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還らずの街のルート急便 ~過労死した元ゲーム開発者は「ミニマップ」と「煙魔法」で泥臭く成り上がる~  作者: わかば めぐる
第1章

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第27話 陽だまりの村

 村に来て十日ほどが経った頃、ふいにリーナに腕を掴まれた。


「ルート、今日暇でしょ?」


「見回りがあるんですけど」


「見回りしながらでいいから! 村を案内してあげる!」


 暇かどうかを聞いておいて、答えを待たない。この子はいつもこういうペースだ。


 ちょうど朝食を終えたところだった。ディルクとナディアはすでに巡回に出ていて、東の森寄りを重点的に回ると言っていた。僕の担当は柵の内側だから、案内してもらいながらでも見回りはできる。


「……分かりました」


「やった! 行こ行こ!」


 引っ張られるまま、村の中を歩き始めた。


 朝の空気がまだ冷たく、麦畑の上に霧が薄く残っていた。日が昇るにつれて消えていくのだろう。クルヌガルドでは見たことのない光景だ。あちらは石畳と建物に囲まれていて、霧が出ても路地の底に溜まるだけで、こんなふうに畑の上を漂ったりしない。


 ミニマップを五十メートルに広げる。赤い点はない。白い点がいくつか映っている。畑に出ている村人たちだ。


 白い点。ふと気になった。


 この村に来てから、ミニマップに映る点のほとんどが白だった。白は中立を示す色だ。こちらに害もなければ、はっきりとした好意もない。システム上では、ただの「知らない人」。それが白だ。


 奥さんに毎日ご飯を作ってもらっている。トトには毎日足にしがみつかれている。メルには毎日「ごめんなさい」と言われている。ガルドと柵の修繕をしたし、ゴルトの鍛冶場で刃油ももらった。リーナにはこうして腕を引っ張られている。それでも、白い。十日では、まだ「知らない人」のままらしい。


 青に変わる条件が何なのか、正直よく分からない。ロラが初めて青で映った時のことを思い出す。あれはいつだったか。蜂の巣の日か、ダンジョンで一緒に潜った日か。気づいたら変わっていた。カイもエリアナもそうだ。いつの間にか青になっていて、いつ変わったかは覚えていない。マップの色は、こちらの意思で変えられるものじゃない。相手と自分の関係が何かの閾値を超えた時に、勝手に変わる。今、この村のほとんどが白い。それだけのことだ。気にしても仕方がない。


