフ Lv5

 HP 62 / MP 155


 他にも数字はいくつか並んでいるけど、今は気にしない。戦闘中に確認するほど余裕はないし、普段はあまり開かない。


 ただ、ひとつだけ気になっていることがある。


 MPが多い。


 他の人のステータスは見えないから比べようがないけど、HPの倍以上あるのはたぶん普通じゃない。ギルドに登録したとき、鑑定ストーンにはレベルとジョブしか出なかったから、職員にも分からなかったと思う。


 使い道があるのかどうかも分からない。今の僕は魔法をひとつも持っていない。MPが多くても、使う先がなければ宝の持ち腐れだ。


 まあ、いつか何かの役に立つかもしれない。


 それから、ものを手に持つと情報が浮かぶこともある。今持っている短刀なら。


 短刀

 攻撃力:8

 耐久:14/15

 材質:鉄


 こんな感じだ。安物でもちゃんと出る。ただし手に持っている間だけで、人には使えない。相手のステータスが見えたら便利だけど、そこまで都合よくはできていないらしい。


 全部、この世界に来てから気づいたらあった。


 たぶん、神様の――げふん、と咳払いしていたあの人のせいだと思う。おまけにしては妙に便利すぎる気もするけど、あの手紙の感じだと、うっかり付けてしまった穴みたいなものかもしれない。


 まあ、もらったものは使う。


 もちろん、誰にも言っていない。


 こんなものが見えると知られたら、面倒なことになる気がした。だから人に聞かれたら「勘です」で通している。


 1層の通路の角を曲がった先、右の壁際にミニマップで赤い点がひとつ映った。小さい。ラットだ。


 足音を殺して距離を詰める。


 ラットがこちらに気づいた瞬間、僕は踏み込んでいた。


 右手の短刀で首を裂く。一撃。ラットの体が煙になってほどけ、足元に小さな魔石が転がった。拾い上げる。


 魔石(小)

 品質:低


 小さくて、色も薄い。1層の魔石は安い。でもゼロよりずっといい。


 そのまま奥へ進む。


 分岐が見える。ミニマップの線がない方は行き止まりだと知っている。右を取ると、少し広い空間に出た。ここはたいていラットが二匹いる。


 今日もいた。赤い点が二つ。


 二匹同時にこちらを向く。片方がまっすぐ来て、もう片方が横に回ろうとする。


 左の短刀で正面のラットを受け止めながら、右の短刀で横から来たやつの腹を裂いた。左の刃を返して、正面のラットの喉を突く。


 二匹とも煙になった。魔石が二つ。


 息は上がっていない。


 五年間、毎日この街を走ってきた。路地を抜けて、階段を駆け上がって、荷物を抱えたまま半日走り続ける体力がある。ダンジョンの1層で息が切れるはずもなかった。


 2層まで降りた。空気がわずかに重くなり、通路の作りも少し変わる。壁の継ぎ目が粗くなり、光石の間隔が広がって、影が深くなる。


 ミニマップに新しい線が伸びていく。2層もだいぶ埋まってきた。まだ白い場所もあるけど、主要な通路はほとんど歩いた。


 2層のラットを三匹倒し、少し奥のバットを一匹仕留めて、帰路につく。


 魔石は全部で六個。


 地上へ戻り、ギルドの買い取り所で魔石を並べた。


「2層までですね。はい、銅貨四枚と小銅貨三枚」


 43ロア。配達の三件分より多い。


 命を懸けている、というほど大げさなものじゃない。1層と2層なら、死ぬ方が難しい。でも、これがダンジョンの入口の入口だと分かっている。深い層に行けば、もっと良い魔石が出る。もっと稼げる。


 もっと先がある。


 前の人生では、画面の向こうにこういう世界を作っていた。フロアを設計して、モンスターを配置して、宝箱の中身を決めて。


 今は自分がその中にいる。


 一人で挑んでいる。


 その感覚は、嫌いじゃなかった。


 ギルドを出て、帰り道を歩く。


 夕暮れの街はまだ賑やかだった。酒場から笑い声が漏れ、冒険者がダンジョンを出て戻ってきて、買い取り所の前に短い列ができている。


 僕は商業区を抜け、大通りを外れ、路地をいくつか曲がって、貧民街の端にある小さな小屋へたどり着いた。


 古くて狭く、壁に隙間がある。風の強い日は寒い。


 でも、自分の場所だ。


 五歳のときから一人で住んでいる。


 父さんと母さんは冒険者だった。依頼に出たまま、帰ってこなかった。僕が五歳のときだ。


 それ以来、ここで一人だ。


 寂しいかと聞かれたら、最初は寂しかった。でも五年も経つと、一人が普通になった。朝は配達で走り、午後はダンジョンに潜り、夜は小屋で眠る。それが僕の日常だ。


 寝台に座って、今日の稼ぎを数えた。


 配達で銅貨三枚。ダンジョンで銅貨四枚と小銅貨三枚。合わせて73ロア。パンが七個買える。明日の朝飯と、少しだけ貯金。


 悪くない。


 目を閉じると、今日歩いたダンジョンの道がミニマップの線として頭の中に残っている。1層の分岐、2層の広間、バットがいた曲がり角。全部ある。


 明日も朝は配達。午後はダンジョン。同じ毎日の繰り返しだ。でも、少しずつ深く潜れるようになっている。少しずつ速くも走れるようになった。少しずつ、前に進んでいる。


 この時の僕には、まだ分からなかった。翌日の午後、何気なく踏み込んだ裏路地の奥で手に入れる一冊の魔法書が、自分の人生を変えることになるとは。

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