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還らずの街のルート急便 ~過労死した元ゲーム開発者は「ミニマップ」と「煙魔法」で泥臭く成り上がる~  作者: わかば めぐる
第1章

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第22話 使えない魔法書

 宝箱の蓋に手をかけた。


 鉄の留め金を外すとカチリと音がして蓋が持ち上がった。古いけど壊れてはいない。


 中を覗く。金貨が数枚。光石の明かりを受けて鈍く光っている。その横に、大きな魔石があった。今まで見た中で一番大きい。拳くらいある。色が濃い。手に取ると鑑定が浮かんだ。


 魔石(中)

 品質:優


 優。「良」の上だ。初めて見た。


 金貨と魔石を魔法袋に入れる。まだ何かある。宝箱の底に、一冊の本が置かれていた。革表紙の小さな本で、手に取った瞬間に鑑定が浮かんだ。


 魔法書ファイアアロー

 効果:炎の矢を射出する

 品質:良


 心臓が跳ねた。


 攻撃魔法だ。炎の矢を撃てる。今まで(スモーク)しかなかった。煙を出すだけで攻撃力ゼロ。それが——火の矢。当たれば燃える。ダメージが入る。遠距離攻撃ができる。


 初めての攻撃魔法。命がけで5層のボスをソロで倒して、アバラを折って、背中に飛び乗って首の後ろを刺して、やっと手に入れた。


 報われた。全部報われた。


 魔法書を魔法袋に大事にしまってボス部屋を出た。帰り道、ミニマップの線をたどりながら5層から4層へ、3層、2層、1層と上がっていく。足が軽かった。魂格昇華のおかげだけじゃない。胸の中が熱い。嬉しい。純粋に嬉しかった。


 前の人生では、レアドロップを引いた時の興奮を画面の向こうで見ているだけだった。ユーザーが掲示板に「神引き!」と書き込むのを、運営側で眺めていた。今は自分がそれを手にしている。


 小屋に帰って寝台に座った。胸のアバラがまだ痛い。でも今はそんなことどうでもいい。


 魔法袋から魔法書を取り出した。(スモーク)の時を思い出す。あの時は読み進めるだけで頭の中に知識が染み込んできて、最後のページを閉じた時にはもう「分かっていた」。今度は火の矢だ。


 表紙を開く。最初のページ。文字を読む。


 ……入ってこない。


 文字は読める。言葉の意味も分かる。でも、(スモーク)の時にあった「染み込んでくる」感覚がない。水が流れる場所がないみたいに、知識が体に入っていかない。


 次のページ。何もない。その次も。最後まで読んだが、何も起きなかった。もう一度、最初から丁寧に一字一句。何も起きない。三回目。何も。四回目。


「……え?」


 なんで。(スモーク)は読んだだけで使えるようになった。同じ魔法書なのに。ファイアアローだって初級の魔法だ。何が違うんだ。


 五回目を読み終えた時、さすがに認めた。これは、何回読んでも同じだ。


 翌日、配達もそこそこにエリアナの店へ向かった。裏路地を走る。苔の壁。古い扉。ここに来る時はいつも何かに困っている気がする。


「すみません」


「どうぞ」


 中に入ってカウンターの前に立ち、魔法書を出した。


「これ、5層で出ました」


 エリアナが魔法書を手に取って、表紙を確認する。


「ファイアアロー。初級の攻撃魔法ね。悪くないわ」


「読んでも何も入ってこないんです」


「何回読んだの?」


「五回」


「五回も。真面目ね」


「真面目じゃなくて必死です」


 エリアナが魔法書をカウンターに置いて、少し考えた。


「適性がないのかもしれないわね。調べてみましょう」


「調べる方法があるんですか?」


「あるわよ」


 エリアナが棚の奥に行って小さな木箱を持ってきた。蓋を開けると、中に六つの水晶玉が並んでいた。赤、青、茶、緑、黄、白。それぞれ微かに色が違い、光石の明かりを受けて淡く光っている。


「属性水晶よ。火、水、土、風、雷、聖。水晶玉に魔力を送って、光れば適性がある」


「いくらですか?」


「一つにつき銀貨五枚」


「六つで大銀貨三枚……高くないですか?」


「精密な魔法具よ。安くはないわ」


 3,000ロア。テスト代だけで3,000ロア。ファイアアローが使えるかどうか確認するのに3,000ロア。でも、確認しないと先に進めない。


「……お願いします」


 赤の水晶玉を手に取った。火属性。これが光れば、ファイアアローが使える。《魔力操作》で魔力を手のひらから水晶玉に送る。エリアナに教わった技術がここで使える。胸の奥から右手へ。手のひらから水晶玉へ。


