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還らずの街のルート急便 ~過労死した元ゲーム開発者は「ミニマップ」と「煙魔法」で泥臭く成り上がる~  作者: わかば めぐる
第1章

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第29話 留守の村

 村に来て、数週間が経っていた。


 穏やかな日常が回り始めていた。朝の巡回、日中の見回り、夕方と夜の見張り。静かな繰り返しが、気づけば体に馴染んでいた。


 時折ゴブリンの偵察が現れるが、ディルクかナディアが速やかに処理して、僕はその報告役を務めていた。二人の戦闘を間近で見ることは、何よりの学びになる。ナディアの両手剣の豪快な振り、ディルクのメイスの鋭い踏み込み。見ているだけで得るものが多かった。


 トトは毎日くっついて回り、夕方になるとメルが回収しに来る。リーナも時間が空けば話しかけてきた。クルヌガルドのこと、ダンジョンのこと、街の市場のこと。この子の好奇心は本当に尽きない。


 《魔力操作》の訓練も、朝と寝る前の日課として続けている。村の裏手で練習している煙の壁は、維持できる時間が二十秒を超えるようになっていた。食事も良い。村長の奥さんが作る料理は、パンに肉、野菜と果物まで揃っていて、毎日しっかり食べているおかげで体が少しずつ変わってきている気がした。背も少し伸びたかもしれない。


 そんな、穏やかな日々だった。


 その朝も、いつもと同じように始まるはずだった。


 朝食を終え、巡回に出ようとした時——猟師のガルドが血相を変えて走ってきた。


「大変だ。東の森の奥で、オークを見た」


 ディルクの手がピタリと止まった。メイスに添えていた手が、強く握り直される。


「何体だ?」


「三体だ。森の奥へ入っていくのを見た。巣を作っている可能性がある」


 オーク。名前だけは知っている。身長二メートル近い大型の魔物で、力が強い。ゴブリンやウルフとはまるで格が違う。——ディルクとナディアの表情が変わった。今までのゴブリン討伐とは、明らかに空気が違う。


「三体か。放置すれば村が危ない」


 ナディアが両手剣を背負い直した。ディルクが続ける。


「行くぞ」


「ああ」


 ナディアが短く応えた。ディルクが僕の方を振り返る。


「俺たちは森に入る。お前は村に残れ」


「はい」


「ゴブリン程度なら対処できるな?」


 一瞬の間があった。あの夕方、ゴブリンを一撃で仕留めた動きを、この人はしっかり見ていた。


「……はい」


「村を頼む」


 ——「頼む」。ディルクが僕にそう言ったのは初めてだった。荷物持ちやポーターに向ける言葉じゃない。


 ナディアも何か言いたげな顔をしたが、結局何も口にせず歩き出した。二人の背中が、東の森へと消えていく。


 村には、僕と村人たちだけが残された。


 ガルドと村長に向き直った。


「二人が戻るまで、僕が村を見ます」


「……頼めるか。坊主に」


 ガルドの目に疑念が浮かんでいる。無理もない。十一歳の子供に村の護衛を任せると言われても、すぐには信じられないだろう。


「何かが来たら対処します。村人は家から出ないでください。特に子供たちは絶対に」


 村長は少し考えてから、静かに頷いた。


「分かった。村の者には伝えておこう」


 ふと視線を感じて振り向くと、少し離れた場所にリーナが立っていた。心配そうな顔でこちらを見ている。「大丈夫?」と聞きたげな目をしていたが、何も言わなかった。声をかければ邪魔になる。——この子は、そういうことが分かる子だ。


「リーナ。家にいてください」


「……うん」


 小さく頷いて、家の方へ歩いていった。途中で一度だけ振り返った。


 ミニマップを広げた。半径五十メートル。MPを消費しながら常時展開し、村の全体をカバーする。ガルドが弓を手に柵の東側に立ち、農具を持った自警団の男たちも数人集まっていた。鍬や鋤は武器とは呼べないが、丸腰よりはましだ。