「ルート、聞いてる?」


「聞いてます」


「嘘。目がどっか行ってた」


 マップを見ていたのだけど、そうとは言えない。


「考え事してました」


「何の?」


「見回りのルートを」


「嘘くさい」


 この子は勘がいい。ロラに似ている。嘘が下手な僕には厄介な相手だ。


「こっちこっち。まずは果樹園ね」


 村の西側に、小さな果樹園があった。果物の木が十本ほど並んでいて、枝いっぱいに白い花が咲き、風が吹くたびに花びらが散っていた。


「この木、私が小さい時にお父さんが植えたの。毎年秋になると実がなって、お母さんがジャムにするんだよ」


「へえ」


「ルートってジャム食べたことある?」


「ないです」


「えっ、ないの!? クルヌガルドにはないの?」


「あるとは思いますけど、食べる機会がなくて」


 貧民街の食事は、硬いパンと薄いスープが基本だ。ジャムなんて贅沢品は、配達先で見かけたことはあるけど、自分で食べたことはない。


「じゃあ帰る前に去年のやつ出してもらうね。お母さんに言っとく」


 さらっと約束を取りつけてくる。断る隙がない。


 果樹園の横に畑が続いていた。秋蒔きの麦が青々と伸びていて、風が吹くと穂が一斉に揺れる。波みたいだ。地面から生えた緑の波。


「きれいでしょ?」


「はい」


「この麦が全部金色になるの。夏の終わりから秋にかけて。村じゅうが金色になるんだよ」


 リーナの目が少し遠くなった。何度もその景色を見てきた目だ。飽きていない。毎年見て、毎年きれいだと思っている。この村が好きなんだろう。この景色が。


「ルートの街にはこういうのないの?」


「ないです。石畳と建物ばかりで」


「つまんないね」


「まあ、ダンジョンはありますけど」


「ダンジョンかあ。ダンジョンの中ってどんな感じ?」


「暗くて、湿っていて、光石の明かりがあるだけです」


「やだ。暗いの苦手」


「でも、奥に行くほど知らないものがあるんです。歩いたことのない通路、見たことのない空間。地図に線が一本ずつ伸びていく感じが——」


 言いかけて止めた。ミニマップの話に踏み込みすぎる。


「線?」


「いや、道が増えていくというか。初めての場所を一つずつ覚えていく感覚が好きなんです」


「あ、それ分かるかも」


 リーナが立ち止まった。


「私も畑の奥とか森の端とか、知らない場所を見つけるの好き。行っちゃだめって言われてるとこほど気になるでしょ?」


「分かります」


「でしょ!」


 リーナがぱっと笑った。嬉しそうだった。共通点を見つけたことが、この子には大きいらしい。知らない場所を見たいと思う気持ち。それだけで繋がれるなら、悪くない。


 畑の脇を歩きながら、リーナが麦の穂先に触れた。指先で軽く撫でるように。慣れた仕草だった。


「この辺の麦は育ちがいいんだよね。土が柔らかいから。でもあっちの端は石が多くて、毎年お父さんが苦労してる」


「詳しいですね」


「畑のことは小さい時から見てるから。お父さんの手伝いもしてるし」


 村長の長女。十一歳で、畑仕事の手伝いと、七歳の妹の面倒と、五歳の弟の世話と、来客の相手をしている。それをこの子は「普通」だと言う。忙しいとも思っていない。


「ルートは普段何してるの? ダンジョンに行かない日」


「配達です。午前中ずっと走ってます」


「走ってるの? 毎日?」


「五歳からずっと」


「六年も!? すごいね」


「すごくないです。走るしかなかったので」


「走るしかないって……」


 リーナが僕の顔を見た。少し眉を寄せている。何かを読み取ろうとする目だった。


「一人で?」


「はい」


「ずっと?」


「はい」


 リーナが黙った。五秒くらい。この子にしては長い沈黙だった。それから、少しだけ声のトーンを落として言った。


「この村にいる間は、一人じゃないからね」


「……ありがとうございます」


「ありがとうじゃなくて。当たり前のことだよ」


 当たり前。


 この子にとっては、そうなのだろう。家族がいて、村人がいて、隣に誰かがいるのが当たり前。僕にとっては、五歳から六年間、そうではなかった。でもその差をここで言うのは野暮だ。だから黙って頷いた。


 リーナはそれ以上は言わなかった。代わりに、話題を変えてくれた。


「次は川のほう行こ。面白いとこあるんだよ」


 村の北側の川沿いの道に出ると、川幅は広くないけど水が透き通っていてきれいだった。底の石が見えて、魚の影がちらちら動いている。川辺にトトがいた。水際にしゃがみ込んで、川の中を覗き込んでいる。メルがその後ろに立って、トトの服の襟をしっかりと掴んでいた。落ちないように。七歳の手が、五歳の体を支えている。


「トト、何してるの?」


「おさかな! おさかないるの!」


「また魚か。この前もここで服びしょびしょにしたでしょ」


「こんどはぬれないもん!」


「絶対濡れるでしょ?」


 リーナが腰に手を当てて、お姉さんの顔になった。でもトトは聞いていない。水面に手を伸ばしていて、メルがトトの襟を引っ張る。


「トト、だめ! お魚逃げちゃうよ!」


「やだ! さわる!」


「触れないってば!」


 メルの声は必死だった。弟が川に落ちたら自分のせいだと思っている。七歳で、その責任感を背負っているのだ。


「メルは偉いですね」


 思わず口に出した。メルが顔を上げた。


「え?」


「トトの面倒をちゃんと見ていて。すごいと思います」


 メルがきょとんとして、それから少し目を伏せた。照れているのか、戸惑っているのか。


「……ありがとうございます」


 小さな声だった。この子は「ごめんなさい」を一日に何度も言うけど、「ありがとう」はあまり言い慣れていない。頑張っていることを褒められた経験が、少ないのかもしれない。


 トトが案の定、水に手を突っ込んで袖を濡らした。


「だから言ったのに!」


 メルが叫ぶ。トトが泣きそうな顔をする。リーナが二人の間に割って入って、トトの袖を絞りながら「ほら、泣かないの」と言う。三人が動いていて、声が重なって、笑い声と叱る声が混ざって、川のせせらぎと溶けていく。朝の光が川面に反射して、三人の顔を照らしていた。


 トトが濡れた手で僕の服を掴んだ。


「るーとおにーちゃん! おさかないたよ!」


「そうか。よかったな」


「つかまえたかった……」


「魚は速いからな。でも、いることが分かっただけでもすごいよ」


「すごい?」


「うん。見つけたのはトトだろ」


 トトがぱあっと笑った。単純で、まっすぐな笑顔。五歳の子供にしか出せない明るさだった。この子たちを守る。三ヶ月間。それが今の僕の仕事だ。


 腕にぶら下がるトトをメルに渡した。メルが「ごめんなさい」と言った。今日二回目。いつものことだ。


「謝らなくていいですよ。メルは何も悪いことしてないから」


 メルが少し不思議そうな顔をして、それから小さく頷いた。


 リーナに連れられて南側に戻る途中、道端に野花が咲いていた。白と紫の小さな花。リーナがしゃがんで一輪摘んだ。


「これ、毎年この時期に咲くの。名前は知らないんだけど」


「きれいですね」


「お母さんが好きなの。毎年、食卓に飾ってるんだよ」


 花を手に持ったまま立ち上がった。帰ったらお母さんに渡すのだろう。この子の行動は、いつも誰かに繋がっている。果樹園の話はお母さん。畑の話はお父さん。川辺のトト。自分のためだけに動いている時間が、この子にはほとんどない。


 それが、この子の「普通」なんだろう。

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