 送った。


 ……光らない。


 赤い水晶玉は何事もなかったように僕の手の中にある。淡い色のまま。光らない。


「次」


 エリアナが短く言った。


 青の水晶玉。水属性。魔力を送る。光らない。茶。土属性。光らない。緑。風属性。光らない。黄。雷属性。光らない。


 最後の一つ。白の水晶玉。聖属性。六つ中五つ光らなかった。最後の一つくらい。


 魔力を送る。


 光らない。


 六つ全部、光らなかった。


 手の中の水晶玉を見つめた。冷たい。何の反応もない。


「あなた、魔法の適性が全くないわね」


 エリアナが淡々と言った。


「全く?」


「ええ。全く。六属性全滅。珍しい体質ね」


「全滅って……火も水も土も風も雷も聖も、全部?」


「全部」


「魔力は異常に高いのに、六属性の魔法が使えない。面白い体質ね」


「面白くないです」


 分かっていた。水晶玉が六つとも光らなかった時点で分かっていた。でも、はっきり言われると重い。


「でも売れるわよ。ファイアアローなら大金貨一枚くらいにはなる」


「金の問題じゃないんです」


 声が少し震えた。


「僕の初めてのボスドロップなんです。命がけで戦って、アバラ折れて、背中に飛び乗って首の後ろを刺して、やっと手に入れた魔法書が使えないって……」


「……」


「エリアナさん、何とかなりませんか?」


「ならないわ。適性は生まれつきよ」


「……」


「泣かないで。商人の前で泣かれると困るわ」


「泣いてません」


「目が赤いわよ」


「赤くないです」


 赤くない。赤くないはずだ。たぶん。


「テスト代、大銀貨三枚。結果は全滅。使えない情報に3,000ロア取られたんですけど」


「情報に価値があるのよ。適性がないと分かったことも情報でしょう」


「……エリアナさん、ガメツくないですか?」


「最高の褒め言葉ね」


「褒めてないです」


 エリアナは微笑んだまま、水晶玉を箱に戻した。商人の顔だった。完璧な商人の顔。


「でも面白いわね」


「何がですか?」


「攻撃魔法の適性がないのに、(スモーク)は使えている。煙は攻撃魔法じゃないから? でもそれだけじゃない気がするわ」


「……どういう意味ですか?」


「さあ。私にも分からないわ。分かったら教えてあげる。有料で」


「……ガメツイ」


「商人よ」


 はいはい。知ってます。


 結局、魔法書はエリアナに売った。しょんぼりしながらカウンターに置くと、エリアナが帳面に書き込む。大金貨一枚。


 5層ボスの魔石も預けた。品質「優」の大きな魔石。ボス階のものは通常の層より価値がある。金貨数枚分にはなるだろう。


 大金貨一枚と金貨数枚。5層ボスのソロ撃破報酬。使えない魔法書の代金。命がけの対価。複雑な気持ちだった。


「ところで、あなたまだあの安い短刀を使っているの?」


 エリアナが帳面を閉じながら聞いた。


「はい」


「5層のボスを倒したなら、もう少しまともな装備に更新した方がいいわ」


「そうですかね」


「6層以降はフロアの範囲が5層までの倍以上になる。戦闘の回数も距離も増える。安い短刀では刃が持たないわよ」


「倍以上……」


 5層のボス階フィールドでさえ、一〜二時間かかった。それが倍以上の広さになるなら、装備の消耗も倍以上だ。今の安物の短刀では、途中で使い物にならなくなるかもしれない。


「ボスの魔石と魔法書を合わせれば、それなりの金額になったでしょう。装備に回しなさい」


「エリアナさんの店で買えますか?」


「うちは魔法具と薬品の店よ。武器は武器屋に行きなさい」


「……そうですよね」


「でもマテリアならうちにもあるわ。装備を買ったら、融合を考えてもいいかもしれないわね」


「マテリア?」


「装備に融合して強化するアイテムよ。属性を付けたり、能力を底上げしたり。いい装備を手に入れたら、教えてあげるわ」


「有料ですか?」


「情報は無料よ。買ってくれるなら」


「……商人ですね」


「商人よ」


 店を出た。午後の日差しが眩しい。


 大金貨一枚分の魔法書を売った金が懐にある。嬉しくない。嬉しくないけど、金は金だ。攻撃魔法は使えない。六属性全滅。MP290もあるのに、使える魔法は(スモーク)だけ。


 でも(スモーク)が使えている理由は分からない。エリアナも「面白い」と言った。何かがある。落ち込んでいる場合じゃない。使えるものを使う。煙と短刀と速度。それが僕の武器だ。攻撃魔法がなくても5層ボスを倒した。それは事実だ。


 装備を更新しよう。短刀を新しくする。6層以降に備えて。エリアナが言っていたマテリアも、いずれは考えないと。


 それと、ギルドでカードを更新しよう。しばらく更新していない。Lv10になったことは……まあ、カードに出るだけだ。問題ないだろう。


 たぶん。

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