 柵の内側を巡回し始めた。ディルクたちがオークを叩いている隙に、別の魔物が来る可能性がある。東の森側を重点的に警戒する。


 一時間。二時間。何も来ない。


 不気味なほど静かだった。いつもなら、ゴブリンの偵察が一匹くらいは現れる時間帯だ。それすらない。


 ——嫌な予感が背筋を這い上がった。


 マップの範囲を広げる。百メートル、二百メートル。MPがじわじわと削られていく。


 東の森の縁に、赤い点が映った。


 十以上。動きの速い点も混じっている。こちらに向かってきていた。この村に来てから見た中で一番の規模だ。——ディルクとナディアがいない、今このタイミングで。


 偶然か。それともオークが陽動で、こちらが本命だったのか。考えている暇はない。


 マップの範囲を元に戻してMPの消費を抑え、ガルドに向かって叫んだ。


「東から来ます! 十体以上! 速いのも混じっています!」


「十体以上だと!? どうして分かる!?」


「分かるんです! 早く村人を家に入れてください! 子供を絶対に外に出さないで!」


 ガルドは一瞬迷ったが、すぐに村長のもとへ走り出した。自警の男たちに「家に入れ! 子供を隠せ!」と怒鳴り散らす。村が一気に慌ただしくなった。畑にいた村人たちが走り戻り、家の扉が次々と閉まる。子供の泣き声が響いた。


 柵の東側に立ち、二本の短刀を抜いて構えた。


 森の縁にまだ何も見えない。でもマップ上の赤い点は確実に近づいている。百五十メートル。百メートル。七十メートル。


 ——来る。


 森の縁から緑色の肌が姿を現した。一匹、二匹、三匹と次々に飛び出してくる。棍棒、粗末な剣、石の斧を持ったゴブリンの群れ。その後ろに灰色のウルフが三匹。さらに後方には、ウルフに跨った二体のゴブリンライダー。


 全部で十三体。一人で、これを凌ぐしかない。


 深呼吸を一つ。


 (スモーク)


 白い煙が手のひらから噴き出した。柵の前に横幅の広い煙の壁を立てて、ゴブリンの視界を遮断する。白い壁が畑の端に沿って広がった。


 先頭のゴブリンたちが足を止めた。前が見えない。仲間と顔を見合わせ、棍棒を振り回して煙を払おうとする奴もいる。


 《隠密》


 気配を消し、煙の壁の横から音もなく回り込んだ。ミニマップには赤い点が全部映っている。煙の向こうで混乱するゴブリン、ウルフ、ライダーの位置。全部分かる。


 煙の中で立ち尽くすゴブリンの背後を取った。


 一匹目。背中から短刀を突き立て、声も出させずに仕留めた。二匹目。隣のゴブリンが振り返る前に首を深く裂く。三匹目。こちらに気づいて棍棒を振り上げてきた。遅い。横へわずかにずれ、振り下ろしの隙を突いて胸を刺し貫く。


 数秒で三匹。煙の中では、僕だけが動いていた。


 煙の壁が揺れ始めている。展開から二十秒。そろそろ限界だ。


 壁が崩れ、煙が四散した。残ったゴブリンたちがパニックに陥る。仲間が三匹倒されているのを見て、金切り声を上げて逃げ惑う奴、無闇に棍棒を振り回す奴。統制が崩れている。


 ——でも、ウルフは違った。


 煙が消えた瞬間、一匹目のウルフが地を蹴って跳んできた。嗅覚で追ってきたのだ。《隠密》で気配は消せても、匂いまでは消せない。


 速い。でも、5層のボスに比べれば止まっているも同然だ。


 横にステップを踏んで躱し、すれ違いざまに喉を切り裂いた。ウルフが地面に激突して動かなくなる。


 二匹目が背後から迫る。《気配感知》が反応した。振り向くと牙を剥き出しにした顎が迫っていて、振り向きざまに右の短刀を突き出す。ウルフの顎の下から刃が入った。


 三匹目は横から。マップで見えている。牙を紙一重で避け、空振りで体勢を崩した横腹を深く薙ぎ払った。


 ウルフ三匹。処理した。


 次はゴブリンライダーだ。


 一体目が突進してきた。ウルフの脚力と、背中のゴブリンが構える剣。二体が一体となった連携攻撃。


 (スモーク)


 白い壁がライダーの正面に立つ。ウルフは嗅覚で突っ込んでくるが、背中のゴブリンは視界を奪われて方向を見失った。上下の動きがずれ、バランスが崩れる。ウルフだけが煙を突き抜けてきて、背中のゴブリンが振り落とされた。地面を転がる。ウルフを斬り捨て、もがくゴブリンに止めを刺した。


 二体目のライダーは賢かった。煙の壁を見て突進を止め、大きく回り込んでくる。同じ手は通じない。


 正面からの突進。ウルフの速度に乗せて、背中のゴブリンが剣を高く振りかぶっている。真っ直ぐ向かってくる。——僕も真っ直ぐ踏み込んだ。


 激突の直前、最後の瞬間に横へ飛ぶ。ゴブリンの剣が空を切り、ウルフの腹が横を通り過ぎる。その無防備な腹に、短刀を深々と突き入れた。走り抜ける勢いのまま、腹を一文字に引き裂く。


 ウルフが崩れ落ち、ゴブリンが投げ出されて地面に叩きつけられた。起き上がろうとした首筋に、短刀を振り下ろす。


 残りのゴブリンたちは完全に戦意を失っていた。仲間が次々と狩られ、煙の中から見えない敵に蹂躙される恐怖に耐えきれなかったのだろう。森の方へ逃げ出す数匹は追わない。村から離れればいい。柵に向かって迷走してきた残り二匹を処理した。一匹は恐怖で身をすくませて動けず、もう一匹は背を向けて逃げようとした。どちらも遅かった。


 ——全部終わった。


 静寂が戻ってくる。荒い息を吐いた。煙の壁の連続使用とマップの広域展開で、MPがかなり減っている。マップを五十メートルに戻すと、赤い点はない。東側の脅威は去った。


 短刀の血を拭きながら、手が微かに震えているのに気づいた。張り詰めていた緊張が、少しずつ抜けていく。


 柵の内側でガルドが呆然と立っていた。弓を構えたまま、一度も射る機会がなかったのだ。こちらを見て、黙っていた。それから、低い声で言った。


「……何者だ、お前」


 答えなかった。


 周囲にゴブリンとウルフの死体が散らばっている。血の匂い。嫌な匂いだ。後で焼却場に運ばないと。


 村人たちが恐る恐る家から出てきた。柵の外の死体の山を見て息を呑み、それから信じられないような目で僕を見ていた。トトがメルの手を強く握ったまま、家の入口からこちらを覗いている。怖かったはずだが、泣いていない。メルは弟の前に立って、小さな体で庇うようにしていた。七歳の姉が、五歳の弟を守っていた。


 そこへ、村長が駆けてきた。血の気が引いた顔をしていた。


「リーナがいない」


 心臓が止まった。


「畑にいたんだ。戦いが始まる前に家に戻れと伝えたんだが……北側の畑の端にいたらしい。戻る前に——」


「北側の柵が壊れてるぞ!」


 ガルドの声が響いた。


 北側へ走った。柵の一部が外側にへし折られていた。地面にゴブリンの足跡が複数残っている。三つか四つ。北東の方向へ向かっている。


 ——別動隊がいた。


 僕が東で戦っている間に、北から入り込んだ群れがいた。マップを五十メートルに絞って東の森に集中しすぎていた。北側までカバーしきれていなかった。


 リーナが攫われた。


 足跡を見ると、引きずった跡がある。連れていかれたのだ。


 マップを限界まで広げた。ありったけのMPを注ぎ込む。一瞬だけ、できる限り遠くまで。


 脳が軋む。視界の奥に地図が広がる。森の木々が線になって浮かび上がり、地形の起伏が見えた。


 七百五十メートル先。


 赤い点が四つ。


 その真ん中に、青い点が一つ。


 動いている。——生きている。


 いた。


 リーナだ。


 さらに強く地面を蹴って、森の奥へ走った。

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